2015年4月8日(水)
2015年4月8日(水)日本経済新聞 大機小機
ムーアの法則と1984年
(記事)
「ネット20年」その先へ
ムーアの法則 考案者が語った長期継続の理由と未来
未来を創った男たち(1)
(日本経済新聞 2015/4/8
6:30)
ttp://www.nikkei.com/article/DGXMZO84877180W5A320C1000000/
個人的に印象に残った部分を引用します。
>――エンジニアとして一生をやり直すとすれば、また半導体産業に関わりたいと思いますか。
>
>ムーア そう思います。半導体産業は社会のほぼすべての面に革命をもたらした産業であり、従って極めてエキサイティングでした。
>あまり何も知られていなかった、ごく初期の段階で参加したことは非常に幸運だったと思います。
>私は大学で半導体ではなく化学を専攻したのですが、それでもその当時に存在した技術を短期間のうちに身に付けることができました。
>私はたまたま良い時に、良い場所にいたのだと思います。
> この業界を退屈だと思ったことはありません。退屈するには動きが速すぎます。技術の進化に伴って、製品の機能も変わり続けています。
>これは素晴らしい業界でした。今までのこの期間において、これ以上エキサイティングだった分野を想像することは困難です。
>――次の質問でインタビューを終えたいと思います。日経エレクトロニクスはエンジニアを対象とする雑誌です。
>半導体やその他の分野のエンジニアを勇気づけるようなメッセージを頂ければと思います。
>
>ムーア 私のメッセージは、テクノロジーにはまだまだ将来があるということです。
>社会への応用はますます進み、重要な影響を及ぼすようになります。
>社会にとって重要な結果を生む、技術的にやりがいのある面白い分野です。
>もし関心があるなら、キャリアを築くには素晴らしい場になると思います。
インテルや半導体と聞きますと、真っ先に技術や工学という言葉が思い浮かびます。
私自身は理学系と言いますか理論系と言いますか、技術や工学ではなく理論や理学の分野の人間です。
大学ではあまり勉強はしていないのですが、一応大学も工学系ではなく理学系の出身です。
中学校1年生の後半くらいに、理学系に進学したいと思うようになりました。
工学ではなく理学の方へ進学したいと思った理由はいくつかあるのですが、
端的に言えば、自分には技術のことは分からない、と思ったからです。
インテルのような半導体産業であれ、ソニーのようなエレクトロニクス産業であれ、トヨタのような自動車産業であれ、
自分にはとても無理だと思いました。
自分にはICチップ1枚、電気製品1個、自動車の部品1つ作れないと思いました。
メーカーの人たちはよく自分には全く作れないものを作れるなあ、すごいなあ、と本当にそう思いました。
自分には入社しても研究開発や生産に携わることはとてもできない気がする、と単純にそう思いました。
自分の身の回りにある製品、どれをとっても自分には全く作れないわけです。
子供心に、世の中の人はすごいなあ、と思ったものです。
それで、紙と鉛筆の世界であれば、自分でも何とかやっていけるかもしれない、と思いました。
それで、学校の勉強というと基本的には紙と鉛筆だけあればやっていけますので、
特に中学生以降は、とにかく今自分がやれることはこれしかない、と思って、学校の勉強を頑張っていたわけです。
それでいつしか、将来は大学に残って学者になれたらなあ、思うようになったわけです。
とにかく自分は、紙と鉛筆だけで勝負する理論に関する学者になりたいと思いました。
英語で言えば、「scholar」になると思います。
少なくとも、「engineer」や「technologist」ではないと思います。
いわゆる科学技術や生産・製造技術というのは、自分には全く力が及ばないものだ、というふうに感じていました。
一体どうやったらこんな技術を思いつくのだろうか、すごいな、自分には無理だな、としか思えませんでした。
例えばミニ四駆1つとっても、モーター1個、電池1本自分では作れないわけです。
モーターの仕組み・動作原理は絶対に自分では考え付けないわけです。
それらの製品が一体どうやって製造・生産されているのかは分かりませんが、
とにかく自分にはそれらの分野では何もできないと思いました。
自分が分かる分野で勝負をしていきたい、そう思いました。
それで、紙と鉛筆だけで理論を組み立てる世界であれば、自分でもある程度勝負していけるのではないかと思いました。
技術や工学の分野では自分は全くお話にならないことがあまりにも明らかであったため、
中学校1年生の後半くらいには理論や理学の分野一本に焦点を絞っていました。
それ以外には自分にできることは何もないように思えました。
この年になって、科学技術全般が実はそもそも人間が作ったものではないのではないかと感じ始めていまして、
もしそうであるならば、自分の判断は正しかったということになるわけですが。
それで、大学入学以降は、理学の分野でも自分は何もできないということが分かりましたので、
それまでの志望・希望とはある意味正反対に、学問分野としては文系の勉強を頑張るようになりました。
それはそれで自分の判断は正しかったと思っています。
自分の人生を振り返ってみると、自分にできることは本当に何もないな、謙遜ではなく本当にそう思いながら生きてきたように思います。
――仮に一生をやり直すことができるとすれば、また会計に関わりたいと思いますか。
昔人生参謀今経営参謀 そう思います。会計は社会のほぼすべての面に関連のある学問分野であり、従って極めてエキサイティングです。
今現在もそうであり、また、10年前20年前30年前それ以上前ももそうであったでしょうが、
世間であまり知られていなかったにも関わらず、自分なりに一生懸命に会計を勉強してこれたことは非常に幸運だったと思います。
私は大学では会計は専攻していなかったのですが、
それでもその当時に存在した学校のテキストなり市販されている教科書なりをしっかり勉強することにより、
一定以上の知識は身に付けることができました。
私はたまたま良い時に、良い場所にいたのだと思います。
会計という学問分野を退屈だと思ったことはありません。退屈するには適用できる範囲が広過ぎます。
会計基準の変化に伴って、論ずべき論点も変わり続けています。
これは素晴らしい学問分野でした。今までのこの期間において、これ以上エキサイティングだった学問分野を想像することは困難です。
――会計やその他の学問分野の学徒を勇気づけるようなメッセージを頂ければと思います。
昔人生参謀今経営参謀 私のメッセージは、どの学問分野であれ、勉強をしっかりと頑張るということは非常に大切だということです。
小学生の時であれ中学生の時であれ高校生の時であれ、勉強をしっかりと頑張ることが自分の人生に重要な影響を及ぼすようになります。
テストの点数や偏差値とは関係なく、「物事を理解する」ということは人生において極めて重要なことなのです。
その中でも、「読み書き算盤」は非常に重要だと思います。
本当に心の底から嘘偽りなく「私は学校の勉強が分かるようになりたいとは思わない。」と言える人はこの世にいないはずです。
誰だって本当は、学校の勉強が分かるようになりたいと思っているはずです。
「学校の勉強なんか何の役にも立たない。」とうそぶくのはただの強がりのはずです。
会計の勉強も同じです。
誰だって本当は、会計が分かるようになりたいと思っているはずです。
学校の勉強も会計も、分からないより分かる方がいい、ただそれだけのことではないでしょうか。
一生強がりだけで生きていくことほど無駄なことはありません。
会計は、社会を理解する上でも自分の人生を充実させる上でも、学びがいのある面白い学問分野です。
もし関心があるなら、教養を身に付けるという意味でも素晴らしい場になると思います。