2015年4月6日(月)


2015年4月6日(月)日本経済新聞 法務
法務関連ビジネス 新潮流
婚礼大手 式場トラブル解決情報
弁護士が起業 司法試験対策やサイト
(記事)


 


【コメント】
人生の買い物で、結婚式や披露宴を挙げることが何番目に大きい買い物かは分かりませんが、
「結婚をすること」そのことが人生の買い物で一番大きな買い物であることだけは確かでしょう。
男性にとっても、そして、女性にとってもです。
私は以前、婚約をする時に呼ばないといけないのは、牧師や神主ではなく、弁護士だ、と書きました(2015年3月18日(水) 参照)。
婚約指輪や誓いの言葉など何の意味も効果もありません。
愛の言葉や御祓いや証人の立会いなど何の意味も効果もありません。
相手方の不動産に抵当権が設定された不動産登記簿だけに意味があり効果があるのです。
率直に言えば、婚姻届を今すぐ提出する相手だけを信頼するべきなのです。
年齢以外の理由で、婚姻届を今すぐ提出できない理由はないはずです。
男18歳未満、女16歳未満の場合は、民法上結婚することができませんから、
致し方なく抵当権の設定という履行を確実なものとする手段に出ざるを得ないというだけであるわけです。
当世では結婚適齢期は男女とも20歳以上でしょうから、婚姻届を今すぐ提出すれば、それで何の問題も起きないわけです。
婚姻届を今すぐ提出することに相手が難色を示すようであれば、あなたは、

Submit or subordinate. (婚姻届を今すぐ提出するか、所有不動産を私に従属させるか。)

と相手に迫らなければならないのです。
そうでなければ、あなたは助からないでしょう。(survive できないでしょう。)
再度改めて、

Substance is invisible. Form is visible. (実質は目に見えません。しかし、形式は目に見えます。)

と言いたいと思います。
愛の言葉や誓いの言葉や指輪はいくらでも出すことができますが、婚姻届は一度しか出せないのですから。
もっと言えば、実はこの世に愛などないのです。
この世に愛などありません。
あなたがあると信じたいだけです。
究極的なことを言えば、あなたの身を守るのは、牧師や神主や弁護士などではなく、あなた自身なのです。

There is no substitute for your own life. (あなた自身の人生の代わりとなるものなどありません。)

「生きていくのはあんた自身よ。」、再度改めてそう言いたいと思います。


Ninety-nine percent of the causes of legal troubles are you yourself.

法律トラブルの原因の99%は、あなた自身なのです。

 

 



2015年4月6日(月)日本経済新聞 法務
カルテル捜査対象者の雇用中止要請 米司法省に疑問の声 米弁護士 憲法上の問題指摘
(記事)


 



【コメント】
記事によりますと、米司法省反トラスト局が、カルテル事件の捜査の対象となった従業員を継続雇用しないように、
企業に対して要請している、とのことです。
詳しいことは分かりませんが、これは一種の行政指導ということのようです。
総量貸出規制ならぬ、捜査対象者雇用規制、とでも言うのでしょうか。
ただ、法理的には、このような法律と実質的に同じ意味を持つ行政指導はおかしいように思います。
雇用契約というのは、純粋に私人間の契約であるわけです。
私的自治の原則ということを考えれば、いわゆる国家権力が私人間の契約に制約を課するのは、法理上は間違いなのだと思います。
この記事は、米独占禁止法が私的自治の原則に介入しているという事例です。
実は、日本の会社法にも、私的自治の原則に介入している規定があります。
それは、例えば、取締役の欠格事由です。
会社法の規定(第331条)により、一定の法律により刑に処せられ、その執行を終わり、またはその執行を受けることがなくなった日から
2年を経過しない者は、取締役となることができません。
会社法に規定があるからと言われればそれまでなのですが、法理的なことを言えば、
株主が誰を取締役として選任しようが、すなわち、会社が誰と委任契約を締結しようが、全く自由であるはずです。
なぜなら、会社と取締役との間の委任契約は、純粋に私人間の契約に過ぎないからです。
刑法は刑法で、罪を犯したならば刑法に従った処罰を受ければよいというだけの話であって、会社法と刑法とは全く関係がないわけです。
逆に、刑法が、刑の執行終了後もその者は会社法上の取締役に就任できない、というふうに禁止をしている、
というのなら分かるような気もします(取締役という身分の社会的影響度を鑑みて、といった理由により。)。
会社法のこの規定は、そういった刑法の趣旨・目的を取り入れたもの、という見方もできなくはないかもしれません。
他の言い方をすれば、会社法が刑法に合わせている、という見方もできなくはないかもしれません。
ちょうど、商法が所得税法や法人税法に合わせているように。
ただ、確かに、ある法律が他の法律を参照したり、異なる法律間で定めの整合性を図ったり、一方の法律の趣旨を他方に取り入れたり、
といったことは行われますが、「取締役の欠格事由」の定めは会社法独自の思想ではないかと思います。
刑法上の処罰は終了したということは、刑法としてはその件についてはそれ以上口出ししない(刑法としてはもはやその件には関与しない)、
という意味ではないでしょうか。
他の言い方をすれば、刑の執行が終わったことにより、刑法上の目的は果たせた、ということではないでしょうか。
そういったことを考えますと、刑法上の処罰の終了後も刑法の趣旨により取締役になれない、というのはおかしな感じがします。
刑法はいわゆる国家権力に直結している法律であるのに対し、会社法は純粋に私人間の関係を規定している法律です。
場面により、刑法の方が会社法よりも強いと言いますか、同じ事柄についてなら会社法よりも刑法が優先される、
というような場面があったりすると思います。
それでも、刑法の趣旨が理由で取締役になれないと考えるのはやはりおかしな感じがします。
なぜ会社法に「取締役の欠格事由」が定められているのかは分かりませんが、
会社と取締役とは純粋に私人間の契約を締結するに過ぎないということを考えると、会社法のこの定め自体がおかしいと思います。
いわゆる国家権力が、雇用契約に介入するのはおかしいですし、委任契約に介入するのもおかしい、ということになると思います。

 



記事には、米司法省反トラスト局による行政指導には憲法上の問題がある、と書かれています。
日本とアメリカとでは憲法が異なるわけですが、基本的考え方は近いのではないかとは思いますが、
ここでは日本の憲法の観点から一言だけ書きます。
第14条(法の下の平等など)や第19条(思想及び良心の自由)に限らず、
憲法というのは、全般的に、専ら国又は公共団体と個人との関係を規律するものであって、
私人相互の関係を直接規律するものはない、というようなことが言えるのだと思います。
難しい言葉で「憲法規定の私人間効力」と言ったりするようですが、
憲法というのは、そもそもの話として、国家と私達私人との間を規律する公法であるわけです。
「憲法規定の私人間効力」には、@無効力説、A直接適用説、B間接適用説、の3つの学説(考え方)が世にあるようですが、
「そもそも憲法とは何か?」を考えると、私としては、「無効力説」(憲法の規定は、私人間には適用されない。)
という考え方に当然に行き着くように思います。
端的に言えば、そもそも憲法とは、国家権力を対象として、国家権力のはたらき方に規制をかけようとするものであるわけです。
他の言い方をすれば、憲法とは、国家権力を制限して、国民の利益・権利を守ることを目的とする、国家の根本的なルールのことだ、
と言えるのだと思います。
法律が誰対誰を対象にしているのかを簡単に書けば以下のようになります。

憲法 → 憲法対国家権力
刑法 → 国家権力対国民
民法 → 私人対私人

独占禁止法にせよ刑法にせよ、国家運営上、私的自治の原則を修正せざるを得ない場面というのは生じるものなのかもしれませんが、
法の構成(体系)として、私人間の契約に国家権力は介入しない、というのが基本的な考え方であるのは間違いないのだろうと思います。

 


On the princple of law, neither an employee nor a director has any legal disqualifications.
The Constitution provides that the Government should exist for the sake of the citizens.
On the principle of law, the Constitution has nothing to do with the relationship between the private citizens.
Only a company has its private employment policy in it, just as a worker has his own work policy with him.


法理上は、被雇用者であれ取締役であれ、法律上の欠格事由というのは一切ありません。
憲法では、国家は国民のために存在しなければならない、と規定されています。
法理的には、私人間の関係は、憲法は全く関係がないのです。
会社にのみ、従業員の雇用方針があるだけなのです。
ちょうど、労働者に、労働者個人の労働方針があるように。