2015年3月18日(水)



2015年3月17日(火)日本経済新聞 公告
定款変更につき通知公告
ニスコム株式会社
(記事)


 




【コメント】
株式と株券はどう違うのか、という点についてですが。
一言で言えば、株式というのは、会社に対する権利を表象するものであり、他の言い方をすれば、
会社に対して出資を行っているという行為を表象するもの、と表現できると思います。
一方、株券というのは、要するに、株式により表象したい事柄を紙という形で書き表したもの、と表現できると思います。
株式というのは、あくまで概念的なものであり、目には見えないものです。
一方、株券というのは、権利という能力や出資という行為は目に見えませんので、
利害関係者に対してはっきりと目に見えるように紙媒体にそれらを視覚化したものです。
他の言い方をすれば、株式は概念、株券はその証書です。
株式という概念だけでは、誰がいくら出資したか分からなくなり、権利関係が錯綜する恐れがあります。
そこで、株券という証書により、出資という行為を目に見えるようにしているわけです。
平和は目に見えません。
しかし、鳩は目に見えるでしょう。
鳩により何かを主張しようとしている人を見ると、「ああ、この人は平和の尊さを世に訴えたいのだな。」と分かるわけです。
それと同じ様に、権利そのものや出資そのものは目に見えないわけです。
しかし、権利内容や出資額は紙に書き表すことができるわけです。
株券により何かを主張しようとしている人を見ると、「ああ、この人は自分の権利を会社に訴えたいのだな。」と分かるわけです。
買い物という行為やその店でこの商品を買ったという事実そのものは目に見えません。
しかし、領収書(レシート)は目に見えるでしょう。
領収書(レシート)という証書は、行為や事実という概念を、目に見えるように視覚化しているわけです。
株券と株式の関係も全く同じなのです。

 



株式と株券に関する商法制度上の位置付け(法律の規定)についてですが、手元にあります会社法の教科書を参照して書きます。
旧商法では、株式会社の株式については株券が発行されるのが原則でした。
したがって、株式の移転も原則として株券の交付によることとされていました。
しかし、会社法ではこの考え方が正反対になり、株券を発行しないことが原則になりました。
そして、定款で特に定めた場合に限り株券を発行できることになりました。
法律の規定としてはそのように取り扱いが正反対になったようですが、
実務上の対応や法理上の株券に対する考え方は何も変わっていないのだと思います。
いやむしろ、会社と株主との関係を考えると、何も変わってはならない、と言わねばならないでしょう。
率直に言えば、会社法でいう株券も旧商法でいう株券も、権利や行為を書き表したもの、という点に違いはないわけです。
出資に関する証書が必要である理由は、株式会社という文脈に即してより具体的に言えば、
株式を何株所有しているかを明確にしておかなければならないからです。
旧商法では出資に関する証書が必要だったが会社法では出資に関する証書は必要ではなくなった、
などという話は絶対にあり得ないわけです。
スーパーやコンビニや書店やデパートでの買い物に際し、レシートを発行する必要がなくなる日がやってくるなどあり得るでしょうか。
そんな日は絶対にやってくるはずがないと分かるのなら、株券が必要ではなくなる日も絶対にやってこないと分かるはずです。
端的に言えば、株券の券は証券の券なのです。
証券とは結局のところ証書のことだと言っていいと思います。
つまり、証券も証書も、基本的には紙媒体(紙のこと)であるわけです。
ただ、上場株式であったり上場企業が発行している社債であったり国債などといった極限られた一部の”証券”に関してだけは、
電子化されている(証券が紙ではなく電子データだ)、というだけなのです。
本来的には、証券とは紙のことを指すのです。

 


おそらく、株券と聞いて、映画やテレビドラマや漫画に出てくるような紙幣(札束)を思い浮かべるから、
話がおかしくなるのだと思います。
株券とは領収書のことだ、と思えばいいと思います。
ただ、株券の場合は、買い物の際に小売店が客に渡すレシートそのもののようにはいきません。
会社と出資者とが、「出資者は会社に対しこれだけの金額出資を行い、出資に伴い会社は何株を発行した。」という内容の文書(紙)を
互いに取り交わすことになります。
その文書(紙)は、映画やテレビドラマや漫画に出てくるような紙幣(札束)に比べると、ただのメモのように感じるかもしれませんが、
要するところ、株券とは会社と出資者との間の出資に関する契約書に等しいものだ、と理解するべきだと思います。
そして、「株式を譲渡する」とは、「会社に対する権利者が変わる」ということですから、
株式の譲渡の際は、法理的には、株式の譲渡が行われると同時に譲渡人(売り手)は会社側へも必ずその旨通知をする必要があります。
権利関係が錯綜するの避けるため、譲受人(買い手)だけが会社側へ通知をすることは明らかに不十分です。
これは、株式の譲渡に障害を設けようとする趣旨でもありませんし、会社が株式の譲渡を制限することを認めようという趣旨でもなく、
純粋に、当事者間で株式の譲渡が行われたというだけだと会社側にはそのことが分からないからだ、というのがその理由です。
会社としては、「その株式の譲渡は認められません。」とは決して言えない、というのが株式会社制度における原則的考え方だと思います。
「AさんからBさんへ株式の譲渡が行われた。」、つまり、「会社の株主がAさんからBさんへ変わった。」という事実に関しても、
会社側としては何らかの証書の形で把握・管理する必要があるでしょう。
「株主名簿」と呼ばれる証書が、一般的には一番知名度が高い株主に関する証書であろうと思います。
旧商法同様、会社法においても「株主名簿」と呼ばれる証書が商法制度上当然にあるのなら、
「株券」と呼ばれる証書も、旧商法同様、会社法においても商法制度上当然にある、と言わねばならないでしょう。

 


このたびニスコム株式会社が発表した「定款変更につき通知公告」によりますと、
2015年4月7日付で株券を発行する旨の定款の定めを廃止し、同日に会社の株券は無効となります、と書かれています。
ニスコム株式会社の定款で言う「株券」は、映画やテレビドラマや漫画に出てくるような紙幣(札束)を指しているということなら、
そのような紙幣(札束)を廃止し無効とすることはできるでしょう。
しかし、「株券」と呼ばれるものが領収書や契約書や株主名簿に類する証書を指しているのなら、
株券を廃止したり無効化したりは法制度上絶対にできない、と言わねばならないと思います。
旧商法や会社法の条文にある「株券」という法律用語が、より具体的にはどのような類の証書を指し表しているのかは実は明確ではない、
ということだと思います。
手元にあります会社法のある教科書には、株券や「株式の有価証券化」について、

>「株主の地位」という抽象的存在は目に見えずその範囲も不明確なので、
>これを紙(証券)という目に見える物に置き換え、その紙の譲渡を権利の譲渡とみなす

と書かれています。
確かに、概念的には株式の譲渡とは権利の譲渡であるわけですが、「紙の譲渡」という部分が少しだけ違うのだと思います。
この記述は、上場企業を念頭に置いて書かれた内容なのだと思います。
上場企業を思い浮かべるから、紙幣(札束)だ株式流通の円滑化だ有価証券制度だ、というおかしな話になってしまうのだと思います。
上場企業では、株式の売買の管理・決済や株主名簿の管理などは全て証券会社の方で行ってくれていますので、
トラブルが起こることなく”株券”が譲渡され、
映画やテレビドラマや漫画に出てくるような紙幣(札束)が投資家間で売買されている姿が頭に思い浮かべてしまうわけですが、
頭の中に浮かぶそのイメージはひょっとすると社会的な演出の結果かもしれないわけです。
「株券とは、出資者と会社との間で互いに取り交わした、出資という行為を書き表した証書のことである。」
というそもそもの定義にさかのぼって考えてみると、
株券を廃止にしたり無効とすることなど、法理・法源・法の存在意義(権利を守ること)を鑑みれば、
概念的にあり得ないことだ、と言わねばならないのだと思います。

 



Is a stock certificate needed?

株券は必要なのか?

 


A stock is to a stock certificate what a peace is to a dove.

株式と株券の関係は、平和と鳩の関係と同じである。

 


Can a valid contract be made invalidated?

有効な契約を無効にすることができるのだろうか?

 


Love is invisible, but a notification of the marriage is visible.
Do you understand what I mean, don't you?

愛は目に見えません。しかし、婚姻届は目に見えます。
何が言いたいか、分かりますね?

 


When you become engaged to marry someone, you must call not a clergyman nor a Shinto priest, but a lawyer.

婚約をする時に呼ばないといけないのは、牧師や神主ではありません。弁護士です。

 


If you call a law firm, your engagement will become firm.
If you call a church, your engagement will remain "chachih," meaning "unstable" and "groundless" in Japanese.
If you call a shrine, your betrothed can say to you, "shiran," meaning "I don't know." and "groundless" in Japanese.

法律事務所に電話をすれば、あなたの婚約はしっかりしたものになります。
教会に電話をしても、あなたの婚約は「ちゃちい」ままです。
「ちゃちい」とは日本語で、「簡単に変わってしまう」、「理由がない」、という意味です。
神社に電話をしても、あなたの婚約者は「知らん」と言うかもしれません。
「知らん」とは日本語で、「婚約て何のこと?」、「法的根拠を欠く」、という意味です。

 



On the contrary to a "common sense," an engagement without a collateral is never an engagement, actually.
When you become engaged to marry someone, you and your betrothed must go to a registry office
and lay each other's real estate, not only each other's own estate but also each other's family's estate, in pledge.
If your betrothed should break the engagement with you,
you can have your betrothed's real estate, not only his own estate but also his family's estate, registered in your name.
And needless to say, vice versa.
You must put your betrothed into the condition that
if something should happen, your betrothed and his family are threatened to lose their lands and houses to live in.
That's an engagement.
If he is a man of good faith, he is ready to offer you all the estate you wish for.
If he is lacking in good faith, he will suddenly start complaining about the collateral.
It's at once a mortgage and a test for him.
This is not too much to do.
A marriage is a once-in-a-lifetime event for everyone.
It is not the others who live all the life.
It's you who live all the life.
It must, however, be added that if he is a man of good faith as you desire, he is not ready to offer the estate
but ready to offer you a better bond, actually.
Of course, it's the very notification of the marriage itself to hand in to the city hall the next day.
Something like a collateral impresses you cold-heartedly?
Being allowed to break an engagement without any restraints is more cold-hearted, you know.
Money alone does not compose love, but having money makes you affluent in love.
In the same way, law alone does not compose your life,
but knowing law can make you keep holding something important which money can never buy you.
Something important which money can never buy you, you know.
Money is an unaccountable thing.
For money is the most precious in the world, but money can't buy you the really important.

 



「常識」とは正反対に、担保がない婚約というのは実は全く婚約ではないのです。
誰かと婚約をする時には、あなたは婚約者と一緒に法務局に行かなくてはなりません。
そして、お互いの不動産を、それもお互いの個人財産だけではなくお互いの家族の不動産をも、抵当に入れなければなりません。
万が一婚約者があなたとの婚約を破棄するようなら、あなたは婚約者の不動産を、
それも婚約者の個人財産だけではなく婚約者の家族の不動産をも、あなた自身の名義で登記をすることができます。
これは言うまでもないことですが、逆の場合もそうなります。
あなたは、婚約者を、万が一何かが起こった場合には婚約者と婚約者の家族は自分達の住む土地と家を失う恐れがある、
という状況に追い込まなくてはならないのです。
それが婚約なのです。
もし婚約者が誠意のある人物なら、婚約者は喜んであなたが望む不動産をあなたに差し出すことでしょう。
もし婚約者が誠意のない人物なら、婚約者は突然担保について不平を言い出すことでしょう。
これは担保であると同時に彼にとっては試金石なのです。
家を担保に取るなんてやり過ぎだ、なんてことはありません。
誰にとっても、結婚は一生に一度きりのことなのですから。
他の誰かが生きていくのではありません。
生きていくのはあなた自身なのです。
もっとも、あなたが望んでいるように婚約者が誠意のある人物であるならば、
婚約者は不動産を差し出すようなことはせずに、喜んでもっと確かな絆をあなたに手渡すことでしょう。
それは言うまでもなく、次の日市役所に出すまさに婚姻届そのもののことです。
担保のようなことってドライだとお思いですか。
自由に婚約を破棄してよいという方がよっぽどドライではありませんか。
お金が愛の全てではありませんが、お金があると愛が潤います。
それと同じ様に、法律によって人生の全てが成り立っているわけではありませんが、
法律を知っているとお金では決して買うことができない大切なものをあなたは失うことなく持ち続けることができるのです。
お金では決して買うことができない大切な何かを、です。
お金というのは不思議なものだと思います。
お金はこの世で最も貴重なものでありながら、本当に大切なものはお金では買えないのですから。