2015年3月3日(火)


2015年3月3日(火)日本経済新聞
春秋
(記事)


 



【コメント】
記事には、基本六法の一つである「商法」について、

>法務省はようやく全編現代語に改める方針という。

と書かれていますが、昨日も書きましたように、「商法」は既に完全に現代語化されています。
それが2006年5月に施行された現在の「会社法」です。
文語体カタカナ書きというのは、確かに厳めしい感じがします。
個人的には物事を難しく書くのは好きではありませんし、文章を読んだ時に「簡単に書けばいいのになあ」と思うことがよくありますので、
法律が現代語で書かれることは非常に良いことだと思います。
「巧言令色鮮し仁」(こうげんれいしょくすくなしじん)という慣用句があります。
言葉巧みで、人から好かれようと愛想を振りまく者には、誠実な人間が少なく、人として最も大事な徳である仁の心が欠けているものだ、
という意味です。
簡単に言うと、表面上の言葉で勝負するのではなく、何事も中身で勝負をしていくことが大切なのだろうと思います。
学部生時代、ある講義の中で先生が、
「人間関係が苦手なら勉強して人から尊敬されるしかない。」
という言葉をおっしゃったのを今でも覚えています。
巧言も令色も私には無理ですので、「愛想は悪い奴だがあいつなかなかやるじゃないか。」と周囲から思われる人間になろうと思って、
私はずっと勉強を頑張ってきました。
法律は人々にとって近寄りがたいものであってはならないと思います。
本当に論理に沿って組み立てられた法律・条文であるのなら、どんなに簡単な言葉で書かれていても、
議論に耐えるだけの十分な中身・内容があるはずです。
法律は聖書の警句ではありません。
迫力があることや難解であることには意味はないのです。
法律とは物事の「考え方」が記述されたものだ、というふうに捉えることが大切なのだろうと思います。

 

Flatteries and superficial smiles sometimes indicate a lack of thoughfulness.

お世辞や愛想笑いというのは、思いやりの心が欠けていることの表れであることがあります。

 

 



A leaf out of Newton’s notebook

Sometime between 1661 and 1665, an undergraduate Isaac Newton took an unlikely academic diversion
from his pursuits of mathematics, optics and physics.
A neat black-ink notebook jotting, sourced back to his Cambridge University days,
reveals that Newton in fact briefly pondered plants too.
Titled quite simply‘Vegetables’(and entered between his notes on‘Philosophy’and‘Attraction Electricall & Filtration’)
Newton hypothesizes how plants transpire - or how water rises from roots to leaves - against the pull of gravity.
Most intriguingly,“His ideas came over 200 years before botanists suggested an extraordinary
and now widely accepted theory that explains how plants, from herbs and grasses to the Earth’s tallest trees,
transport water from roots to leaves,” says a comment in the latest edition of the journal Nature Plants.
In distinct Early Modern English, Newton describes the process by which fluid matter
“continually arise up from the roots of trees upward leaving dreggs in the pores.”
This “makes the plant bigger untill the pores are too narow for the juice to arise through the pores & then
the plant ceaseth to grow any more.”
What appears to be described here
“is the evaporative escape of water from a shoot - transpiration - driven by energy from the Sun,” says the Comment.
It does indeed come as a surprise that Newton dwelt on plant physiology in the middle of his math pursuits at Trinity,
author of the Comment David Beerling FRS, Sorby Professor of Natural Sciences, University of Sheffield,
told this Correspondent by email.
While there is very little known about the context of his jottings on plant fluids,
it could be that he had the note book with him when he retreated from Cambridge to Woolsthorpe Manor (Lincolnshire)
in the summer of 1665 to avoid the plague.
“Conceivably, it may have been his sojourn in the English countryside that inspired it.
But really this is pure speculation.”
The notebook was first judged “not fit to be printed” by Newton’s executor,
but later in 1872, it was later presented to Cambridge University Library by the fifth Earl of Portsmouth.
“In the minds of most, Newton’s association with plants begins and ends with the famous apple falling incident
and his discovery of gravity.
But notes buried within one of Newton’s undergraduate notebooks suggest otherwise,” says the Comment.
(THE HINDU Updated: February 5, 2015 01:26 IST)
ttp://www.thehindu.com/sci-tech/science/a-leaf-out-of-newtons-notebook/article6857198.ece

 


【参謀訳】
ニュートンのノートからの1ページ


1661年から1665年までのある間、学部生であったアイザック・ニュートンは、意外なことに、
彼の本分である数学や光学や物理学の研究からは一旦離れ、ある別の学問を行ったことがある。
ノートに黒インクで簡略に書かれたメモ―それはケンブリッジ大学での学部生活のころの史料になるのだが―が明らかにするところによると、
ニュートンは短期間のことではあるが何と植物についても考察を深めていたのだ。
「野菜」とだけ極めて簡略にタイトルが付けられているのだが(これは「哲学」と「電気引力とろ過」に関するメモの間に挟み込まれていた)、
ニュートンは、重力の引力に反してどうやって植物は水分の発散作用を行うのか―すなわちどうやって水分は根から葉へと上昇するのか―
について仮説を立てているのだ。
これが最も興味深いことなのだが、「彼のアイデアは、
ハーブや草から地球で最も背の高い木に至るまで、どうやって植物は根から葉まで水分を運んでいるのかについて説明している、
当初は異常と見なされ今日では広く受け入れられている理論を植物学者達が提唱する200年以上も前に発想されたものだ。」
と、ネイチャー・プランツ誌の最新号ではコメントされている。
明瞭な初期現代英語で、ニュートンは、
流体物が「断続的に木の根から発散のため通路を通って気孔へと上昇していく」作用について記述を行っている。
この作用の結果、「植物は気孔が狭くなり過ぎ水分が気孔を通って上昇できなくなるまで成長し、
そしてその後は植物はそれ以上成長しなくなる。」
この記述はおそらく「太陽からのエネルギーによって押し流される排水作用―発散作用―からの水分の発散作用の排水路」のことだろう、
と同誌ではコメントされている。
トリニティ・カレッジで数学の研究を行っている最中にニュートンが植物の生理機能についての記述を行っていたとは、
これは本当に驚きをもって受け止められていることです、
シェフィールド大学の自然科学ソービー教授であり同誌のコメントの著者であるデイビット・ビーアリング王立協会フェローは
このように感想を電子メールで寄せてくれた。

 



植物の流体作用に関するニュートンのメモの内容については全くと言っていいくらい知られていないものの、
ペストを避けるため1665年の夏にケンブリッジを離れウールスソープのマナーハウス(リンカンシャー)に帰郷した際には、
ニュートンは手元にそのノートを持っていたと考えられる。
「これは想像ですが、一時的にイングランドの片田舎に滞在していたからこそ、
ニュートンは植物について記述をする気になったのかもしれません。
ただ、これは本当に完全に憶測に過ぎないことですが。」
このノートは最初、「出版するに値しない」とニュートンの遺言執行者に判断された。
しかし、後に1872年になって、ポーツマス5世伯爵によってケンブリッジ大学図書館に遅まきながら寄贈された。
「大抵の人々の頭の中では、ニュートンの植物との関わり合いと言えば、
あの有名なリンゴが木から落ちたこととそれによる重力の発見が全てです。
しかし、ニュートンの学部生時代のノートの1冊の中に埋もれていた記載内容は、そうではなかったということを指し示しています。」
と同誌ではコメントされている。