2015年1月13日(火)
2014年12月16日(火)日本経済新聞 公告
第3回韓国政策金融公社円貨債券(2011)、第5回韓国政策金融公社円貨債券(2014)、第6回韓国政策金融公社円貨債券(2014)に関する公告
本件照会窓口:島崎法律事務所
(記事)
2015年1月13日(火)日本経済新聞 公告
ブラジル国営石油公社のスタンドバイ買取義務付および
国際協力銀行保証付A号ペトロブラス・インターナショナル・ファイナンス・カンパニー円貨社債(2006)(適格機関投資家限定)
に関するお知らせ
本件照会窓口:島崎法律事務所
(記事)
【コメント】
どちらのプレスリリースにも、外国法人の社名や円貨債券といった難しい言葉が書かれてあり、
一見、とっつきにくいなと思うかもしれませんが、
要点だけを大まかに言えば、社債を発行していた会社(消滅会社)が他の会社(存続会社)に吸収合併されましたので、
消滅会社発行の社債も関しても存続会社へ包括的に承継されました、という内容に過ぎません。
合併においては、消滅会社の権利義務は包括的に存続会社の方へ承継されますので、
消滅会社の社債も包括的に存続会社へ承継されるわけです。
いわゆる合併においてはよくある話だと思います。
本来であるならば、権利も義務も法律上の人その人のみに独占的・排他的に帰属するわけですから、
仮にその人が法律的に消滅するようなことがあれば、その人に帰属していた権利も義務を全て消滅します。
「その人が法律的に消滅する」とは、自然人であれば基本的には文字通り「死亡」を意味しますし、
法人であれば基本的には「清算(手続きの完了)」を意味します。
自然人の相続という場面であれば、相続人(親族関係者)は被相続人(死亡者)の権利と義務を包括的に承継することになります。
元来、法理的には、相続人は被相続人の全ての権利と全ての義務を包括的に承継しなければなりません。
現行の民法では「相続の放棄」が法律上認められていますが、元来は「相続の放棄」は認められません。
本来「相続の放棄」は認められない理由は、上手く言えませんが、家の制度を「1つの家で1単位」という捉え方をしていたからだと思います。
その意味では、自然人の場合は、死亡してもある意味その人に帰属していた権利や義務は消滅しない、と言っていいのかもしれません。
しかし、「権利も義務も法律上の人その人のみに独占的・排他的に帰属する」というのが権利と義務に関する基本的考え方ですので、
自然人に帰属していた権利と義務は死亡により消滅する、という捉え方を理解のベースにするべきだと思います。
ただ単に、自然人の場合は権利と義務の相続ということが行われる(からたまたま消滅しない)、というふうに理解するべきなのだと思います。
相続の場合でも、権利者・義務者自体はやはり変動している(つまり、被相続人から相続人へ変動している)わけです。
死亡者に帰属していた権利と義務は死亡により消滅する、という権利と義務の捉え方をするべきかもしれません。
死亡者に帰属していた権利と義務は、死亡と同時に相続人が「改めて」引き継いだ(承継した)、という整理の仕方をするべきかもしれません。
周りから見る分には、死亡者に帰属していた権利と義務は変わらないように見えるだけ、ということだと思います。
周りから見る分には何も変わらない理由は、家の制度を「1つの家で1単位」という捉え方をしているからだと思います。
このような自然人に帰属してる権利と義務の承継が行われるのは「死亡」という自然人にとって究極の事態が起こったからに過ぎません。
基本的考え方は、自然人から自然人へはたとえ親子の間でも権利と義務の承継は行われない、と整理するべきでしょう。
親と子はそれぞれ独立した法律上の人、というだけであり、親が締結した何らかの契約と子が締結した何らかの契約とは関係がありません。
人が生きている状態では、家の制度は関係なく、あくまで「その1人の法律上の人で1単位」という捉え方になります。
その人1人だけで独立した法律上の人だ、という捉え方になります。
自然人の場合は相続ということがありますから逆に話が分かりづらくなってしまったかもしれませんが、
法人の場合は「清算(手続きの完了)」により、清算された法人に帰属していた権利と義務は全て消滅します。
その理由は、法人は「1つの法人で1単位」という捉え方をしているからだと思います。
清算された法人に帰属していた権利と義務を他の自然人や法人が承継するなどということはないのです。
ただ、会社法に定義される合併という法律行為を行う場合のみ、
清算された法人に帰属していた権利と義務を他の法人が承継するいうことが起こる(可能である)というだけなのです。
清算された法人に帰属していた権利と義務をある自然人が承継することはできません。
清算された法人に帰属していた義務であれば、法律上の義務はないものの、社会的責任において自然人の私が代わりに支払います、
というようなことはあるかもしれませんが、
清算された法人に帰属していた権利の場合は、自然人が承継するということはやはりできません。
法制度としては、清算された法人に帰属していた権利に関しては、残余財産の分配という手続きを経て、
株式会社であれば最後は株主に帰属する、という形になります。
株式会社が清算される場合は、株式会社に帰属していた権利と義務はある自然人が包括的に承継する、
というような特約を株式会社と自然人間で締結できるのかどうか。
そのような法律行為は会社法には定義されていないので、株式会社はそのような法律行為は会社法上行えない、
というような解釈になる気がしますが。
仮に、株式会社に帰属していた権利と義務は自然人が包括的に承継するとして、株式・株主の取り扱いはどうなるのか、
という問題があるでしょう。
例えば、株主に帰属する残余財産が0であることは、厳密には清算の手続きを進めていってはじめて分かることのはずでしょう。
また、手許現金は豊富で債務は0の場合であっても、承継に際して株式をどう取り扱えばいいか全く分からない気がします。
株式会社に帰属している権利と義務を自然人が包括的に承継する、というのは概念的にも考えるのが難しいと思います。
いずれにせよ、基本的考え方は、清算された法人に帰属していた権利と義務は全て消滅する、です。
ただ、会社法に定義される合併という法律行為を行う場合のみ、
清算された法人に帰属していた権利と義務を包括的に承継する法人がいるというだけなのです。
そして、合併の場合であっても、権利者・義務者自体はやはり変動している(つまり、消滅法人から存続法人へ変動している)わけです。
法人においても、権利も義務も法律上の人であるその法人のみに独占的・排他的に帰属する、と基本的には考える必要があるわけです。
このたびの公告は、消滅した法人が発行していた債券は存続する法人へと承継された、という内容ですが、
やはり正確に言えば、存続する法人は完全に同一内容の債券を「改めて」債権者に対して新たに発行した、ということになります。
消滅した法人が発行していた債券そのものは、やはり消滅しているのです。
債権者が保有している債券は、消滅法人が発行した債券ではなく、やはり存続法人が新たに発行した債券なのです。
存続法人が新たに発行した債券は、消滅法人が発行していた債券と完全に同一内容だから、たまたま問題は生じない、というだけなのです。
自然人における相続と法人における合併は、似ているといえば似ているかもしれません。
しかし、自然人の場合は「1つの家で1単位」という捉え方になります(「家の制度」が社会制度上の大前提とされている)ので、
その包括的承継は自然・当然に感じられるのに対し、
法人の場合はあくまで「1つの法人で1単位」という捉え方になりますので、
その包括的承継は特段の意思に基づいた行為であると感じられます。
法人には家の制度はなく、法人には自然人でいう「死亡」はないわけです。
また、そもそもの話として、法人を設立すること自体は自然人の誕生とは異なり極めて容易であるわけです。
自然人における相続と法人における合併は、生命や家の制度という点において決定的に異なると言えると思います。
また、自然人の場合は「1つの家で1単位」という捉え方になります(「家の制度」が社会制度上の大前提とされている)ので、
承継したくなくても必ず包括的承継を行わなければならないのが自然・当然に感じられるのに対し、
法人の場合は、あくまで「1つの法人で1単位」という捉え方になりますので、
逆に、概念的な話になりますが、どこか包括的承継を行わない方が自然・当然に感じられる部分もあります。
あくまで感覚的な話になりますが、法人の場合は包括的承継に必然性を感じないわけです。
これはあくまで自然人と比べた場合の差異になりますが。
包括的承継に対する社会的強制力の有無の違い、が、この感じ・感覚の原因かもしれませんが。
もちろん、経営戦略上、法人が包括的承継を行うことはあってもいいとは思いますが。
今日の要点を端的にまとめますと、自然人における相続であろうが法人における合併であろうが、
承継される者に帰属していた全ての権利・全て義務自体はやはり消滅している、そして、
権利者・義務者自体は承継される者から承継した者へとやはり変動している、
という捉え方をしなければならない、となります。