2014年12月23日(火)
昨日のコメントの続きを書きたいと思います。
昨日は、
>しかし、株式会社の場合は、所有している固定資産について減価償却手続きを行わない(減価償却費を費用計上・損金算入しない)ことは
>認められません。
>まず、減価償却費を費用計上しないと、減価償却費の分、資本(利益剰余金)が水増しされていることになります。
>つまり、減価償却費の分、会社財産の社外流出可能額が増加してしまうわけです。
>ですから、株式会社の場合は、債権者保護の観点から、減価償却費を費用計上しないことは認められないのです。
と書きました。
ただ、昨日のこの書き方も、どこか減価償却手続きを前提とした書き方になってしまっているなと思います。
昨日は、「減価償却費を費用計上しないと、減価償却費の分、資本(利益剰余金)が水増しされている」と書きましたが、
何を基準として見た場合に資本(利益剰余金)が水増しされていることになるのか、
と考えてみると、昨日のコメントがどこか減価償却手続きを前提としていることに気付くと思います。
つまり、「減価償却手続きを前提とすると資本(利益剰余金)が水増しされている状態になる」と昨日は上記のように書いたわけですが、
では、「減価償却後の価額から比較すると資本(利益剰余金)が水増しされている」とは言っても、
減価償却手続きを行おうが行うまいが、固定資産の価額が帳簿に依然として残っている状態であることには変わりはないわけです。
端的に言えば、「帳簿に残してよい固定資産の価額とは何か」という議論になります。
何かの基準にできるほど、「減価償却後の価額はそんなに固いのか」という話になるわけです。
債権者から見れば、会社は減価償却手続きを正しく行っているとは言っても、
減価償却後の価額が回収可能な価額を表しているわけではないではないか、と言いたくなるかもしれません。
つまり、帳簿に固定資産の価額の残っている時点で資本(利益剰余金)の水増しではないか、と言いたくなるかもしれません。
会社がいくら「いえ、これは税法上の手続きに則っています」と言っても、債権者は納得しないでしょう。
なぜなら、債権者の立場からすると、減価償却後の価額は回収可能な価額を表しているわけではないからです。
現に、昨日の日本郵船株式会社の場合、保有している船舶について正しく減価償却手続きを行ってきているにも関わらず、
いざ売却をしようと思うと”含み損”を抱えているわけです。
含み損の分、固定資産は回収できていない、つまり、その分相対的に現金は社外流出してしまったことと同じであるわけです。
つまり、会社は固定資産に関する費用(取得価額)は全て負担し終わっていないにも関わらず、
減価償却手続きという言わば費用計上の先送りという手段によって会社は利益を計上し、
株主は配当金を受け取るというのはおかしいのではないか、というふうに債権者からは見えるわけです。
減価償却手続きの途中で会社が倒産した場合、本来は債権者に帰属していなければならないはずの現金が、
株主に配当金という形で既に社外流出してしまっているわけです。
税法上の減価償却手続きは、債権者に対する免罪符にはならないわけです。
少なくとも債権者から見れば、税法上の減価償却手続きや減価償却後の帳簿価額は、全く固くないわけです。
ここでの固くないとは、債権回収の根拠にはならない、という意味です。
税法上の減価償却手続きや減価償却後の帳簿価額は、債権者にとって債権回収の確たる根拠ではないのです。
債権者の立場に立てば、
「株主に配当金を支払うのは、減価償却手続きが全て終わって固定資産の価額が0になってからにしてもらえませんか。
そして、棚卸資産についても同様に全て費用計上してからにしてもらえませんか。」
と会社に言いたくなるかもしれません。
要するに、税法上の減価償却手続きに則っていると聞くと、何かそれが1つの確たる基準であるかのように感じるかもしれませんが、
債権回収という観点に立つと、全くそうではないと分かるわけです。
債権者にとって、債権回収の唯一の引き当ては会社財産のみであるわけですが、
その会社財産は資本金制度により社内に留保されているわけです。
その資本金額に対応する会社財産は換金性が高いものでなければならず、決して費用計上先送りの固まりであってはならないわけです。
債権者の立場から見れば、資本金額に対応する形で社内に留保されている会社財産は、
売れ残りの棚卸資産であってはならず、また、回収が不可能な固定資産であってはならないわけです。
現に、昨日の日本郵船株式会社の場合、保有している船舶について正しく減価償却手続きを行ってきているにも関わらず、
会社が保有している船舶の価額には”含み損”を抱えているわけです。
債権者にとって、「債権回収の唯一の引き当ては会社財産のみである」という状態を担保するためには、
少なくとも資産の価額に”含み損”はあってはならないわけです。
おそらくこれが、減価償却手続きとは別に、いわゆる資産の減損処理を適正に行わなければならない理由でしょう。
特に債権者にとっては債権回収が唯一と言っていい目的ですから、この文脈での回収可能な価額とは、
その固定資産を稼動させた場合の回収可能な価額を指すのではなく、純粋に固定資産の売却可能な価額を指すことになると思います。
債権者にとっては、税法上の減価償却手続きを経た価額には何の意味もありません。
債権者にとって意味がある価額とは、回収可能な価額、それだけなのです。
以上の議論を逆から言えば、その固定資産の収益性は極めて高い(回収可能な価額は大きい)ままなのであれば、
減価償却手続きにより固定資産の価額を切り下げていく必要はない、
という考え方も株式会社の概念としてはあるように思います。
債権者にとっても、煎じ詰めれば債権者は債権回収さえできればよいわけですから、
本当にその固定資産の収益性は極めて高い(回収可能な価額は大きい)ままなのであれば、
費用の先送りの結果利益を計上しようが株主が配当金を受け取ろうが全く構わない、ということになるわけです。
ただ、「その固定資産の収益性は極めて高い(回収可能な価額は大きい)」ということは誰にも保証できないことであるわけです。
債権者にも「その固定資産の収益性は極めて高い(回収可能な価額は大きい)」ということは分からないわけです。
したがって、やはり固定資産の価額は早期に(できれば現金支出と同時に)費用計上するべき、
という考え方に行き着くわけです。
その「固定資産の価額を費用計上する」方法の1つが、税法上の減価償却手続きであるわけです。
そしてその税法上の減価償却手続きが、現代では(債権者にとってはともかく)極めて強い根拠のある基準・目安とされているわけです。
さらに「固定資産の価額を早期に(できれば現金支出と同時に)費用計上する」方法の1つが、いわゆる減損処理であるわけです。
債権者にとっては、減損処理後の価額の方が減価償却後の価額よりもはるかに根拠があると言えるでしょう。
なぜなら、減損処理後の価額はまさに回収可能な価額を表すからです。
その意味において、債権者にとっては、会社が税法上の減価償却手続きを行うことは相対的に重要ではない、という言い方ができるわけです。
この考え方を突き詰めていけば、その固定資産の収益性は極めて高い(回収可能な価額は大きい)ままなのであれば、
債権者にとっては減価償却手続きにより固定資産の価額を切り下げていく必要はない、となるわけです。
ただ先ほども書きましたように、本当にその固定資産の収益性は極めて高い(回収可能な価額は大きい)ままなのかどうかは
債権者にとっても分からないわけです。
ですから当然、債権者は会社に対し、「固定資産は可及的速やかに全額を費用計上して下さい」と言うわけです。
一方で、株主としては、費用計上せずにできるだけ多くの配当金を受け取りたいわけです。
現金はできるだけ社外流出させて欲しくない債権者と、できるだけ多くの配当金を受け取りたい株主との間で、綱引きが始まるわけです。
そこで、固定資産を費用計上していく1つの目安が、他ならぬ「税法上の減価償却手続き」であるわけです。
他の言い方をすれば、「税法上の減価償却手続き」が、費用計上の方法として、
両者が納得する1つの落としどころ・一種の妥協点になっている、と言えるわけです。
実は、会計理論上は、「税法上の減価償却手続き」には理論的根拠はない(と言っていい)わけです。
極端に言えば、減価償却期間というのも、それに区分される資産に共通の、最大公約数的な年数に過ぎないと言いますか、
非常に大まかな目安に過ぎないわけです。
しかし、現実には巨額の固定資産を取得時に全額費用処理するというのはある意味極端な部分があるとも言えますので、
費用計上していく基準として、透明性・公正性・客観性を担保するために、減価償却期間が予め明確に定められているわけです。
それで、現代では、「税法上の減価償却手続き」は単なる費用計上の目安としてではなく、
透明性・公正性・客観性を持った1つの費用計上の明確かつ強力な基準として社会的に見なされているわけです。
債権者としては、会社に対し「固定資産は可及的速やかに全額を費用計上して下さい」と本当は言いたいところなのですが、
「固定資産を取得時に全額費用計上しなくてよいのは、税法で定められています。」と会社が言えば、債権者は黙る他ないわけです。
「税法で定められている。」という言葉は、株式会社制度においても「この紋所が目に入らぬか?」と言われたことと同じであり、
「税法上の減価償却手続き」は、錦の御旗や桜の代紋のようなものだと思うしかないわけです。
債権者にとっては、「税法上の減価償却手続き」を経た後の帳簿価額は回収可能額を表しているわけではないことには変わりないのですが、
税法には根拠はないけど根拠はある、と諦めるしかないのだと思います。
結局そこは、やはり資産の減損処理によってカバーしていくことが商法制度上株式会社には求められるのだと思います。
債権者としても、会社が行っている税法上の減価償却手続きそのものには口を出す気はないにしても、
資産の減損処理は適正に行うよう、会社に要求すべきことなのだ(債権者に言われなくても会社は減損処理は行うべきですが)と思います。
以上の議論は、固定資産全般についての議論になります。
「不動産以外の有形固定資産」(例えば日本郵船株式会社保有の船舶)に関しては、理論上は上記書きました内容がそのまま当てはまります。
しかし、不動産という有形固定資産だけは、上記の内容が当てはまらない部分があります。
それは、昨日も書きましたように、不動産は社会的に極めて流動性が高いものとされているからです。
社会的理由により、建物は減価償却後の帳簿価額で必ず売却でき、土地は時価で必ず売却できます。
建物は減価償却後の帳簿価額で現金同等物であり、土地は時価において現金同等物なのです。
したがって、特に建物の場合は、回収可能額という観点から言えば、減価償却後の帳簿価額を下回ることがない、ということになるのです。
つまり、建物に関しては、社会的な理由により、結果として、減損処理を行う状況自体が生じない、ということになるわけです。
土地に関しては、同様に、もはや言うまでもないわけです。
その意味において、債権者は、社会的に理由により、不動産(建物と土地)に関しては、
税法上の減価償却手続き以上に固定資産の減損処理を行うように会社に要求する場面というのは全くないわけです。
なぜなら、税法上の減価償却手続きを経た後の価額が、回収可能な価額以上の価額であることが保証されているからです。
不動産にまつわる”社会的理由”に関しては、債権者の興味関心利益の対象外、と言ったところだと思います。
債権者の興味関心利益は、債権回収の一点であるわけです。
From a viewpoint of creditors, the tax law is never a pardon, but an
official
crest.
(債権者の立場からすると、税法は決して免罪符ではないのですが、諦めるしかないものなのです。)