2014年12月19日(金)
2014年12月18日
株式会社エーワン精密
自己株式の取得及び自己株式の公開買付けに関するお知らせ
ttp://www.a-one-seimitsu.co.jp/20141218.pdf
2014年12月18日
株式会社電通
固定資産の譲渡および特別利益の計上に関するお知らせ
ttp://www.dentsu.co.jp/news/release/2014/1218-003906.html
>5.業績への影響
>当該固定資産の譲渡に伴う連結(日本基準)ベースの固定資産譲渡益約241億円(個別(単体)では約198億円)については、
>譲渡手続きが完了する平成27年3月期第3四半期において、特別利益として計上する見込みです。
>また、連結(IFRS)ベースの固定資産譲渡益は約294億円となる見込みです。
やや日本語が分かりづらい部分があるのですが、プレスリリースの内容を簡単に要約しますと、
このたび、株式会社電通および株式会社電通の連結子会社である株式会社電通ワークスが所有する固定資産4物件を譲渡するわけですが、
そのうち、株式会社電通自身が所有している固定資産は3物件、株式会社電通ワークスが所有している固定資産は1物件となります。
そして、このたびの固定資産の譲渡の結果、連結(日本基準)ベースでは241億円、単体(日本基準)ベースでは198億円、
固定資産譲渡益を計上する見込みとなっています。
また、連結(IFRS)ベースでは、294億円、固定資産譲渡益を計上する見込みとなっています。
固定資産譲渡益を計上するのは、譲渡手続きが完了する「2015年3月期第3四半期」(物件引渡日予定日は平成26年12月24日)の予定です。
まず、各価額に関してなのですが、プレスリリースには、当該固定資産の譲渡については競争入札方式を採用したと書かれてあり、
譲渡価額は競争入札によって決定した、ということだと思います。
固定資産の売却に一番高い価額で応札した買い手がその価額で買ったのだと思います。
理論上は、固定資産であっても売り手と買い手との間で譲渡価額は自由に決めてよいわけです。
固定資産は帳簿価額により譲渡を行わなければならないという理論的根拠は全くありません。
しかしながら、税務理論の観点から言えば、固定資産の譲渡に際しては、買い手は売り手から固定資産の帳簿価額を引き継がねばなりません。
その理由は、減価償却手続きです。
税務理論上は、ある1つの固定資産とその固定資産の価額とは1対1でなければならないわけです。
固定資産そのものには変動はないのに、所有者が変わっただけなのに、固定資産の価額だけが変動するというのはおかしいです。
所有者が変わっても、固定資産そのものには変動はない以上、固定資産の価額には変動は生じないわけです。
固定資産の価額が変動すると何が問題かと言いますと、未償却残高が変動することが問題であるわけです。
帳簿価額よりも高い価額で譲渡を行いますと、固定資産の価額が大きくなるわけですが、
それは同一の固定資産の未償却残高だけが大きくなる、ということを意味するでしょう。
固定資産の未償却残高だけが大きくなってよいのでは、資本的支出を行った場合のみでしょう。
資本的支出を行った場合は、固定資産そのものが改良されたわけですから、固定資産の価額が大きくなっても矛盾はないわけです。
しかし、譲渡を行った(所有者が変わっただけの)場合は、固定資産そのものに変動はないわけですから、
固定資産の価額にも変動が生じるのはおかしい、という考え方に理論上はなるわけです。
見方を変えれば、税務当局からすれば、物理的には全く同一の固定資産なのに、
その固定資産の減価償却額の総額が途中で変動するのはおかしい、という言い方になると思います。
固定資産の減価償却額の総額を同じにするために、買い手は固定資産の未償却残高もそのまま引き継がねばならない、
ということになると思います。
これは固定資産を中心に据えて減価償却手続きについて考察してみますと、この考え方になるかと思います。
固定資産というのは、価額が非常に固いものであると思います。
「その固定資産の価額は今はこの価額でなければならない。」という側面が非常に強いと思います。
これは社会的理由・政策的理由からではなく、減価償却手続きの本質が理由です。
固定資産では、一番最初の価額(原始取得価額)を極めて重要な価額と捉えなければならないわけです。
なぜなら、その一番最初の価額(原始取得価額)が減価償却手続きの基礎になるからです。
その固定資産の減価償却額の総額は、一番最初の取得時に確定する、と考えなければならないのだと思います。
発生主義会計における減価償却手続きでは、減価償却期間の最後までその固定資産を稼動させることが暗黙の前提であるわけです。
そうでなければ、減価償却手続き自体が成り立たないわけです。
そのことを考えますと、たとえその所有者が途中で変わろうとも、固定資産の価額が変わるのはおかしい、という考え方になるわけです。
確かに、買い手には、固定資産の譲渡に際して売り手と同意した固有の譲渡価額というものがあり、
その譲渡価額が買い手にとっての取得価額となるわけです。
この場合、確かに買い手から見た場合の固定資産の取得価額は売り手の譲渡時の帳簿価額からは変わっているわけです。
しかし、固定資産そのものには何の変動もないわけです。
そして、所有者が変わろうとも、減価償却期間の最後までその固定資産を稼動させることが暗黙の前提であることにも変わりはないわけです。
そういったことを考えますと、減価償却手続きとは固定資産の取得者がその取得価額を費用化していく手続きではあるものの、
そこで言う固定資産の取得価額とは、以前の所有者(売り手)から新しい所有者(買い手)が取得した際の価額という意味ではなく、
以前の所有者(売り手)が一番最初に取得した際の価額という意味になるわけです。
一般的には、物の所有者が変わると、その物の取得価額も変わる(譲渡価額が新しい取得価額になる)わけですが、
固定資産に関しては、減価償却手続きを前提としているため、
その所有者が変わってもある意味その固定資産の取得価額は変わらない(譲渡価額に関わらず固定資産の取得価額そのものは同じなまま)、
という考え方になるわけです。
譲渡が行われようとも、その固定資産は従来からの減価償却手続きの最中である(だから価額は変えられない)、と言えばいいでしょうか。
以上の論点を現金主義会計で考えてみるとどうなるでしょうか。
現金主義会計では、全ての物は取得時に費用となり売却時に収益となります。
この考え方で行きますと、固定資産であっても全く自由な価額で譲渡できるということになります。
何かの価額を引き継ぐという考え方自体がないわけです。
発生主義会計の場合とは異なり、買い手にとっては、譲渡価額(取得価額)がそのまま費用の金額ということになるわけです。
売り手の取得価額は買い手には全く関係ないわけです。
こう書きますと、発生主義会計と現金主義会計とで固定資産の価額の取扱いが矛盾しているのではないかと思われるかもしれませんが、
減価償却手続きを前提にしている場合は、「固定資産の価額が先に決まっている」という見方をしなければならないわけです。
他の言い方をすれば、減価償却手続きが原因で固定資産の価額は決まっている(価額を決めなければ減価償却手続きが行えない)、
ということになると思います。
理論上は、減価償却後の帳簿価額は特段固定資産の処分価額を表すわけではないわけです。
しかし、「今その固定資産の価額はこの価額である」と決めなければ、減価償却手続き自体が行えないわけです。
発生主義会計においては、棚卸資産であれば、販売実現時まで費用とはならないわけです。
しかし、固定資産は、販売を行わなくても費用となるわけです。
会計理論上、この差は極めて大きいわけです。
発生主義会計においては、資産毎に取扱いに差異があると言いますか、資産毎に考え方を大きく変えないといけないわけです。
現金主義会計であれば、全ての資産に関して、現金収入(収益)・現金支出(費用)一本であるわけですが、
発生主義会計においては、減価償却手続きを行う以上、固定資産に関してはそのような考え方を行う(その考え方を所与のものとする)、
ということを議論の・理論の前提とする他ないわけです。
固定資産と減価償却期間は1対1に対応しており、当然、固定資産は取得価額と未償却残高とも理論的なつながりがあるわけです。
固定資産の譲渡が行われた際、買い手が新たな取得価額へと固定資産の価額を変えてしまいますと、
売り手がそれまで行ってきた減価償却手続きは何だったのか(各期に計上した減価償却費や未償却残高は間違いだったのか)、
という話になってしまうわけです。
それほどまでに固定資産の価額は固くないといけないわけです。
したがって、固定資産の譲渡に際しては、売り手と買い手でその譲渡価額自体は自由に決めてよいものの、
取得に関しては買い手は売り手の固定資産の帳簿価額を引き継がねばならない(そうでなければ減価償却手続きの連続性が失われる)、
ということになるわけです。
棚卸資産であれば、特段買い手は売り手の棚卸資産の帳簿価額を引き継がねばならないなどということはありません。
なぜなら、棚卸資産は減価償却手続きを行わないからです。
減価償却手続きが資産の価額の固さを要求するわけです。
そして、発生主義会計と減価償却手続きを前提としている場合、
実は、固定資産は、理論上は譲渡することを前提とはしていないということになるのではないか、とすら思えます。
減価償却手続きの途中で譲渡をするとなりますと、買い手は減価償却手続きを引き継がねばならないわけですが、
それでは、理論上、自由な価額での譲渡ができないということになるわけです。
理論上は、固定資産の帳簿価額と譲渡価額との差額に説明が付けられないのではないかと思います。
売り手と買い手は資産を譲渡しただけです。
寄附が行われたと考えるのはおかしいわけです。
減価償却手続きでは、一番最初の取得者が減価償却期間の最後まで減価償却を行い続けることが理論上の前提なのではないか、
という気すらします。
発生主義会計においては、棚卸資産は譲渡が前提ですが、固定資産は譲渡は前提ではない、という言い方ができるような気がします。
そうでなければ、棚卸資産は販売実現時まで費用とはならない一方、
固定資産は販売を行わなくても費用となることの理由・説明が付きづらいわけです。
仮に、固定資産に関しても譲渡は可能であると定義したいならば、全く別の要因がその前提として必要になってくると思います。
それはすなわち、「固定資産はその帳簿価額で現金化可能である」ことを担保することです。
「固定資産はその帳簿価額で現金化可能である」ことが担保されれば、
固定資産の帳簿価額と譲渡価額との差額は寄附であると見なすことができますし、
買い手は減価償却手続きを引き継ぐことができるわけです。
もっと正確に言えば、「固定資産はその帳簿価額とイコールの現金同等物である」と絶対的に見なさない限り、
固定資産の帳簿価額と譲渡価額との差額は寄附であるとは解釈できません(そう見なす根拠がない)し、
そう見なす場合においてのみ、買い手は減価償却手続き(売り手の帳簿価額)を引き継ぐことができるわけです。
「固定資産はその帳簿価額とイコールの現金同等物である」と絶対的に見なすことによって、
私人間の全く自由な資産譲渡においても、固定資産の公正な譲渡価額は常にその帳簿価額である、ということが、
担保もしくは文脈によっては強制できるわけです。
社会的には固定資産はその帳簿価額で必ず買ってくれるようなのですが、
その理由の1つして以上のような理論的背景もあるのではないだろうかと思います。
もう一言二言書きたいことがありますので、続きは明日書きたいと思います。
それと、以上今日私が書きましたことは、現行もしくは過去の法令等の定め等を参照して書いたわけではありませんし、
教科書に書かれていることを参考に書いたわけでもありません。
ただ、自分の頭で「理論的に整合性が取れる考え方はこうだ。」と考えて書いた内容になります。
ひょっとすると間違っている部分もあるかもしれませんが、その場合はご容赦下さい。