2014年10月27日(月)



昨日のコメントの訂正をしたいと思います。


まず、

>2014年10月24日(金) の記事に即して考えてみましょう。
>2株につき1株ずつ、市場株価の6割の価格で新株式を発行します。

と書きましたが、記事の内容に照らせばここが少し間違っていました。
2014年10月24日(金) の記事では、「6割低い」という書き方がされています。
権利行使価額(割当価格)は0.08香港ドル、前日終値(市場株価)は0.199香港ドル、ということで、
権利行使価額(割当価格)は前日終値(市場株価)の”6割の価格”ではなく、前日終値(市場株価)よりも「6割低い(=4割の)”価格、
というのが、記事の内容に即した権利行使価額(割当価格)になります。
昨日書いた内容は、権利行使価額(割当価格)は前日終値(市場株価)の”6割の価格”、と考えた場合の話になります。
権利行使価額(割当価格)は前日終値(市場株価)よりも「6割低い(=4割の)”価格、と考えた場合は、
参考までに書きますと、株主割当増資直後の市場株価は、株主割当増資直前の市場株価の

(1+0.4×0.5)÷(1+0.5) = 0.8

に機械的に切り下げればよい、ということになります。

 


次に、

>すると、PBRは一定だとしますと、株主割当増資直後の市場株価は、株主割当増資直前の市場株価の
>
>(1+0.6×0.5)÷(1+0.5) = 0.8666...
>
>に機械的に切り下げればよいのではないでしょうか。

と書きましたが、文中のこの「PBRは一定だとしますと」は削除して下さい。
「PBRは一定だとしますと」という文言は不要と言いますか、あると意味が通じなくなります。
文中のこの「PBRは一定だとしますと」は、ない場合が正しい文章です。
PBRは一定ではない場合の考え方が昨日の考え方になります。

 


それで、昨日書いたコメントに追加して書きたいことがあります。
PBRは結果として株主割当増資前後で変化することになるわけですが、
昨日蛇足で書いてしまったように、「PBRは一定だと仮定する」と、どのようなことが考えられるでしょうか。
「株主割当増資後の前後でPBRは一定である」と仮定する場合の考え方について書いてみました。
それと、昨日の考え方は、考え方の背景を書けば、
「株主割当増資後の株式時価総額=株主割当増資前の株式時価総額+増資額」
ということを前提にした考え方になります。
両方のパターンについて記述しました。
具体的には次の資料を見て下さい。

「資料」(PDFファイル)

「資料」(キャチャー画像)

 


少しだけ補足をします。
まず、「株主割当増資後の株式時価総額=株主割当増資前の株式時価総額+増資額」と考える理論的背景ですが、
これは、増資をしたというだけですと企業にはただ単に手許現金が増加したという影響しか及ぼしませんので、
増資による企業価値の増加額は手許現金の増加額(=増資額)に限られる、と考えているわけです。
企業は現金を何かに投資をして企業価値を上げていくわけです。
したがって、株主割当増資を実施した直後は、株式時価総額は増資額分しか増加しない、とここでは考えているわけです。

Cash is mere cash, but once invested, it turns into something different which may or may not generate another cash.
(現金は現金に過ぎません。
しかし、その現金を何かに投資した後は、現金は新たな現金を生むかもしれないし生まないかもしれない以前とは異なる何かに変わります。)

 

次に、「PBRは一定だと仮定する」理論的背景についてですが、
これは、「1株当たりの資本額」という確定したといいますか、少なくとも一つのぶれようのない株式の公正な価額が現にあるにも関わらず、
それとは異なった価格で敢えて株式を売買しているということで、
そのプレムアム(割増率)には少なくとも株式市場にとっては十分な根拠があるのだ、と想定しているわけです。
100円の物を120円で買っている、その20%には十分な根拠や理由があるのであろう、とここでは考えているわけです。
そのプレムアムには企業価値を考える上で十分な根拠があるということなら、
そのプレムアムは株主割当増資前後で変わることはない、とここでは想定しているわけです。
株主割当増資を行った結果根拠のあるプレムアムが変わる、と考えることはおかしい、とここでは考えているわけです。
ですから、「PBRは一定だ」と仮定して考えてみました。

If a PBR is well-grounded, the PBR will never change as a result of any kind of new stock issue.
(PBRに根拠があるのなら、PBRはいかなる種類の新株式の発行が行われようとも決して変化はしないだろう。)




それから、以上の議論と関連することですが、結局のところ、株式の価額は貸借対照表の資本の部のみで判断するしかないわけです。
確かに、たとえ資本の部の内容と価額が全く同じでも、資産の部の内容と価額は千差万別ですし、負債の部の内容と価額も千差万別です。
しかし、それら一切の差異は各会社毎の営業内容や経営方針や事業目的の違いに過ぎない、
と考えるのが株式と呼ばれるもの考え方であるわけです。
価額が公正でありさえすれば、資産や負債のことは一切問わず、資本額のみで判断する、というのが株式であるわけです。
他の条件が同じなら、資産の内容は現金勘定が多ければ多いほど株式の価値は高いように感じるかもしれませんし、
他の条件が同じなら、負債の金額は少なければ少ないほど株式の価値は高いように感じるかもしれません。
資産は売れ残りの棚卸資産と稼動見込みが全くない有形固定資産ばかりの企業と資産は現金しかない企業とでは、
確かに、資産は現金しかない企業の方が倒産の可能性ははるかに低いでしょう。
また、確かに、自己資本比率が10%の企業よりも自己資本比率は100%の企業の方が倒産の可能性ははるかに低いでしょう。
しかし、資産の内容と価額や負債の内容と価額のことを言い出すとキリがないわけです。
また、それらはまさに企業毎に異なるわけですから、それらの差異は株式の価値に客観的に織り込みようがないわけです。
したがって、それらの差異は全て捨象し、株式の価値は資本額のみで判断することにしているわけです。
現金が他の資産に化け企業がそれだけの負債を抱えたのには経営上の正当な理由があってのことだ、
という商行為上の前提がある、と考えればよいのではないかと思います。
企業が倒産するような意思決定を株主がするはずがない、という言い方をしてもよいのかもしれません。
したがって、貸借対照表がいかに変化しようとも、株式の価値は資本額で不変である、
というのが株式と呼ばれるものの価値の判断の仕方なのです。
概念的・観念的に言えば、資産は全て資本に付随・リンクしているものですし、負債も全て資本に付随・リンクしているものです。
資本があるから、それら資産があるわけですし、それら負債があるわけです。
資産と負債の中心・土台が資本なのです。
ですので、株式の価値は資本額のみを見ればよいのです。


Conceptually, all the assets and liabilities are put together by shareholders' equity.
(概念的には、全ての資産負債は資本に集約される。)