2014年9月30日(火)
2014年8月19日
曙ブレーキ工業株式会社
スポンサー付きADR(米国預託証券)プログラム設立に関するお知らせ
ttp://v4.eir-parts.net/v4Contents/View.aspx?cat=tdnet&sid=1176647
ADR特集 ADRの仕組み〜ADRは株なの?(楽天証券)
ttps://www.rakuten-sec.co.jp/web/special/master_adr/master_adr_01.html
>ADRそのものは厳密には株式とは言えませんが、裏づけとなる株式から生じる経済的権利の全てを含む有価証券であるために、
>株式を保有するのとほぼ同じ効果を得ることができます。
と書かれています。
”実際には所有していないが所有しているかのように見せている”というのがADRの特徴なのだとは思いますが、
法律的に厳密に言えば、「株式を所有していることと同じ効果」を得ることはできないのではないか、と思いました。
解説サイト中の図を使わせてもらうことにして、
なぜ「株式を所有していることと同じ効果」を得ることはできないのか、解説してみました。
「債権では物権を補うことはできない。(Personal
rights can never fill in real
rights.)」
「株式を所有していることと同じ効果」を得ることはできない理由は、端的に言えば、「債権では所有権を作れない」からです。
解説サイト中の図で言えば、”両矢印A”が所有権という点で法律的には極めて大きな壁になるのだと思います。
このギャップ(”両矢印A”)を埋める法律がない。
「B社株」と「B社ADR」を結ぶものは極めて私的な契約に過ぎない。
これは債権と言えば一種の債権かもしれない。
しかし、株式の所有は物権のはず。
議決権は所有権に基づいています。所有権がある、だから、議決権があるわけです。
B社株を所有していないため、ADRだけではB社に対する議決権を主張できないと思います。
B社ADRの所有者にはB社の配当を受け取る権利もありません。
ADRと呼ばれる概念のものをどのように構築・制度設計しても、その所有者が原株を所有している状態には絶対なりません。
端的に言えば、原株とADRとでは国が異なるからです。
もう少し法律的に言えば、原株とADRとでは適用される法律が異なるからです。
日本の所有権を米国で作り出すことはできないのです。
預託銀行と原株保管銀行、そしてADRを設定した会社が、ADRを所有しているということで、
約束通り株主の一人として取り扱ってくれればもちろん何の問題も生じませんが、
例えば、ADRを設定した会社が
「ADRを所有していてもその所有者には議決権も配当を受け取る権利もない。なぜなら原株を所有していないからだ。」
と主張した場合は、
ADR所有者は対抗する手立てを何も持たないと思います。
ADR所有者は預かり証なりADRを購入したことの証書なりは所有しているかもしれませんが、
それと原株の権利とは法律的には直接的にはつながらないわけです。
原株を所有している、だから、原株に付随する権利(議決権や配当を受け取る権利など)を直接的に有していると主張できるわけです。
しかし、ADRでは、極めて間接的に権利を有してるに過ぎないのです。
ADRでは、私的な契約(債権関係)の積み重ねにより、仮想的・擬似的に原株を所有していることと同じ状態を作り出しているだけなのです。
どのように契約内容を詳細に定めようが、法律的には絶対に原株を所有していることにはならないのです。
債権では物権を作り出すことはできないのです。
この問題点の本質は、単に国が違うからということではありません。
日本国内であっても、「現に所有している」と「所有しているかのように見せる」は根本的に異なるわけです。
例えば、日本国内で、貸し株を行ったとします。
自分が所有している株式を人に貸して、
「この株式をあなたに貸します。自由に議決権を行使してよいですし、配当金もあなたが受け取ってよいですよ。」
と約束したとします。
ところが、株式を貸した人が約束を破ったとします。
その場合、株式会社はどちらに議決権があると考え配当金をどちらに支払わねばならないかと言うと、
株式の所有者の方であるわけです。
貸し株に関する契約書を株式会社側に見せても、「それは弊社には関係ありません。」と言われるだけでしょう。
株式を借りた人は、貸し株に関する契約書を根拠に、議決権があることや配当金を受け取ること権利があることは主張できないわけです。
これは端的に債権よりも物権の方が強いからと言ってもいいでしょうし、
債権によっては物権を作り出すことはできない、という言い方をしてもよいのだと思います。
株式の所有者は、株式に関して他に契約(債権)があろうとも、所有している株式を直接的・排他的に支配する権利を有している、
という言い方ができるのだと思います。
どこまでいっても所有権の方が強い、ということではないでしょうか。
民法の教科書には、「物権法定主義」という言葉が載っています。
法律で認められていない新しい物権や法律の規定とは異なる内容の物権を当事者の合意によって創設することはできない、
という定め・考え方(民法第175条)です。
物権は、物を直接・排他的に支配することができるという強力な効力があるので、取引の安全を図るため、
あらかじめ種類や内容を法律で定めておき、その内容の変更することができないとしたのである、
と民法の教科書には書かれています。
今まで民法を勉強してきて、
「物権法定主義」という考え方は何となく意味は分かるがすっきり理解したという感じがいまいちしないなあ、
とずっと思っていたのですが、
「当事者の合意によっては物権を作り出すことはできない」とはこのようなことなのではないでしょうか。
あらかじめ権利の強さの順位を明確にしておかないと、トラブルが生じた時に整理がつかないことになるのでしょう。
とにかく所有権が一番強いと定めておけば、問題の切り分けができるわけです。
上記の貸し株トラブルで言えば、「物権法定主義」により、まず借主と株式会社とを切り離すことができるわけです。
株式会社としては、所有権に基づき、株式の所有者に議決権と配当を受け取る権利を認めればそれでよいわけです。
あとは借主と貸主との問題だ、というだけでしょう。
借主と貸主とがどのようにこの問題を解決するのはは当事者間だけの問題だ、というわけです。
しかし、所有権と貸し株に関する契約書とではどちらが強いのかが明確でないと、トラブルの解決のしようがないわけです。
要するに、物権か債権かというより、「あらかじめ権利の強さの順位を明確にしておく」ということが法律の世界では大切だ、
ということだと思います。
そういうわけで、ADRに関しても、預託銀行と原株保管銀行、そしてADRを設定した会社が約束を守ってくれれば何の問題もないのですが、
法律というのは、トラブルを解決するもしくは未然に防ぐためにあるのだと思いますので、
今日はADRに潜在する法律的な問題点について考えてみました。
ところで、今日は「債権」を「personal
right」と訳しました。
債権は英語で「credit」や「claim」と言いますが、
債権とは元々「人に対する権利」という意味なのだと思います。
物権は英語で「real
right」なのに、債権が「credit」や「claim」では何かすっきりしないなあと思いましたので、
対照を際立たせるために、原義にしたがってここでは「債権」を「personal
right」と訳しました。
もちろん、物権は物に対する権利です。
「物権」が英語で「real
right」なのは、「人は当てにならへん」という意味なのかどうかは知りませんが。
"You can't judge a book by its cover."(人は見かけによらぬもの)
と言います。
物は人と違って裏表がありません。
You can judge a thing by its book value.(物は帳簿価額で判断できる)
といったところでしょうか。