2014年9月7日(日)



2014年9月6日(土)日本経済新聞 公告
株主名簿管理人変更のお知らせ
東邦レマック株式会社
(記事)






野村證券
証券用語解説集
株主名簿管理人(かぶぬしめいぼかんりにん)
ttps://www.nomura.co.jp/terms/japan/ka/kabu_mei_kanri.html

>株式会社からの委託を受けて、株主名簿の作成及び備置き、そしてその他の株主名簿に関する事務を、
>株式会社に代わっておこなう者のことである。平成18年5月1日に施行された会社法によって新しく規定された用語であり、
>従来の商法における名義書換代理人に相当する。
>証券代行機関、株式事務代行機関などと称されることもあり、通常、信託銀行等がこれにあたっている。
>株主名簿管理人を置くには、その旨を定款に定める必要があるが、会社法施行時に名義書換代理人を置いていた場合は、
>これが株主名簿管理人に移行した(定款に株主名簿管理人を置く旨の定めがあるものとみなされた)。

 


【コメント】
株主名簿管理人を新設する場合は、定款の変更が必要ですから、株主総会決議(定款変更)が必要です。
一方、具体的な株主名簿管理人の選任は取締役会決議となっているようです。
しかし、株主名簿管理人は実質的には会社の機関の一つだと思います。
そして、基本的には会社機関の選任は株主総会の専決事項だと思います。
したがって、株主名簿管理人の選任は株主総会決議が必要であるという考え方が正しいと思います。


株式会社における会社機関の設計に関して一言だけ書きます。
会社法上、株式会社が必ず設置しなければならない会社機関は、株主総会と取締役だけとなっています。
これら2つ以外の会社機関は、会社法上は設置は各株式会社の自由となっています。
ただし、取締役会が設置された場合は、取締役は会社の機関ではなくなり、取締役会の構成員に過ぎなくなります。
会社の代表者の設置義務については、会社法上は規定はどうやらないようなのですが、それは少しおかしいと思います。
仮に代表者がいないならば、業務執行を行う者が会社にいないという状態になるわけです。
会社に代表者がいないという状況というのは、商取引上・会社運営上・経営上絶対にあり得ないことだと言っていいでしょう。
したがって、大まかに言えば、取締役が一人の場合はその取締役が当然に会社の代表者(代表取締役)に就任し、
取締役が複数の場合は、取締役会設置会社においては取締役会決議により会社の代表者(代表取締役)を選任し、
非取締役会設置会社においては取締役の過半数の一致により会社の代表者(代表取締役)を選任する、
という手続きが必要であろうと思います。
”取締役が複数いる非取締役会設置会社”というのは、会社法上はあり得る形態のようですが、個人的にはよく分からないな、という印象です。
取締役が複数いる場合は必然的に取締役会を構成する、という考え方が自然である気はしますが。
経営上取締役が合議をするということは当然あろうかと思いますが、その合議の場・合議体・会議のことを取締役会と呼ぶのではないでしょうか。
会社に取締役は複数いるが合議はしない、ということは経営的にも法理的にもあり得ないようにも思えます。
会社の意思決定がバラバラになるのではないでしょうか。
むしろ、複数いる取締役の意思疎通を図り会社の意思を統一するための場が取締役会なのではないでしょうか。

 


細かいことを言い出すとキリがありませんが、「株主にとって取締役の意思とは何か?」という議論はあろうかと思います。
会社法上、取締役は会社の運営に関して意思を持っていると解釈されるかと思います。
取締役は会社の運営に関して意思を持っている、だから、取締役は取締役会を構成するわけです。
非取締役会設置会社においても、各取締役は法的に正式に意思表示をするわけです(だから意思決定に際し過半数の一致云々というわけです)。
そうしますと、各取締役は株主から委任を受けた形で社内そして社外に対して法的に正式に意思表示をしていることになりますから、
それは結局のところ、会社の代表者ということではないのか、という結論になるわけです。
つまり、取締役は全員が会社の代表者(会社法で言えば代表取締役)ということではないのか、という法理的な解釈になるわけです。
取締役会とだけ聞くと社内のみの話ではないかと思われるかもしれませんが、そんなことはありません。
取締役会決議は間違いなく社外に対して法的に正式に効力を持つ意思決定でしょう。
非取締役会設置会社においても同様であり、各取締役の意思表示は決して単なる内輪でのアンケートなどではなく、
全取締役の過半数の一致があれば、取締役会決議同様、社外に対して法的に正式に効力を持つ意思決定と見なされるわけです。
会社の意思決定に参加をしている、これは株主から委託を受けて社内外に意思表示をしていることと同じであるわけですから、
取締役は全員が会社の代表者(会社法で言えば代表取締役)でなければならない、という法理的な必然性があるように思います。
商取引上、取引の相手方に対しては取締役には表見代表取締役という考え方がありますが、
会社の意思決定に関しては、株主から見れば取締役は全員が代表者に見えるわけです。
会社の意思決定に参加をしていないのなら代表者ではないでしょうが。
意思表示をする、だから、代表者なのではないでしょうか。
株式会社において「代表する」とは、基本的には「会社を代表する」という意味ですが、
株主の代わりに会社の運営に関して意思表示をしたり意思決定をするという文脈では、「株主を代表する」という意味も含まれると思います。
ただ、株式会社の成り立ちから言えば、その「株主を代表する」者は株主というわけではない、というだけなのだと思います。
以上のようなことを考えますと、会社法の用語で言えば、
取締役は当然に全員が代表取締役に就任する、というのが法理的に正しい考え方なのだと思います。
「取締役の意思とは自分達の意思を代表しているものだ」、取締役を選任した株主にとってはそう見えるでしょう。

 


最後に、「株主は会社の機関なのか否か?」について一言だけ書きます。
今手元にあります会社法の教科書には、

>株主は株主総会という機関の一員であるとともに、代表訴訟の提起者となりうるように、それ自体が機関となることもある

と書かれています。
たった50字ほどの短い文ですが、非常に多くのことが盛り込まれた一文だと思います。
この一文からは以下のようなことが分かるかと思います。


○株主は会社の機関ではない
○会社の機関は株主ではなく株主総会である
○株主はあくまで株主総会の構成員というだけである
○取締役等に対して訴訟を提起するためには会社の機関でなければならない
○代表訴訟という文脈では株主は会社の機関である


まず、上3つは何の問題ないと思います。
結論を言えば、株主一人一人は会社の機関ではないのです。
株主は会社の機関ではない、だから、株主は登記事項ではないのだと思います。
また、株主総会は自然人でも法人でもなく会社組織における概念的な存在であり、さらに、
損害賠償その他の責任は対外的には一切負いませんので、株主総会は会社の機関ではありますが登記事項ではないのだと思います。

 



それから、法理的に言えば、下2つは少しおかしいと思います。
取締役等に対して訴訟を提起するためには会社の機関である必要は全くありません。
現に、債権者は取締役等に対して訴訟を提起できます。
そして、法理的に言えば、株主には取締役等に対して訴訟を提起する権利はありません。
なぜなら、他ならぬ株主自身がその取締役を選任したからです。
概念的には、取締役は株主の分身なのです。
自分で自分を訴えることはできないでしょう。
委任をするというのは、相手を信頼して任せる、という意味です。
株式会社で言えば、株主は取締役のことを信頼して会社の運営を任せた、という意味です。
もしその取締役を訴えるとなりますと、煎じ詰めれば、その取締役を選任しなければよかったではないか、
というところまで話がさかのぼるわけです。
委任契約の特徴として、委任契約は委任者と受任者の信頼関係のもとに成り立っているという点があります。
委任契約はあくまで当事者間の信頼関係を基礎をする契約です。
もちろん、受任者の義務として、善管注意義務がありますが、これは信義上のものに過ぎません。
より一般的な言い方をすれば、善管注意義務は「信義誠実の原則」から導き出される行動原則や規範に過ぎません。
「信頼を裏切らないよう、委任された業務内容を誠実に遂行しましょう」という、常識的な教訓が善管注意義務なのです。
受任者には取引関係に入った以上誠実に行動をする責任がありますが、委任者にも受任者を信頼した責任があるわけです。
少なくとも「委任者には委任という法律関係に基づく損害賠償請求権などはない」、という論理の流れがあると思います。
例えば取締役が会社のお金を盗んだとしたら、それは刑法か何かでその罪を問う(刑法の論理で罪を問う)ことになるわけであって、
民法上の委任関係に基づいて損害賠償を請求するという法理は委任にはないわけです。
これは、「委任に際し委任者は受任者を自由に選べるはずだ」という論理の流れが背景にあるからだと思います。
「委任者は信頼できない人物には委任しない。委任者は当然に信頼できる人物に委任したはずだ。委任者は受任者を自由に選べたはずだ。」
という論理の流れが背景にありますので、委任には損害賠償請求権はないのだと思います。
委任関係において委任者は受任者に対して損害賠償を請求できない、だから、株主は取締役に対して損害賠償を請求できないのです。
究極的な結論を言えば、株主代表訴訟などはない、ということになると思います。

 


このことに関連する論点として、債権者の損害賠償請求権があります。
取締役が会社に損害を与えた場合、債権者は取締役に会社に対して損害を賠償するよう請求する権利があるわけですが、
取締役がその損害を賠償し切れない場合は、債権者としては今度は株主に会社に対して損害を賠償するよう請求したいと思うわけです。
なぜなら、その取締役は株主が選任したからです。
先ほど、概念的には取締役は株主の分身だと書きましたが、それは株主にとってだけでなく、
債権者から見ても取締役は株主の分身なのです。
ですから、債権者は株主に損害賠償を請求したいと思うわけです。
この文脈では、株主が取締役を訴える(株主代表訴訟)どころではなく、ある意味正反対に、債権者が株主を訴えたいくらいだ、
ということになるわけです。
「よくもあんな奴を取締役に選任したな。選任した責任を取れ。」と債権者は株主に言いたいわけです。
通常のと言いますか、純粋に民法上の委任関係において、受任者が原因である損害が第三者に生じた場合、
損害を受けた者は直接的な原因である受任者だけではなく委任者の方にも損害賠償を請求できる、
という法理があるように思います。
損害を受けた者は委任者に対し委任した責任を問いたいと思うでしょう。
現行の民法でそのようなことが認められるのかどうかは分かりません(教科書にもあまり説明は載っていないようです)が、
委任という行為を法理的に考えていくと、委任者にも委任した大きな責任がある、という考え方があるように思います。
委任者が受任者を信頼するとは、受任者が発生させた損害は委任者が賠償する、という意味ではないでしょうか。
「委任者は損害を発生させるようなことはしない人物を自由に選べたはずだ」、という論理の流れが背景にあるように思います。

 



私が思うに、民法上定義される委任とは、本来は、
そもそも(受任者ではなく)委任者に多くの責任を負わせるための仕組み(定め)だったのではないか、という気がします。
「第三者に対しては、受任者の責任は委任者の責任」、という法理・論理のつながりがあるように思えます。
この点については自信はありませんが、委任について民法の教科書を読みながらあれこれ考えてみますと、そんな気がします。
もし私のこの考え(推測・推論というべきでしょうか)が正しいとすると、
商法制で特段に「株主は有限責任である」と定めた理由が分かる気がします。
商法制で特段に「株主は有限責任である」と定めない場合は、債権者は当然に株主に損害賠償を請求できることになってしまうからです。
株式会社では、出資を小口に分割しまた譲渡できるのが特長ですから、株主というのは非常に大勢いるということが前提であるわけです。
そして、出資を集めやすくするため、株式会社では株主は有限責任であることも制度設計上の前提であったわけです。
そうしますと、株式会社制度を法制度として確立しようと思えば、商法で特段に「株主は有限責任である」と定める必要が出てくるわけです。
民法上の委任関係では、委任者は何ら責任は負わないということが法理であるならば、
商法で特段の制度設計は必要なかったということになる気がするわけです(商法がなくても株主は自動的に有限責任になるから)。
以上の私の推理・推論・推測が全て正しいとすると、民法上定義される委任の法理のうち、
「第三者に対する委任者の責任」というものを株式会社制度設計のため商法が断ち切っている、と表現できるのではないかと思います。
民法は「委任者は第三者に対して責任あり」とし、商法は「委任者は第三者に対して責任なし」とした、
そう表現してもよいのではないかと思います。