2014年8月28日(木)
2014年8月28日
全労済
2013年度の決算公告について
ttp://www.zenrosai.coop/zenrosai/topics/2014/140828.php
【コメント】
全労済のサイトには、通常総会についてのページは見当たりませんでした。
ご契約者(組合員)の皆さまへ
ttp://www.zenrosai.coop/kumiaiin.php
このようなページならありましたが。
2014年8月27日
全労済
全労済『第118回通常総会』が終了しました 〜2013年度事業報告が承認され、2014年度計画等を決定しました〜
ttp://www.zenrosai.coop/zenrosai/topics/2014/140827.php
全労済は5月期決算のようです。
上記「2013年度の決算公告について」のページを読んでいて気付いた点についてコメントします。
このページの下の方に、「<表3>剰余金処分の要旨」が載っていますが、これは日付が少し違うと思います。
「2014年8月27日に承認・確定した『剰余金処分の要旨』」
とありますが、これは正確に言えば間違いです。
剰余金処分の要旨の日付は「2014年8月27日現在」(剰余金処分の要旨は2014年8月27日に確定した)と言わねばなりません。
貸借対照表及び損益計算書は確かに2014年5月31日に確定しました。
しかし、剰余金の処分内容は、2014年8月27日に確定したと言わねばなりません。
「剰余金処分の要旨」の内、当期未処分剰余金(28,690百万円)の価額だけは2014年5月31日に確定したと言えますが、
剰余金処分の具体的内容は2014年8月27日に確定したと言わねばなりません。
なぜならば、確定日が異なる理由は、剰余金の処分には出資者による承認が必要だからです。
決算には承認などありません。
しかし、剰余金の処分には承認が必要なのです。
それにしても、当期未処分剰余金の価額、当期剰余金の価額、剰余金処分額そして次期繰越剰余金の価額を見ると、
「当期に計上した利益は基本的には全額を何らかの形で処分している」ということに気付きます。
理屈では、各期に計上した利益はそのまま当期未処分剰余金に留保し続けていてもよいはずなのですが、
毎期別の勘定科目へ振り替えているようです。
具体的には、法定準備金と任意積立金に振り替えているようです。
「剰余金処分の要旨」には任意積立金取崩額が載っていますが、これは意味がよくわかりませんが。
剰余金の処分ということで、その後すぐ任意積立金に振り替えるのに、なぜわざわざ取り崩すのでしょうか?
(また、損益計算書にも任意積立金取崩額とあります(総会で承認が必要のはずです)が、これは何かの間違いでしょうか?)
それから、当期に計上した利益は、出資者への分配には全く使っていないようです。
当期に計上した利益を出資者へ全く分配していない理由は分かりませんが。
組合員(出資者)の解約(出資金の払戻し)に備えている(基本的には出資者は任意に脱退できるようです)、という考え方もできますが、
法人としては出資金の払戻しを前提に法人運営を考えるのはおかしいわけです。
なぜなら、法理的に考えていけば、「全出資者が脱退すると言い出したら法人はどうするのか?」という、
法人存続の根本に関わる問題が生じるからです。
手許現金が豊富にあれば、法人としては全出資金の払戻しに応じることは可能な場合もあると思います。
ただ、ここで言いたいのは、金銭的な意味で全出資金の払戻しに応じることは可能か否かではなく、
全出資金の払戻しに応じてしまったら出資者が一人もいなくなってしまうではないか、という点なのです。
では法人は清算するのか、という話になってしまうわけです。
もちろん、出資者が意思決定者ですから、出資者がそう望むなら法人は清算することになるでしょう。
ただ、ここでの論点というのは、そもそも出者は出資金を払い戻して欲しいと言っているわけですから、
出資者は実は法人清算を全く目的とはしていないわけです。
つまり、誰も法人清算など望んでいないのに、全出資金の払戻しに応じてしまったら結果法人は清算を余儀なくされてしまう、
ということを言いたいわけです。
全出資金の払戻しに応じ出資者がいなくなったから法人が清算された、では法理的におかしいのではないでしょうか。
出資者はいないのに法人の残余財産はどうするのか、といった問題も生じるでしょう。
何が言いたいかと言うと、出資者がいなくなること(出資金を払い戻すこと)は、
出資を基盤に設立されている法人においては法理上認められないことなのではないか、ということを言いたいわけです。
率直に言えば、出資を払い戻すという行為は法人の設立概念に照らして考えると根本的におかしい、ということになると思います。
出資者の一人や二人減少しても問題ないと考えるのではなく、
全出資者が払戻しを請求してきたらどうするのかを、法人の制度構築では考えなければならないわけです。
株式会社において、株式を会社が買い戻すことは法理上は認められないわけですが、
その理由は端的に、出資者がいなくなるから、と表現できると思います。
株主間で株式の譲渡が行われても出資者がいなくなることはありません。
しかし、会社自身が株式を買ってしまうと、出資者がいなくなってしまうのです。
資本金が減少することは認められない理由→債権者の利益を害するから
株式数が減少することは認められない理由→会社の存続に関わるから
2014年8月28日(木)日本経済新聞
■ゲオホールディングス 自社株買い上限340万株
■インヴィンシブル投資法人 分配金336円増の573円
(記事)
2014年8月27日
株式会社ゲオホールディングス
自己株式取得に係る事項の決定に関するお知らせ
ttp://www.geonet.co.jp/wp-content/uploads/2014/08/2681_20140827treasury_stock.pdf
分配金 インヴィンシブル投資法人
ttp://www.invincible-inv.co.jp/cms/dist.html
と書いてあります。
たった6.29%くらいいいだろう、と思ってはいけません。
「社外株式数の6.29%」を買い続けたらどうなるか。
最後は社外株式数は0になります。
計算式で書けばこうなります。
(1-0.0629)^x → 0 (x→∞)
自己株式の取得を繰り返せば、「社外株式数は0に収束する」となるわけです。
一言で言えば、社外株式数の6.29%だけなら買ってもよいということに何の根拠もないわけです。
株式数の0.01%だけ買っても、最後には株式数はゼロになります。
一般化して書けばこうです。
(1-a)^x → 0 (x→∞)
a は「自己株式を除く発行済株式総数に対する割合」を表し、範囲は「0<a<1」の実数、
x
は「自己株式の取得の回数」を表し、自然数です。
また、これらの考え方や計算式を見ても分かるように、ここでの議論に資本金額や利益剰余金額は一切出てきません。
資本金額や利益剰余金額の減少とは無関係に、会社の社外株式数はゼロになります。
出資者が一人もいないでは株式会社にならないでしょう。
確かに、社外株式数がゼロになるまで自社株買いをする会社などない、と言われればそうだとは思います。
しかし、法とは論理の流れに沿って定めていくものです。
その定めに従えば論理の流れがつながる、ということが法では大切なのです。
実務で対応を取ることを前提とするのは間違いなのです。
それから、上の方で、出資者が意思決定者ですから、出資者がそう望むなら法人は清算することになるでしょう、と書きました。
株式会社を例に書きますと、株式会社はいつでも株主総会の解散決議によって解散をすることができます。
解散決議は特別決議の方法による必要があります(会社法309条2項11号)。
解散の手続きについてはここでは触れませんが、とにかく株主総会の決議によりいつでも株式会社は解散できるわけです。
これは端的に、株主の意思による会社解散、と表現してよいのだと思います。
ただ、私はここでふと思いました。
株式会社ってそんなに簡単に清算してよいのだろうか、と。
もっと言えば、会社が清算されることは債権者の利益を害することではないのか、と。
仮に、会社解散が債権者の利益を害する場合は、会社解散に債権者の同意が必要、という考え方はないだろうかと思いました。
例えば、事業を継続した方が債権者の弁済額は多くなる、というようなことはあり得ないだろうか、と思いました。
いろいろ考えてみましたが、株主が会社を解散すると決めたら会社は解散する、ということ以外は、法理上は考えられないのだと思います。
まず第一に、株主が会社解散を決意したということは、そもそも会社を経営する人間がいなくなる、ということです。
債権者が株主に代わり会社を経営することは債権者は全く前提とはしていないでしょう。
また、仮に会社解散が債権者の利益を害するとしても、債権者の利益が害された時点で株主の持分はゼロになるわけです。
事業を継続した方が会社の利益になるのだとしたら、株主が会社解散を決意するはずがない、
という論理の流れが背景にあるように思います。
この論理の流れを踏まえれば、仮に会社解散が債権者の利益を害するとしても、債権者は株主の意思決定に口を挟むことはできない、
という法理的結論になる気がします。
株主は資本金を払込んでいる時点で会社や債権者に対する義務を果たし終わっています。
ですから、株主は出資額分の損失さえ覚悟すれば、後は債権者の利益を害することが可能になるな、と思ったのです。
株主の意思で債権者の利益を害することができてしまう、というのは、株式会社制度における一つの大きな問題点なのかもしれないな、
と思ったのです。
ひょっとすると、法理上は、「株主は出資額分の損失を覚悟することはあり得ない」という前提に立っているのかもしれません。
「株主は己の利益を最大化しようと思って意思決定を行うはずだ」という前提に立っているのかもしれません。
株主が己の利益を最大化しようと思って意思決定を行う限り、債権者の利益は最大限守られる、という法理の流れはあるとは思いますが。
株主は出資額の分だけ損をすれば済みますが、債権者は意思決定権がないままいくら弁済されるか分からない状態に置かれるわけです。
そして今日考えてみましたように、極端な話、突然会社が清算されることもあり得るわけです。
法理上は、突然会社が清算されることもあり得るということまで含めて、債権者は資本金を担保に会社と取引を行っていかねばならない、
ということだとは思います。
しかし同時に、これが有限責任制度の一つの限界を表しているのかもしれないない、とも思いました。