2014年8月21日(木)
【コメント】
社債の発行登録枠については今までに何回か書いたかと思います。
社債の発行登録枠というのは、社債を将来購入することを検討している投資家に対し、
企業の財務状況を詳細に開示することが主眼なのだと思います。
毎期継続して有価証券報告書を提出している企業であれば、追加的な詳細な財務情報開示は求められていないのだと思います。
以上のことを踏まえこの社債の発行登録枠について今日改めて考えてみますと、
そもそも発行枠(金額)を設定する必要というのはあるのだろうかと思いました。
制度上は、まさに発行枠(金額)を設定することこそが主目的なのではないかと思われるかもしれませんが、
よく考えてみますと、発行枠(金額)を設定することに何の意味があるのでしょうか。
社債を購入するのはあくまで投資家です。
企業が社債をどれだけ発行できるかは、投資家がどれだけ購入するか(社債を購入する投資家がどれだけいるか)で決まるわけです。
企業は、需要が旺盛で社債を大量に発行できるかもしれませんし、購入する投資家がおらず社債を全く発行できないかもしれないわけです。
煎じ詰めれば、大切なのは、投資家の投資判断に資するよう、企業の財務状況を詳細に開示することであるわけです。
発行枠(金額)には何の意味もないのではないでしょうか。
社債を購入するのは投資家です。
社債の発行登録枠を設定する制度などは廃止し、毎期継続して有価証券報告書(ないしそれに準ずる開示書類)を提出してさえいれば、
企業は全く自由に機動的に任意の金額だけ社債を発行できる、という社債発行制度にすべきだと思います。
それで、上で書きましたように、債権の譲渡については民法上明文の規定があるわけですが、
債権の種類によっては民法上譲渡できない債権があります。
この「譲渡できない債権」について、手元にあります教科書から説明を引用します。
>債権の性質が許さないとき
>債権の性質上譲渡することが許されない場合には、譲渡することができない(466条1項ただし書)。
>例えば、自分の肖像画を描かせる債権は、途中で債権者が変わると給付内容が変わってしまうため、性質上譲渡することができない。
なるほどなるほど、言われてみれば確かにそうだ、と理解できるかと思います。
この説明(肖像画の例)は非常に分かりやすいと思いますが、この説明を読みますと、同時にあることに気付くわけです。
「それなら、債権の譲渡は実はできないのではないか?」と。
債権の譲渡とは、債権の内容を変えずに、債権者が債権を第三者に譲り渡すことをいうわけです。
ここで重要なのは、「債権の内容を変えずに」という部分だと思います。
債権の内容の同一性が重要、ということだと思います。
何を当たり前のことを言っているのかと思われるかもしれませんが、実は、
「債権の内容」とは「Aを債権者としそしてBを債務者とした契約内容」を意味するのだと思います。
つまり、具体的な債権者と債務者まで含めて一つの契約(一つの債権(一つの債務))なのだと思います。
そうしますと、債権者が旧債権者(譲渡人)Aから新債権者(譲受人)Cに変わった時点で、
債権の内容(契約の内容)までもが変わったことになるのではないでしょうか。
債権者が変わると、債権の内容の同一性が保持されてない、ということになるのだと思います。
私の理解が正しいならば、現行の民法の定めとはまさに正反対に、法理上は「債権は譲渡できない」、だと思います。
そして、私の推測が正しいならば、民法の債権譲渡の規定(466条)は、改正(改悪?)されたものだと思います。
一度も改正されていない一番最初の明治三十一年民法では、
債権譲渡の規定はなかった(つまり、債権の譲渡は民法上(当然に)できなかった)、と思います。
>金銭債権
>金銭債権とは、その名の通り、人に金銭を支払うよう請求することができる権利である。
>金銭債権には、元本債権と利息債権とがある。元本を使用させたことに対し一定の割合で発生する対価を利息という。
>利率は、特に定めなければ、法定利率である年5分となる(404条)。
>また、金銭債権は常に調達の可能性があるため、履行不能にはならない。
金銭債権の場合は、債権の譲渡のようなことを考えてみても(仮に債権者が変わるという場面を想定してみても)、
弁済される物(金銭債権の場合は文字通り現金)も弁済金額も弁済期日も全く変わりません。
特に商取引の場面で重要になるかと思いますが、金銭債権の場合は、譲渡が仮に行われても、その金銭的価値は全く変わらないわけです。
ですから、債権の譲渡は特段何の問題もなくできる、と思ってしまうわけです。
しかし、金銭債権以外の債権(行為債権全般と非金銭債権)の場合は、「債権者は誰か?」という観点が極めて重要であるわけです。
その債権者だからこそ、そのような契約を結んだ、ということがあるわけです。
ある行為をしてもらいたいと思ったのはその債権者だからであって、他の第三者はその行為をしてもらいたいとは思わない、
ということは非常に多いでしょう。
また、ある物(金銭以外)を引き渡してもらいたいと思ったのはその債権者だからであって、
他の第三者はその物(金銭以外)を引き渡してもらいたいとは思わない、ということは非常に多いでしょう。
債権者と目的行為・目的物とは、一対一に結び付いている、と言えるわけです。
第三者は通常、その目的行為・目的物は全く望んでいないでしょう。
金銭という、極めて使い勝手がよく誰にとっても全く価値が同じ物だからこそ、第三者もその目的物(金銭)を受け取ることに同意できる、
というだけなのです。
また、法理的に言えば、金銭債権であっても、その譲渡ということを考えると、
債権者が変わっている(つまり、権利の内容が変わっている)ことになりますから、やはり債権の譲渡は概念上は認められないのだと思います。
>仕訳と勘定科目名は飾りではありません。
>仕訳と勘定科目名は取引と発生原因を表すのです。
>Don't think of
each journal entry and each account title as empty and trivial.
>Each
journal entry and each account title express transactions and cause of
occurrence.
と書きましたし、また、
>どのような取引を原因として現金を回収するのか、それを表示するのが勘定科目です。
と書きました。
債権者が金銭債権を持つに至ったのにはそれなりの理由があるわけです。
昨日の宙有限責任監査法人の事例では、債権者が同じなまま勘定科目名だけを変えた(そのことは会計理論上間違いである)という事例でしたが、
債権の譲渡に関しても同じ様なことが言え、金銭債権の債権者だけが変わると、
「どのような取引を原因として現金を回収するのか」が概念的に変わってしまうことになるのだと思います。
旧債権者(譲渡人)Aは、例えば債務者Bに商品を販売した結果、商品代金を受け取るという金銭債権(売上債権)を持つに至ったわけです。
しかるに、当該金銭債権が新債権者(譲受人)Cに譲渡されるとなりますと、
新債権者(譲受人)Cはどのような取引を通じて金銭を受け取ることになったのかが不明となるわけです。
その金銭債権は発生原因を考えればそもそも「売上債権」であるわけです。
新債権者(譲受人)Cは債務者Bに商品を販売したでしょうか。
債権の発生原因と債権者の行為・取引とが一致していない・切り放されてしまっている・分離されてしまっている、と言えるわけです。
もちろん、金銭債権の譲渡では、債権が発生するに至ったそのような過去の行為や取引(債権の発生原因)は完全に捨象してしまい、
純粋に金銭の部分のみ(弁済金額や弁済期日のみ)に着目して譲渡を行っているのだ、という説明付けはできるとは思います。
確かにそのことは理解できますが、ここではより法理的に考えてみますと、やはり債権者と債権の発生原因とは一体不可分のはずだと思います。
この契約を債務者Bの立場から見ましても、「Aという債権者に対して所定の額金銭を弁済する」で一つの契約であり法的義務であるわけです。
債権者が変わりますと、債務の内容まで変わってしまうことになるわけです。
債権の譲渡では譲渡人から債務者へその旨通知することが必要ですが、何かその時点で、
弁済相手が変わっているという点において債務の内容(契約の内容)までも変わっていると感じるかと思います。
金銭債権の譲渡では、債務が発生するに至ったそのような過去の行為や取引(債務の発生原因)は完全に捨象してしまい、
純粋に金銭の部分のみ(弁済金額や弁済期日のみ)に着目して譲渡を行っているのだ、という説明付けは可能だとは思いますが、
債権者・債権同様、やはり債務者と債務の発生原因(取引の相手方も当然含む)とは一体不可分のはずだと思います。
さらに、会計理論の話をすれば、債権を譲渡するとなると、勘定科目名は一体何になるというのか、という話になるわけです。
旧債権者(譲渡人)Aの貸借対照表上のその金銭債権の勘定科目名は「売掛金・受取手形」(売上債権)でした。
したがって、債権を譲渡した後も、理論上は、
新債権者(譲受人)Cの貸借対照表上のその金銭債権の勘定科目名も同じ「売掛金・受取手形」(売上債権)でなければならないはずです。
なぜなら、その債権は商品の販売の結果発生した売上債権だからです。
しかし、新債権者(譲受人)Cは当然債務者Bに商品を販売してなどいないわけですから、
貸借対照表上の勘定科目名が「売掛金・受取手形」であるのはおかしいわけです。
仕訳で考えても、新債権者(譲受人)Cでは、売上など全く実現していませんし、売上債権が発生する要素要因・取引などは全くないわけです。
新債権者(譲受人)Cが当該金銭債権を持つに至った仕訳(新債権者(譲受人)C自身にとっての金銭債権の発生原因を表す仕訳)を
敢えて考えみますと、
(未収入金) xxx / (現金) xxx
という仕訳になると思います。
「未収入金」勘定を使いましたが、これは営業未収入金ではなく、完全に営業取引以外から生じたものである点に注意が必要です。
ただ、この仕訳を見ても分かるように、新債権者(譲受人)Cが今後未収入金の回収を行っていくというのはおかしいのではないでしょうか。
わざわざ現金を支出して金銭債権を買い、そしてその後金銭債権の回収を行っていく、というのは完全に意味不明ではないでしょうか。
商取引上、そのようなことをするでしょうか。
他の種類の債権同様、金銭債権も譲渡するということは現実にはないのかもしれません。
金銭債権の売り手はいるかもしれませんが、この仕訳で分かるように、金銭債権の買い手がいないはずだ、と言えると思います。
まあ、例えば金融機関に対する手形の割引はありますので、理論上は金融機関が「金銭債権の買い手」にはなり得るとは思いますが。
それから、少しだけ話を戻しますと、未収入金勘定の定義(法理上・各種法令・規則上)は「営業取引以外から生じた対価の未収額」です。
主に有価証券や固定資産の売却収入の未収額が未収入金として処理されるわけです。
決して、金銭債権を買った結果の現金回収可能額を表すわけではありません。
商取引上金銭債権を買うということ自体があり得ず、それを受けてか、会計理論上も金銭債権を買った場合の勘定科目は用意されていない、
というのが正確なところだと思います(他に勘定科目はないため、実務上は仕方なく無理やり未収入金勘定を使うしかないと思います)。
最後になりますが、先ほど、
>また、金銭債権は常に調達の可能性があるため、履行不能にはならない。
との記載がありましたが、これは間違いであり、債務者が金銭債権を弁済できない(いわゆる貸し倒れ)可能性は当然常にあります。
そういった危険負担の観点から言っても、結局当初の債権者が弁済を受ければよい(弁済を受けるべきだ)、ということになると思います。
債権者が変わるということは、新しい債権者が旧債権者に代わりその危険を負担する、という意味です。
その債権が将来債務不履行を起こす可能性については、現に債務者と直に取引を行ったことがあるわけですから、
新債権者よりも旧債権者の方がはるかに良く知っているはずでしょう。
権利の移転だけではなく、そういった危険負担の移転のことまで考えますと、
法理上はやはり、債権の譲渡も認められない、ということになると思います。
また、会計理論上は、手形の裏書や手形の割引の際は、その手形が債務不履行を起こした場合は、
元々の債権者(手形の裏書人、手形の売却人)がその手形の分は代わりに債務の履行をしなくてはなりません。
そのような手続きを踏めば、金銭債権の譲渡では危険負担の移転はないことになるとは思います。
ただ、そういった理論上・実務上の様々なことを考えていきますと、
はじめから「債権の譲渡自体を認めない」というふうに定めた方が、話は早いと思いますし、法理にも沿っていると思います。
というわけで、法理上は、そして、会計理論上は、債権の譲渡などない、
という点について今日は書いてみました。