2014年8月16日(土)
【コメント】
記事には、今後2年間の内に発行する社債について、
>社債による調達資金は運転資金や社債の借り換え、借入金の返済への充当が中心になるとみられる。
と書かれています。
また、2013年、2014年に社債をそれぞれ100億円、250億円発行したようですが、記事には、その社債についても、
>調達資金は主に借入金の返済に充てた。
と書かれています。
既存の借入金を返済するために新たに社債を発行するというのは、裏を返せば、
既存の借入金は当初の期日通りに返済できなかった、ということです。
借入金を借り入れる際、「この借入金は将来社債を発行して返済することにしよう。」などと考えてお金を借りる人はいないでしょう。
お金を借りた人は、事業計画を立案し、利益計画を立て、事業によってに稼いだ現金をもって返済することを考えていたはずです。
くだけた表現をすると、これは借金をして借金を返している状態であるわけです。
お金を貸す側からすると、お金を借りようとしている人は、
既存の借入金を当初の期日通りに返済できなかったから新たに借りようとしていることになりますから、
自分がお金を貸しても今度はお金は返ってはこないのではないか、と考えることでしょう。
したがって、本来であるならば、既存の借入金の返済を目的に新たにお金を借りることは不可能だと思います。
ちなみに、この・法理上の位置関係・法理上の順序については手元にあります民法の教科書に面白い記述がありましたので紹介します。
>成立における付従性を重視すれば、担保される債権は既に発生しているか又は同時に発生する必要があり、
>将来発生する債権には抵当権を設定することができないとも思える。
>しかし、銀行取引などを考えれば、確実に担保をとるために通常金銭を貸し付ける前に抵当権を設定する。
>そこで、将来発生する債権のために抵当権を設定することも可能である(最判昭和33・5・9)。
>これを付従性の緩和という。
端的に言えば、教科書のこの記述(ひいては、最高裁の判例)は法理的にはおかしいのではないかと思います。
債権がないのにどうやって抵当権を設定するのでしょうか。
ただ、これに近い考え方に「根抵当権」という考え方がありはします。
根抵当権とは、一定の範囲に属する不特定の債権を極度額を限度として担保するために設定される抵当権をいいます。
例えば、取引銀行であるA銀行に対する根抵当権の設定ならば、「A銀行との取引による債権」と被担保債権の範囲を定めるわけです。
ただ、根抵当権の設定では、言わば将来発生する債権に対して抵当権を設定していることになるわけです。
これはやはり法理上はおかしな点があると思います。
金銭債権があって初めて抵当権の設定があるわけです。
金銭債権に対して抵当権の設定する、だから、被担保債権が弁済等で消滅すると担保権も消滅する(付従性)、
という法理上の関係があるわけです。
法理的には、ここでいう付従性というのは概念的に緩和できるものではないですし、
同じ様な考え方により、根抵当権という考え方も法理的にはおかしいのだと思います。
根抵当権というのは、本来の抵当権とは異なり、「特定の債権」ではなく、「一定の範囲」を定めることによって、
担保する債権を広く網羅しようとするものと言えるでしょう。
しかし、そのようなことはできません。
なぜなら、金銭債権と抵当権とは1対1に紐付いているものだからです。
手元の民法の教科書には、
>根抵当権は、メーカーと卸売商のように継続的取引が行われる場合に、
>売買債権ごとにいちいち抵当権を設定する必要がない点に通常の抵当権と比べてメリットがある。
と書かれてあり、確かに意味は分かると言いますか、商取引上便利と言えば便利だと思います。
その取引先・その取引の種類・その範囲に限って包括的に債権を担保していく仕組みというのは、考え方としては確かに便利だと思います。
ただ、債権者というのは元本が確定して初めて法的に債権者になるのだと思います。
今後の取引に備えて先に担保として一定額を確保しておく、というのは、考え方としては分からなくはありませんが、
法理的な関係としてはやはり、「債権が先にあってその債権に抵当権を設定する」という順序なのだろうと思います。
会社倒産時の債権の弁済のことを想定してみてみますと、根抵当権という考え方があっても、
他の債権者の利益を害する(債権者平等の原則に反する)ことにはつながらないようにも思います。
根抵当権の設定の対抗要件は登記となっており、他の債権者がその金銭債権には根抵当権が付いていたとは知らなかった、
などいうことはないわけです。
つまり、他の債権者は、会社倒産時は根抵当権が設定されていることを承知の上で会社と取引を行っているということになります。
極端な話、根抵当権が付いているなら、会社倒産時、債権の弁済額が少なくなるからその会社とは取引しない、ということもできるわけです。
商取引において、根抵当権が認められないなら、通常の抵当権も認められない、ということになりそうな気がします。
根抵当権を商取引の観点から否定するのはなかなか難しいような気がします。
根抵当権を否定するとしたら、抵当と呼ばれるものの概念や考え方・法理的な側面から否定するしかないように思います。
根抵当権は、債権に対してではなく、言わば人(会社・取引先)に対して設定するものであるわけです。
根抵当権の設定では「極度額」という定め方はしますが、人(会社・取引先)には担保すべき価額はないのではないでしょうか。
債権には価額があります。
債権の価額が抵当権設定の金額の根拠です。
しかし、人(会社・取引先)には価額はないでしょう。
担保すべき金額がない(担保すべき金額が明確ではない、極度額に根拠がない)、だから、根抵当権という考え方はおかしい、
と説明することもできると思います。
他にも説明方法はあるかもしれませんが、今のところ思いつくのはこれだけです。
今日はこれで終わりたいと思います。