2014年8月15日(金)
分配金の推移(日本プライムリアルティ投資法人)
ttp://www.jpr-reit.co.jp/ja_cms/ir/dividend.html
投資主の皆様へ(日本ビルファンド投資法人)
ttp://www.nbf-m.com/nbf/ir/investor.html
【コメント】
日本プライムリアルティ投資法人に関しても日本ビルファンド投資法人につ関しても、記事には、
>REITは通常6ヵ月ごとに決算を発表する。
と書かれています。
そして、REITは一決算毎に分配金を投資主に対し支払っているわけです。
つまり、REITは「6ヶ月毎に分配金を投資主に対し支払っている」わけです。
しかし、これは実は会計理論上は間違いだと思います。
なぜなら、6ヶ月では税の負担・支払いがまだ終わっていないからです。
会社は、「税の支払いが終わった後の利益」のみを分配することができます。
税法は「1年間」を1事業年度としています。
「利益の分配」そのものに関しては税法に直接的には規定はないものの、
税法上の定め・取り扱いから結果「利益の分配は1年に1回のみ」と決まるわけです。
さて、「利益の分配」に関連して、次のような記事がありました↓。
中小企業の事業承継についてや、株式の相続・贈与については私は詳しくは分かりませんが、
ここでは単純に、この記事の内容を参考にして、一般によくあるように、
「投資家間で株式の売買(譲渡)を行うこと」
について考えてみましょう。
ここでの論点は端的に言えば、
「株式の売買価格(譲渡価額)はいくらであるべきか?」
となります。
相続や贈与の例になりますが、紹介した記事では「株式の時価」という表現がなされています。
この記事からだけでははっきりとしたことは分かりませがんが、主に中小企業の話をしていることですから、
おそらく「株式の時価」とは「株式の簿価」のことだと思います。
これでは説明になっていないように感じるかもしれませんが、そんなことは全くなく、
「株式の簿価」とは会社の貸借対照表の資本の部の価額(資本の部の帳簿価額)のことです。
やや分かりづらいかもしれませんが、
@株主が所有している株主の簿価(基本的には取得価額)と、
A会社の貸借対照表の資本の部の簿価
とは異なるわけです。
なぜなら、株主が株式を取得した後、会社は当期純利益や当期純損失を計上することで利益剰余金が毎期増減し、
それに伴い会社の貸借対照表の資本の部の価額(簿価)も毎期増減するからです。
「株式の時価」といった時には、
「直近までの経営の結果を反映している直近の決算期末日現在の会社の貸借対照表の資本の部の価額(簿価)」
のことを指すわけです。
「株式の簿価」といった時には、文脈上「株主の株式の取得価額」と「会社の資本の部の価額」の両方を指し得るわけですが、
株式の価値や売買価格の話をする時は、主に「会社の資本の部の価額」の方を指すわけです。
株式の一番公正な価額は「会社の資本の部の価額」ですから、
株式を売買する時は基本的には「会社の資本の部の価額」に基づくべきであるわけです。
この「会社の資本の部の価額」のことを「株式の時価」と呼んだりするわけです。
それで、最初に紹介したREITの記事と株式の相続・贈与についての記事を読んでいて、私はあることを思いました。
そう言えば、「資本金」は英語で「capital」であり、「資本」も英語で「capital」だな、と。
「資本(の部)」を英語で「stockhokders'
equity」と表現することもある(むしろ現在ではこちらが一般的)わけですが、
しかし、「資本(の部)」そのものも英語で単に一言「capital」と表現するわけです。
端的に言えば、
「資本金=資本(の部)」
であるわけです。
資本金と資本の部が同じものを指すと言うのなら、「利益剰余金はどこに消えたんだ?」と思うわけです。
また、英語の「capital」には資本金や資本という意味の他に、元金、力(利益)の元、源泉、という意味があるようです。
会社や経営に関して言えば、「capital」には「元手となるもの(お金・資金)」というような意味合いがあるのだろうと思います。
英語から考えていけば、資本金と資本(の部)は同じ意味であり、
「capital」とは「元手となるもの(お金・資金)」というような意味合いなのだとすると、
株式会社というのは本来資本金のみで運営されるものである、というような概念がそもそもあるということなのだろうか、と思ったわけです。
株式会社というのは資本金のみで運営される、それは裏を返せば、
利益剰余金を元手には会社は経営は行わない(利益剰余金は経営・事業には使わない)という意味になるわけです。
つまりそれはどういう意味かと言えば、
「利益剰余金は毎期全額が株主へ配当として支払われる」
という意味でしょう。
利益剰余金は毎期全額が株主へ配当として支払われるのなら、「資本金=資本の部」である意味が分かるわけです。
この場合、株式の価額は常に資本金の金額となります。
この場合、株主は資本金の金額に基づいて株式を売買しますから、
(今で言う)株式の時価=株式の簿価=会社の貸借対照表の資本の部=会社の資本金の金額
となるわけです。
また、先ほど、「利益を繰り越すという考え方は株式会社にはない」と書きましたが、
厳密に言えば株式会社は一部の利益を毎期繰り越しています。
なぜなら、厳密には利益の全額は社外流出されらないからです。
配当というのは、1株当たりの配当金額が同じでなければなりませんから、発行済株式総数未満の金額は社外流出させられないわけです。
例えば、発行済株式総数を100株だとします。
当期の利益は199円だったとしましょう。
”利益の全額を株主に配当する”場合、1株当たりの配当金額は1円、となります。
つまり、当期の社外流出額(配当金総額)は1円/株×100株=100円です。
99円はと言いますと、社内に留保せざるを得ないわけです。
99円は会社から消える、などということはあり得ないわけです。
そして次期には、利益が1円だっとしましょう。
”利益の全額を株主に配当する”場合、どうしたらよいでしょうか。
次期の利益は1円だったから配当できない、となるでしょうか。
違うでしょう。
おそらく、配当の原資は「当期の残り99円+次期の利益1円=100円」となるのではないでしょうか。
つまり、次期は、”利益の全額を株主に配当する”場合、1株当たりの配当金額は1円、となるわけです。
このことは、「利益を繰り越す」とは呼ばないのでしょうか。
事業継続を前提としている以上、「株式会社には利益を繰り越すという考え方はある」のではないでしょうか。
また、事業継続を前提としている以上、決算期末日に未払いの仕入代金や未収の売上代金、そして未販売の棚卸資産があることは
会社経営上むしろ自然なことでしょう。
「株式会社は当期に稼いだ利益は毎期全額を株主に配当する」ということですと、
極端に言えば、商取引は全て現金取引でなければならない(そうでないと厳密に当期純利益=手許現金(の増加額)とはならない)、
ということになります。
明治三十二年当時、商取引は全て現金取引であったのかどうかは私には分かりません(とてもそうとは思えませんが)が、
債権者に対し期日に借入金を返済するかのごとく、
決算期末日(その後の株主への配当支払い)に備え手許現金を会社は準備しておかねばならないというのは、
事業継続を前提に経営を行っているということを鑑みれば、何か違うように思います。
「株式会社には利益を繰り越すという考え方はある」、という点を強調して今日は終わりたいと思います。