2014年7月14日(月)



2014年7月14日(月)日本経済新聞 公告
資本金の額の減少公告
東亜紡織株式会社
(記事)






【コメント】
東亜紡織株式会社はトーア紡グループの事業会社のようです(株式会社トーア紡コーポレーションの連結子会社なのでしょう)。

東亜紡織株式会社 会社概要
ttp://www.toabo.co.jp/about/group/toa_wool.html

こちらに、

>設立 2003年(平成15年)10月1日
>旧東亜紡織株式会社の会社分割により、衣料事業部門を承継して設立

とあります。
この書き方から推測すると、東亜紡織株式会社は過去経営破綻したことがあるということでしょうか。
衣料事業部門のみを新会社で継続することにし、残りの事業は全て廃止し、
旧東亜紡織株式会社は法人としては清算したということなのでしょう。

 



しかし、その会社分割や事業承継は率直に言えばおかしいと思います。
なぜなら、旧東亜紡織株式会社と新東亜紡織株式会社の株主は全く同じだからです。
これでは、旧東亜紡織株式会社の債務を弁済してもらえなかった分(旧会社は清算したということはそういう意味でしょう)、
旧東亜紡織株式会社の債権者はバカを見たことになるでしょう。
他の言い方をすれば、旧東亜紡織株式会社の株主は債務免除を受けたことと同じになるわけです。
旧東亜紡織株式会社の債権者は債権放棄をして損をしただけということになるわけです。
株主には、旧東亜紡織株式会社の株式は確かに紙くずになりましたが、優良資産のみを有する会社の株式が新たに手に入ったことになるわけです。
新会社では債務がなくなっている分、株主はトータルでは得をしているでしょう。
損は債権者が引き受けたことになるわけです。
債権者から株主へ富が移動した、などと表現してもよいかもしれません。
旧会社と新会社で株主が同じであることはあり得ない、と言えばいいでしょうか。
ここでのあり得ないとは、「債権者が認めない」という意味ですが。
一連の流れを図に描けば、次のようになると思います。

「債権者の利益に反する会社分割」


詐害的会社分割の典型例、と言っていいのかもしれません。

 



同じような行為は会社分割に限らず、事業譲渡(営業譲渡)でも考えられることです。
一連の流れを図に描けば、次のようになると思います。

「債権者の利益に反する事業譲渡」


この図を見ているとあることに気付きます。
優良事業の会社分割や事業譲渡と聞くと何か怪しげな感じがしますが、単なる会社の一資産(一会社財産)の売却であればどうでしょうか。
会社はその資産を、株主が設立した会社へ売却してはならない、などという法はないでしょう。
会社には優良な資産もあれば優良ではない資産もあると思います。
株主からすると、会社の優良な資産のみを自身が設立した会社へ売却してしまい、元の会社は債務と共に清算してしまう、
ということを防ぐ法理はないように思えます。
この問題は、何が優良な資産であり何が優良ではない資産か、という議論・判断基準とも関連している問題だと思います。
極めて端的に言えば、優良な資産を低い価額で売却したとすると、結果債権者の利益を害したことになると言えると思います。
ではその”低い価額”とは何か?
おそらくその答えは、「資産の帳簿価額より低い価額」しかないのだと思います。
その資産が優良か優良ではないかは、ある意味誰にも分かりません。
しかし、その資産の帳簿価額は誰の目にも明らかであり、そして、その譲渡価額も誰の目にも明らかでしょう。
「譲渡価額は帳簿価額よりも高いか低いか」、この判断基準より透明性があり明確かつ客観的な基準はないと言えるでしょう。
どんなに優良に思える資産であっても、帳簿価額での譲渡であれば決して低い価額での譲渡ではなく、
どんなに不良に思える資産であっても、帳簿価額での譲渡であれば決して高い価額での譲渡ではない、
そう線を引く方が、明瞭と言えば一番明瞭だと思います。
ある資産の売却が債権者の利益を害したのか否かは、優良資産を債権者が考えるよりも低い価額で売却したか否かでは決まりません。
ある資産の売却が債権者の利益を害したのか否かは、資産を帳簿価額よりも低い価額で売却したか否かでは決まります。
このことは売買の相手方の立場から言えば、ある資産は帳簿価額でしか買えない、ということになるのでしょう。
どんなに優良に思える資産であっても、帳簿価額での取得であれば決して低い価額での取得ではなく、
どんなに不良に思える資産であっても、帳簿価額での取得であれば決して高い価額での取得ではない、
そう線を引いて、損をしたのか得をしたのかを判断する(決めていく)他ないのだと思います。
「帳簿価額か否か」、この判断基準は、場面・状況によっては経済実態とは乖離していることも生じ得るのだとは思います。
しかし、「帳簿価額か否か」を否定すると、今後は「経済実態とは何か」という議論が新たに始まるでしょう。
悪く言えば、杓子定規かもしれません。
しかし、経済実態とは乖離している場面も生じ得るというディメリットよりも、
透明性・明確性・客観性が高い基準で価額を判断する方が世の中全体を見ればメリットが大きい、そう考えるべきなのでしょう。