2014年6月6日(金)


2014年6月5日(木)日本経済新聞
広がるIFRS 上
適用企業50社超す 海外企業との比較容易に 利益かさ上げ期待も
(記事)



2014年6月6日(金)日本経済新聞
広がるIFRS 下
減らない「のれん」 減損で赤字の落とし穴 定期償却、海外で再評価
国際会計基準審 日本版IFRS IFRSと認めず
(記事)

 



【コメント】
今月(7月号)の会計誌「企業会計」(中央経済社)の特集は、

「安定配当の是非を問う 再考 日本企業の配当政策」

だそうです。


企業会計 7月号
ttp://www.chuokeizai.co.jp/acc/201407/index.html

「表紙」

「キャプチャー」



概要と目次だけ引用します。

> 安定配当は,長らく日本企業の配当政策として定着してきたが,近年では収益力に応じた株主還元が求められる動きも強まっており,
>各社の状況に応じた最適な資本構成と配当政策を検討する必要性が高まりつつある。
> 本特集では,企業が安定配当を志向してきた理由や,そのもたらしたメリットとデメリットも含め,あるべき配当政策について考察する。

>配当か投資か,それとも現金保有か
>配当政策が株価に与える影響 ―実証研究の成果をもとに
>配当政策を考えるパースペクティブ
>最適資本構成に基づく最適配当政策の重要性 ―日本企業と投資家のダイコトミーへの処方箋

 



中央経済社発行の「企業会計」と言えば、会計を専門とする者の定番といいますか、
購読していないならもぐりといいますか、会計専門家の必読誌といったところでしょうか。
私も、高校時代は「大学への数学」を毎月購読しておりまして、大学に落ちた経験があります。
大学に入学してからは、「数学セミナー」を毎月購読していたのですが、見事に落ちこぼれました。
公認会計士受験生時代はこの「企業会計」を毎月購読していたのですが、やはり落ちました。
それで、今は毎月「ジュリスト」と「法学教室」と「商事法務」と「税務通信」を読んでおります。
寺の坊主にも「月刊住職」という業界専門誌があるようです。
どの分野にも、「専門誌」というものがあるものだなと驚いているところです。
それらの雑誌が、ある目的を持ったパフォーマンスやプロパガンダではなく、本当にその分野の人々のための専門誌であればいいがな、
と切に願う次第です。

 


それで、なぜ今月の「企業会計」を紹介したのかと言えば、昨日のコメントと関連する内容になっているなと思ったからです。
私は昨日、率直に言えば、経営上は「上場市場変更記念配当」には何の根拠もない、と書きました。
配当原資に関してだけならば、

(繰越利益剰余金) xxx / (上場市場変更記念配当積立金) xxx   ・・・※

の仕訳を前期末以前に切っていればよいと言えばよいのですが、
やはり、経営上はこの仕訳を切っていても十分な説明にはなっていないのです。
その理由として、昨日は、

>ただ、この仕訳をたとえ前期末以前に切っていたとしても、経営上はやはり上場市場変更記念配当には根拠はないのですが。
>企業は利益を稼いだ、だから、それを配当という形で株主に利益還元を行う、という利益と配当の関係がそこでは全く成り立っていないでしょう。

と書きました。
「上場市場変更記念配当」は、確かに煎じ詰めれば究極的には繰越利益剰余金を原資にしているとは言えるもの、
何か企業が稼いだ利益を株主に還元していることとは異なるように思えましたので、昨日はこのように書いたわけです。
配当というのは、そもそも「企業が稼いだ利益を株主に還元すること」であるにも関わらず、
上場市場を変更したことを記念して株主にお金を支払うというのは、そもそもそれは配当とは呼ばないのではないかと思いました。
「上場市場変更を記念して」などというお題目は、経営上の目的に反することであると感じたと言えばいいでしょうか。
「上場市場変更を記念する」ということには、「利益と配当の関係がない」と私は思ったのです。
これもまた一種の「経営と会計の整合性」に関する議論ということになると思います。
それで結論としては、「上場市場変更記念配当積立金」の計上も、経営上はおかしな点があるということになるのだと思います。

 


では以上の議論と関連する話ですが、「上場市場変更記念配当積立金」と同じ様な積立金に「配当平均積立金」という任意積立金があります。
今月の「企業会計」でも、「安定配当の是非を問う」ということで特集が組まれているわけですが。
「配当平均積立金」を繰越利益剰余金とは区別して計上しておくのも、今後の「安定配当」が目的であると言えるでしょう。
繰越利益剰余金がなくなった場合であっても、「配当平均積立金」を取り崩すことによって、
「配当平均積立金」を原資に配当を行っていけるわけです。
このこと自体は、特段債権者の利益を害するわけでも株主平等の原則に反するわけでもないとは思います。
ただ、会計理論上厳密な話をしますと、「配当平均積立金」を取り崩して「配当平均積立金」を原資に配当を行うことは、
「利益と配当の関係がない」という側面がないわけではないようにも思いました。
もちろん、前期以前に稼いだ利益(貸借対照表上は繰越利益剰余金)を次期以降に配当することは間違っている、などということはありません。
繰越利益剰余金は次期以降も、経営上の判断によって、戦略的投資を実行するか、現金として引き続き保有し続けるか、
それともある期に株主に配当として支払うか、適宜決定していくことができます。
後のある期に株主に配当として支払っても、「利益と配当の関係は崩れていない(成り立っている)」と思います。
ところが、「配当平均積立金」を原資に後のある期に株主に配当を支払う場合は、「利益と配当の関係がない」部分があるように感じるわけです。
「配当平均積立金」を厳密にいつどのような場合に取り崩すのかは、各企業毎に株主総会で任意に決められることではあると思いますが、
その後の「安定配当」を目的として積み立てるわけでしょうから、基本的には当期純損失を計上し繰越利益剰余金がマイナスになった時、
ということになろうかと思います。
繰越利益剰余金が十分なプラスの場合は、そのまま繰越利益剰余金を原資に配当を支払うでありましょうから、
「配当平均積立金」はその場合取り崩さないと思われるわけです。
逆に言えば、表面上繰越利益剰余金は十分にはなくても、「配当平均積立金」を取り崩せば十分な配当原資があることになるわけです。
この辺りの流れが何かおかしいなと思うわけです。
逆から言えば、その場合「配当平均積立金」を計上していなければ、はじめから十分な配当原資はあったということになるわけです。
これでは、「配当平均積立金」を計上したから配当の原資がなくなった、と言っているようなものでしょう。
「配当平均積立金」を配当の原資にすることはおかしいのではないかというような、本末転倒のような奇妙な話になるわけです。
また、十分な繰越利益剰余金がなくなったということは、当期純損失を計上するなど、
経営が思わしくない状況にあったということを意味するわけです。
それなのに、安定的に配当を支払い続けていてよいのか、という話になるわけです。
むしろ逆に、経営状況が厳しいならば、配当を減らさないといけないわけです。
当期純損失を計上し繰越利益剰余金がなくなったから「配当平均積立金」を取り崩すでは、経営上話が逆であると言えるかもしれません。
そうしますと、「配当平均積立金」を計上すること自体にも少しおかしな点があるのかもしれません。

 


もちろん、はじめから後払いのためという目的を明確に持っていたという場合や、
経営環境が厳しいからこそ社外流出可能な額を減少させたかったという目的を持っていた場合は、
予め繰越利益剰余金を他の勘定科目へ振り替えておくことは、保守的な会計処理にも適いますので、間違いではないと思います。
しかし、安定配当や配当の後払いのためと言っても、配当の原資はあくまで当期末の「配当平均積立金+繰越利益剰余金」です。
当期に巨額の当期純損失を計上してしまい、当期末の繰越利益剰余金がマイナスになってしまった場合は、
配当原資トータルでは配当平均積立金も一緒に消し飛んでしまいます。
つまりその場合、安定配当や配当の後払いはできないのです。
当期に巨額の当期純損失を計上するという場面を想定しますと、配当平均積立金という考え方自体が間違いなのかもしれません。
極端に言えば、繰越利益剰余金を他の勘定科目に振り替えることには何の意味もない、と言えるかもしれません。
安定配当というのであれば、経営が悪化しても会社が耐えられるように、毎期配当は控えめにし常に内部留保を厚く保っておく、
ということしか、経営上も会計上もできないのかもしれません。
次期の配当の原資はあくまで次期末の配当原資です。
当期末の配当原資ではありません。
次期に計上する当期純利益(当期純損失)により、次期の配当の原資はいくらでも変化します。
その点において、分配可能な限度額に連続性はないのです。

 



例えば、今後の経営悪化に備え、「会社財産社外流出保守対応積立金」などという勘定科目を設け、繰越利益剰余金から振り替えることで、
分配可能な限度額を敢えて前もって減少させる、ということもできるとは思います。
しかし、それでその後本当に経営が悪化し、当期純損失を計上し繰越利益剰余金がマイナスになったとします。
するとどうなるのかと言うと、その時配当を実施するかどうかはともかくとして、
結局、「会社財産社外流出保守対応積立金」勘定から繰越利益剰余金勘定へ再び振り替えるだけのことではないでしょうか。
仮に経営が悪化しなかったら、そのまま「会社財産社外流出保守対応積立金」を積んだままで、めでたしめでたし、ではあるでしょうが。
要するに、「会社財産社外流出保守対応積立金」に振り替えておくことにはあまり意味がない、という側面があろうかと思います。
「配当平均積立金」に関しても、以上の議論と同じようなところがあるのではないでしょうか。


では逆に、仮に当期純損失を計上し繰越利益剰余金がマイナスになったものの、
「会社財産社外流出保守対応積立金」勘定から繰越利益剰余金勘定へ再び振り替えはしなかったとしましょう。
するとどうなるのかと言うと、どうもならないでしょう。
分配可能な剰余金はない、というだけでしょう。
この時、「会社財産社外流出保守対応積立金」勘定は、今で言う「利益準備金」勘定と同じ意味・役割を持つでしょう。
すなわち、「会社財産社外流出保守対応積立金」勘定は、資本金勘定と同様に、債権者のためにある勘定科目、ということになります。
分配を行わず会社財産を社内に留保しているのです、そういう意味・役割になるでしょう。
しかし同時に、何かおかしいな、とも感じるわけです。
株式会社の概念に照らして考えてみると、なぜ会社が稼いだ繰越利益剰余金が債権者のために使われるのか、と。
すなわち、「会社財産社外流出保守対応積立金」勘定がおかしいなら、今で言う「利益準備金」勘定もおかしいのではないか、と。
債権者保護のための会社財産は、資本金勘定によりはじめから十分に社内に留保されているはずではないのか、と。
そういったことを考えていきますと、「利益準備金」勘定は、株式会社の概念や会計理論に照らして考えみると、
辻褄の合わない点があろうかと思います。
利益剰余金勘定は全て会社が稼いだ利益であり、全てが株主に帰属しているはずです。
それなのに、利益準備金勘定だけは債権者に帰属しているわけです。
「株主に分配できない」とは、そういう意味でしょう。
「利益準備金」勘定は、会社が稼いだ利益なのに株主に分配できない、という矛盾した性質があると言えるでしょう。
おそらく、明治三十二年制定の一度も改正されていない一番最初の商法では、「利益準備金」勘定の定めはなかったものと思われます。
ちなみに、資本金勘定は、払込資本です。
会社が稼いだ利益ではありません。
資本金勘定も確かに資本(株主資本)ですが、会社が稼いだ利益ではないという点において、
資本金勘定は債権者に帰属していると考えても何ら矛盾はありません。

 



以上の議論を図にしてみました。
理解の助けにして下さい。


「資本は誰のものか?」



利益準備金勘定は、一次的・直接的には当然株主に帰属していますが、二次的な帰属先は株主なのか債権者なのかは判然としません。
社内留保されるべき勘定か社外流出可能な勘定かという観点から見れば、利益準備金勘定は当然社内留保されるべき勘定であり、
したがって債権者に帰属していると言わねばならないでしょう。
一方、利益準備金は積み立て前は繰越利益剰余金であったわけです。
そして、繰越利益剰余金は会社が稼いだ利益を表すわけです。
ここで、会社が稼いだ利益は根源的にその全額が株主に帰属しています。
したがって、利益準備金勘定は株主に帰属していると言わねばならないでしょう。
以上のように、利益準備金勘定は会計理論の面からは十分な説明はできないと言わざるを得ないでしょう。
せいぜい、商法制度上債権者保護により重点を置いたもの、などという説明をするのが精一杯でしょう。


私は以前、資本準備金などない、と書きました。
今日はこう書かねばなりません。

利益準備金などない。

と。
さらに、今日書きました「上場市場変更記念配当積立金」や「配当平均積立金」のことまで踏まえますと、
究極的にはこう書かねばならないのでしょう。

法定準備金などない。
任意積立金などない。

と。
おそらく、明治三十二年制定の一度も改正されていない一番最初の商法では、
資本勘定は資本金勘定と(今で言う)繰越利益剰余金勘定しかなかったのでしょう。