2014年3月17日(月)
2014年3月17日(月)日本経済新聞
アリババ、米上場準備 ソフトバンクに「軍資金」 含み益、M&A加速も
Tモバイル買収へ布石 米事業立て直しのカギ
(記事)
2014年3月17日(月)日本経済新聞
東証、狙いはアリババ複数上場
(記事)
【コメント】
高速道路会社(元のいわゆる道路公団ですが)が上場する計画がある、という話もありますが。
まあ、電話や鉄道の例もありますし。
アリババは上場に先立ち、経営陣が議決権の個数が普通株式よりも多い種類株式を発行すること考えているようです。
この目的は、創業者等の経営陣が十分な議決権割合を上場後も確保し続けることのようです。
そして、例えば香港証券取引所は、種類株式の発行は株主平等の原則に反するということで上場を認めていない、ということのようです。
この点について一言だけ書きますと、会社が発行できる株式はただ一種類のみです。
言うまでもなく、会社が発行できるただ一種類の株式とは普通株式です(ですから”普通株式”という日本語すらおかしいわけです)。
その理由については今まで何回も書いたかと思います。
今日改めて簡単にまとめてみましょう。
まず、議決権がない種類株式(よく優先株式と呼ばれます)は、根本的に引き受ける投資家が一人もいません。
なぜなら、議決権がないからです。
議決権がないと株主は会社に対して意思決定を行うことができません。
”出資”はしたが口は一切出せないとなりますと、これは会社にお金をい寄付をしたようなものでしょう。
また、残余財産の分配請求権の順位は全負債のさらに後ですから、会社倒産の際は実際には1円も弁済されません。
要するに、議決権がない種類株式を引き受けることは本来、投資家にとってはじめから著しく不利な状態に置かれてしまうことを意味します。
議決権がない種類株式を発行することは、通常とは正反対の意味で株主平等の原則に反するわけです。
では逆に、議決権の個数が普通株式よりも多い種類株式(以下「多議決権株式」)の場合はどうでしょうか。
議決権がない種類株式とは正反対に、多議決権株式は明らかに所有者に有利でしょう。
そのことは当然、多議決権株式は株主平等の原則に反することを意味するわけです。
ただ、この多議決権株式にも会計理論上議論する部分はありまして、
その定義(設計・設定)次第では多議決権株式がそれほど有利とは言えない条件も考えられます。
例えば、単純に1株で10個の議決権がある多議決権株式を考えてみましょう。
1株で10個の議決権という部分だけを見れば確かに有利ですが、その多議決権株式の発行価額はいくらなのでしょうか。
単純に普通株式の発行価額の10倍なのだとすると、その多議決権株式は全く有利ではなく、普通株式と全く平等であるわけです。
その多議決権株式1株は普通株式10株と完全に等価だ、と言えるわけです。
この場合、株式の発行価額により多議決権株式が有利か有利でないか決まるわけです。
逆に言えば、そのような多議決権株式を発行するくらいなら、単純に普通株式を10株発行すべき、となるでしょう。
他にも多議決権株式がそれほど有利とは言えない条件というのは考えれます。
例えば、議決権の個数は10個だが残余財産の分配請求権はない、という条件が考えられるでしょう。
普通株式よりも強い意思決定力がある代わりに、その責任を取る意味合いで、万一の際は残余財産は一切受け取らない、という条件です。
もちろん会社倒産の際は資本への残余財産というのはない(もしあるのならはじめから会社は倒産しない)わけですが、
ここでは理論上のことを考えると、上記のような条件を設定した種類株式というものも考えられると思います。
この多議決権株式も結局は発行価額が問題になります。
普通株式と同じというのはおかしいとは思いますが、単純に10倍というのもまたおかしいのは明らかでしょう。
これは種類株式全般に関して言えることですが、率直に言えば、種類株式と言うのは発行価額が問題になるのです。
全株主にとって間違いなく平等と言える発行価額がそもそも存在しない、という問題点が種類株式にはあるわけです。
普通株式のみであれば、全株主にとって間違いなく平等と言える発行価額がまさに目の前にある(=1株当たりの株主資本額)わけですが。
中学校や高校の数学の授業で、「1と0.999...」は同じである、と習ったと思います。
その説明方法は何通りかあると思いますが、一つの説明方法に「1と0.999...との差がいくらであるとは言えないから」というのがあります。
「1と0.999...」が違うのであれば「差はいくらである」、と言えるはずです。
しかし、どこまで行っても「差はいくらである」とは言えないわけです。
だから、「1と0.999...」は同じである、という説明になるわけです。
この例と同じ様なことが普通株式と種類株式の間の発行価額の違いに関しても言え、
種類株式の発行価額をいくらに決めれば普通株式の発行価額と差はない(=種類株式を発行しても株主平等の原則に反しない)
と言えるのかが全く分からないわけです。
株式が持つ権利の大中心にあるのが議決権であるわけですが、議決権にまつわる形で、
配当を受ける権利であったり、残余財産を受け取る権利であったり、出資者として有形無形の形で会社に対し意見を述べる権利であったり、
があるわけです。
それら複数の明文のもしくは言外の様々な権利でもって一つの普通株式が構成されているわけです。
それらの権利一つ一つが普通株式の価値・価額を構成しているわけです。
普通株式の全権利・価値・価額のうち、議決権が占める割合は何パーセント、配当を受け取る権利が占める割合は何パーセント、
残余財産を受け取る権利が占める割合は何パーセント、意見を述べる権利が占める割合は何パーセント・・・、
とはとても算出できないわけです。
それらの割合は株主によっても異なるかもしれないわけです。
複数の株式の発行を想定するととても発行価額は決められない、だからこそ、普通株式一種類のみを発行することにしているわけです。
種類株式を発行してしまうと、株主平等の原則は守りたくても守れないわけです。
このことに関連して、たとえ厳密には株主平等の原則には反していても、株主総会決議を取ることによって、
株主が承認すれば種類株式の発行も認めれられるのではないか、と思われるかもしれません。
確かに、新株式を発行するというだけですと債権者保護の観点には反しませんし、他ならぬ株主自身が承認するのなら、
種類株式の発行は誰かの利益を害することにはならないでしょう。
しかし、商法制度設計(法の定めはどうあるべきか)という観点から見ますと、
そもそも普通株式以外の株式の発行自体を認めるべきではない、という点に行く着くと思います。
株式の発行価額の点でもそうですし、株式会社や株式のそもそもの概念の点でもそうです。
厳密に経済原理に従えば、そもそもの話をすれば、普通株主は自分より有利な株式の発行を認めるわけがありませんし、
逆に普通株式よりも不利な株式であれば今度はこの世に誰も引き受け手はいないはずだ、という極めて単純な理屈・論理の流れがあるわけです。
法制度の設計としては、当事者(ここでは普通株主)が同意・承認するのならよい、ということ想定するのではなく、
そもそもの物事の概念と言いますか厳密な経済原理を前提とした制度設計が求められると思います。
「当事者が同意・承認するのならよいのではないか」、で済むのならはじめから法律はいらないわけです。
あるべき姿の追求・実現のために、当事者の意思を超えた制約を課するのがそもそも法律なのではないでしょうか。
原理原則に従って、根本の概念にまでさかのぼって、常識的な考え方に沿って法律を定める、それが本当ではないでしょうか。
種類株式を発行することは、饅頭とおはぎを比較するようなものです。
重さも大きさも作り方も成分も両者は完全に異なるわけです。
異なるお菓子はそもそも比較するものではないでしょう。
「おはぎ1個と饅頭何個が等価である(平等の原則に反しない)」、とは概念的も金額的にも決して言えないことかと思います。
法制度上、一体いつから種類株式を発行できるようになったのかは知りません。
しかし、法制度が改悪された時、当時の人々はきっとこう思ったでしょう。
「株式には普通株式しかないと思うけど。」と。