2014年2月12日(水)
「間抜けな(Dumb)スターバックス」とは、パフォーマンスアートか。それともマーケティング戦略か。もしくは何か全く別のものか――。
米ロサンゼルスのロスフェリッツに先週末、どこから見てもおなじみのコーヒーショップ「スターバックス」がオープンした。
だが、ロゴの前に「間抜けな」という文字がついている。
スターバックスの広報担当者は「(この店舗について)認識しており、調べている最中だ」と述べた。
広報担当者はさらに、この店舗は「明らかに」シアトルに本社を置くスターバックスとは関係がないと付け加えた。
「間抜けなスターバックス」では、「間抜けなバニラ・ブロンド・ロースト」や「間抜けなチャイ・ティー・ラテ」、
「間抜けなキャラメル・マキアート」などが、「間抜けなベンティ」「間抜けなグランデ」「間抜けなトール」といったサイズで飲める。
レジのそばの棚には「間抜けなジャズ・スタンダード」や「間抜けなノラ・ジョーンズ・デュエット」
「間抜けなテイスト・オブ・キューバ」といったCDが並ぶ。
少なくとも開店したばかりの週末はすべてが無料だった。土曜日に店の外にまで長い列ができたのはおそらく、
この不可解な店の情報がソーシャルメディアで広まったためだ。
「間抜けなスターバックス」には忙しく働くわずか2人の従業員しかいなかった。2人ともほとんど説明ができなかったか、
もしくはしなかった。午後5時20分頃、2人は用意した分がなくなったので店を閉めなければならないと言った。
「無料の間抜けなコーヒー」を求めて、まだ数十人が並んでいた。
バリスタのアンバーさんは最近、インターネットでこの仕事を見つけ、面接を受けたと話す。面接官の男性の名前は覚えていないという。
この店舗が芸術か何かの表現かと聞かれ、アンバーさんは「わからない。芸術って何?コーヒーを出すことが芸術かもしれない」と話した。
さらに説明を求められたアンバーさんは「よくある質問」と題された冊子を指さした。
そこには、間抜けなスターバックスがスターバックスの名前とロゴを「マーケティング目的で」使用しており、
それは「パロディー法」と「フェアユース(公正な使用)」規定により合法であると記載されている。
それで、これは本物のビジネスか?
そうだ。コーヒーショップとして完全に機能しているが、法的理由によって間抜けなスターバックスは
パロディーアートの作品として分類される必要がある。法律の観点からすると、私たちの「コーヒーショップ」は
「実際にはアートギャラリー」であり、あなた方が購入しているコーヒーは芸術とみなされる。だが、それは私たちの弁護士が心配すべきことだ。
あなた方はおいしいコーヒーを楽しむだけでいい。
スターバックスは間抜けだと言っているのか?
全くそうではない。実際、私たちはスターバックスを愛しており、ロールモデルとして尊敬している。不幸なことに、
私たちが「フェアユース」規定のもとで彼らの知的財産を使用できる唯一の方法は彼らをからかうことだ。
だから、「間抜け」の文字は必要性からきているのであって、敵意からきているのではない。
冊子の一番下には電子メールのアドレスが記されている。そこに質問を送付したが、まだ返事はきていない。
(ウォール・ストリート・ジャーナル 2014年
2月 10日 16:09
JST)
ttp://jp.wsj.com/article/SB10001424052702303374704579374093041294068.html
「間抜けな」スタバ4日で閉鎖 ロス 営業許可なく
大手コーヒーチェーンのスターバックスにそっくりな看板を掲げ、ロサンゼルスに出現した「間抜けなスターバックス」の店舗が、
営業許可を受けていなかったことが分かり、閉鎖されることになりました。
この店舗は、今月7日にオープンし、店名やメニューの頭に「間抜け」という言葉を付けたうえで、
スターバックスと極めてよく似たロゴを使っていました。
しかし、開店から4日目の10日夜、地元の衛生当局は、飲食店としての営業許可が無いとして、店舗の閉鎖を命じました。
この店舗について、本家・スターバックスは、「商標登録してある我々の名称を使うことはできない。
対応を検討中だ」というコメントを出していました。
地元メディアによりますと、この店舗は「ふざけた経営アドバイスをする」というコンセプトで実施した
コメディー番組の宣伝だったということです。
(テレ朝news
2月12日(水)10時55分配信)
ttp://news.tv-asahi.co.jp/news_international/articles/000021323.html
ttp://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann?a=20140212-00000006-ann-int
「キャプチャー画像(テレ朝news)」
「キャプチャー画像(Yahoo!
JAPAN)」
米LAの「間抜けなスターバックス」、コメディアンの仕掛けと判明
【ロサンゼルス】米カリフォルニア州ロサンゼルスに突如現れた「間抜けなスターバックス」店は
コメディアン、ネイサン・フィルダー氏が仕掛け人だったことが分かった。
米メディア大手バイアコム傘下のコメディ・セントラルが製作している同氏の冠番組「ネイサン・フォー・ユー」の企画だった。
この番組は苦悩する中小企業経営者に的外れな方法で手助けを試みるものだ。
フィルダー氏は10日、「間抜けなスターバックス」店舗前の駐車場で記者会見を行った。現場には大勢の報道陣が集まっていた。
フィルダー氏は自分の名前やテレビ番組を持っていることについては正直に質問に答えたが、
カメラ向けには初めて事業を始めた小心者のオーナーを演じた。
ロサンゼルスのロスフェリッツ地区に「間抜けなスターバックス」は予告もなく開店した。
この店は店名をはじめ、ほぼすべてのメニュー、カップサイズ、それに店内のCDタイトルでさえ「間抜けな」が頭につく。
店は開店以来ずっと、行列に並んだ客に無料で飲み物を提供している。
店内で配られる「よくある質問」と書かれた印刷物には、これはパロディーだから合法だとあるが、商標法の専門家は疑問を投げかけている。
スターバックスの広報担当者は「ミステリーが終わって喜んでいる」と述べた。
バイアコムとコメディ・セントラルは10日夜に声明を発表し、自分たちは「知的財産権を真摯に受け止めている。
また、社会的主張を特徴とする表現に対して与えられている憲法の権利も認識している。
"間抜けなスターバックス"に関連するエピソードは保護された表現の自由に相当する」と述べた。
(ウォール・ストリート・ジャーナル 2014年
2月 12日 13:45
JST)
ttp://jp.wsj.com/article/SB10001424052702303374704579377921342118370.html
「なんちゃってスタバ」登場に本家が抗議 米ロサンゼルス
ニューヨーク(CNNMoney)
米ロサンゼルスの街にこのほど、
コーヒーショップのパロディー店「ダム・スターバックス(Dumb Starbucks)」が出現した。
この行為に対して本家の米スターバックスは中止を求めている。
スターバックス広報は、「ユーモアは分かるが、我々の商標を使ってはならない」
「これは保護された商標であり、我々のものだ」とコメントした。
報道によると、ダム・スターバックスは先の週末にオープンして通行人に無料でコーヒーを配り、店の前には行列ができた。
スターバックスに似せたメニューも用意していたが、全商品の名に「dumb」が付いていたという。
10日になって、この店にかかわった関係者が記者会見。ケーブルテレビ番組「コメディー・セントラル」の宣伝が目的だったと打ち明けた。
スターバックスは「謎が解けたことを歓迎する」と述べ、ダム・スターバックスを提訴する可能性については
「あらゆる選択肢を検討している」と説明。ダム・スターバックスは本家のスターバックスとは「一切無関係」だと強調した。
ダム・スターバックスの関係者には取材できなかった。
スターバックスは1971年の創業。人魚の周りを「スターバックス・コーヒー」の文字で囲んだ緑と白のロゴで知られる。
ダム・スターバックスはこのデザインをそっくりまねて、「dumb」を付け足したロゴを使っていた。
(Cable
News Network 2014.02.11 Tue posted at 14:29
JST)
ttp://www.cnn.co.jp/business/35043717.html
【コメント】
はじめから全てが出来レースだったのでしょう。
このたび当選した新東京都知事も一種のコメディアンなのでしょうか。
「学業成績が知的能力を判定する最も公平な基準です。」
(Scholastic
attainments are the fairest standards to judge intellectual faculties.)
受験勉強というものは本当に大切だと思う今日この頃です。
これは決して精神論や教育論から言っているのではありません。
生徒にとって学校が面白くない理由というのは、授業が分からないからなのです。
もちろん、授業が分かるようになるためには、生徒一人一人が勉強しなければなりません。
しかし今は、学校や進学制度が生徒に勉強をさせないように仕向けているかのようだ、と私の目には映るのです。
これでは生徒達は、「授業が分からない、毎日暇で暇で仕方がない、学校生活が毎日くだらない。」と思うだけではないでしょうか。
生徒達の中学校生活や高校生活のことを思えばこそ、受験勉強が何より大切である、というふうに私は思うわけです。
世の中で一般に何と言われているは知りません。
しかし、あらゆる面において受験勉強は生徒にとってプラスにしかなりません。
これは私自身の経験から言っても絶対に間違いのないことです。
そして、学業成績(いわゆるテストの点数)が実は一番当てになる指標(判断基準)です。
人の能力はテストの点数で測ることができるのです。
テストの点数とは無関係に高校や大学に進学をしても、履歴書には書けるかもしれませんが、自分の頭まで良くなるわけではありません。
そして、間違った手段で進学をしてしまいますと、自分も周りも社会も、
その人の能力を誤認する(分かりやすく言えば「勘違いする」)ようになるだけなのです。
テストの点数一本で判定するようにすれば、はじめからそれで済む話なのではないだろうか、と思います。
勉強というものはお金を支払ってするものではありません。
勉強というものはお金をもらってするものでもありません。
勉強というものはお金とは無関係にしなければならないものなのです。
本当に大切なものには決して値段を付けることができません。
だから、priceless
という言葉は「極めて貴重な」という意味なのです。
お金があればこの世のほとんど全てのものを買うことができます。
しかし、一番大切なものはお金で買えないのです。
ひょっとしたら、学歴は金で買えるかもしれません。
しかし、実力は金で買えないのです。
まあそういうわけで、社会全体の課題として、生徒に勉強をさせるような仕組みを作っていかねばならないのではないか、
と常日頃私は思っていますので、受験制度に関する「檄文」を書いてみました↓。
まあ文章の元ネタは「キン肉マン」ですので、その辺は割り引いて読んで下さい。
日本国民よ。
どうやらお前は永い間国家との馴れ合いのベタベタした間違ったあぶく銭漬けの中にいたために
戦前のギラギラした闘争心を失ってしまったようだ。
わたしの提唱する真・日本国民の底力では、日本国民個人個人がそれぞれ自分の能力を出しきり精一杯努力したと
判断しない限り手助けはしないことになっている。
日本国民よ、わたしの見た所お前はまだ余力を残している。
高校受験・大学受験制度のあるべき姿を主張するくらいの余力はな。
日本国民よ。
戦前のお前はどんな困難に遭遇しようとも自分で育て上げた国力で誰にも頼ることなく切り抜けてきたのではないか。
戻るのだ、日本国民よ。
戦前のハングリーなお前に。
日本国民よ。
どうするかはおまえの好きにするがいい。
しかし、これだけは言っておく。
お前がもしもう一度馴れ合いの友情集団に戻れば
これからは仲間の助けなしでは困難に立ち向かっていけない
「軟弱な国民」
になってしまうだろう。
聞けい、日本国民よ。
国民一人一人の固い信念と自立心なくして真の日本国民の底力は生まれんぞ。
固い信念と自立心、日本国民はどこかへそれらを置き忘れてきたのではないか。
日本国民は今こそ、失ったものを取り戻す時だ。
俺も昔は孤独なただの学問好きだった。
ある日、俺は高校進学そして大学進学の途中でとてつもなく大きなハリケーンに襲われた。
ハリケーンの巻き起こす風は、点数や勉強量に裏打ちされた実力をもなんなく吹き飛ばした。
そして、その巨大な逆差別主義は狙いすましたかのように、俺の心臓めがけ飛んできやがった。
まわりにはその巨大な逆差別主義を停止させてくれる救済策も別の道もない。
そんな気配すらない。
頼れるのはおのれの力ひとつ。
頼れるものは何もない。
まさにあの時の心境と今の日本国民の気持ちはそっくりだ。
固い信念と自立心なくして真の日本の底力は生まれん。
今の日本国民は、昔持っていた強い信念や自立心を忘れてしまい、
常に国家からのあぶく銭でしか物事を解決できなくなってしまっているのではないか。
今こそ、日本国民は正しい道を歩む時ではないか。
皇国の興廃、受験制度の建て直しに在り。
(2010年4月11日下書き、2011年3月9日更新)