2013年12月23日(月)



2013年12月21日(土)日本経済新聞
■三菱商事 IFRSを任意適用へ
(記事)





2013年12月20日
三菱商事株式会社
国際会計基準(IFRS)の任意適用に関するお知らせ
ttp://www.mitsubishicorp.com/jp/ja/pr/archive/2013/html/0000023207.html

 



【コメント】
三菱商事もIFRSを適用するようです。
平成26年3月期(平成25年4月1日〜平成26年3月31日)の有価証券報告書における連結財務諸表から国際会計基準(IFRS)を適用するようです。
ただ、平成26年3月期の決算短信及び会社法に基づく連結計算書類については、従来同様、米国会計基準を適用するとのことで、
一言で言えば、「決算短信及び会社法に基づく連結計算書類」の連結財務諸表と有価証券報告書における連結財務諸表とが異なる、
という状態になってしまうわけです。
財務情報開示の制度としては、決算短信、会社法に基づく計算書類、有価証券報告書、の3つは全て法的な位置付けとしては完全に異なります。
それぞれ、証券取引所の規則、会社法、金融商品取引法、というふうに、根拠となる規則(根拠法)が異なります。
また、これらで開示された財務諸表は同じでなければならない、という規則もないわけです。
ただ結果としてこれらで開示された財務諸表は同じになる(今まで同じだった)、というだけだと思います。
同じ会計基準を適用したのであれば、当然同じ財務諸表になる(同じならないと逆におかしい)、というだけだと思います。
要するに、有価証券報告書の財務諸表は決算短信の財務諸表と同じでなければならない、という規則はないのだと思います。
そのことを踏まえますと、このたびの三菱商事のように、適用する会計基準自体が決算短信と有価証券報告書とで異なるのだから、
有価証券報告書の財務諸表は決算短信の財務諸表とは異なる、ということがあっても何らかの法令に違反しているということはないのでしょう。

 



有価証券報告書の財務諸表とは異なり、決算短信の財務諸表は監査を受けていないため、
理屈では正しいとは限らないという見方をしないといけないのだとは思いますが、
今までの事例としては、結果として、有価証券報告書の財務諸表は決算短信の財務諸表と基本的には全く同じだったかと思います。
それは決算短信発表時の財務諸表に粉飾はなかったという意味なのですから、それはそれでもちろん望ましい結果であったわけですが、
有価証券報告書の財務諸表は決算短信の財務諸表とは異なる可能性は常にあった(今もある)のもまた事実でしょう。
ここでは決算短信の財務諸表の正確性については置いておくとしましょう(決算短信の財務諸表に粉飾はないとしましょう)。
有価証券報告書の財務諸表と決算短信の財務諸表とが異なること自体には特段何の問題もないのでしょうが、
これまでの財務情報開示との整合性(例えば既に3四半期分提出済みの平成26年3月期の四半期報告書(米国基準適用)との整合性)を考えれば、
通期の報告書と言える平成26年3月期の有価証券報告書も米国基準を適用すべきではないか、と思いました。
簡単に言えば、決算短信の財務諸表と有価証券報告書の財務諸表とは違っていてもいい(適用する会計基準に違いがあってもいい)が、
四半期報告書の財務諸表と有価証券報告書の財務諸表とは整合性が取れていないといけないのではないかと思いました。

 

「提案:IFRS移行に基づく開示スケジュール(予定)」


簡単に言えば、
平成26年3月期の財務情報開示は全て米国会計基準で統一する、
平成27年3月期の財務情報開示からは全てIFRSで統一する、
という方が望ましいのではないか、と思いました。

 

 


2013年12月23日(月)日本経済新聞
ソニーの映画部門 要職に「大物」続々登用 ヒット作で収益改善 期待
(記事)


2013年12月23日(月)日本経済新聞 経営の視点
消える社長、増えるCEO 世界に見える企業統治
(記事)


 



【コメント】
いわゆる「経営トップ」の肩書きは、「社長」がいいのか「CEO」がいいのか、というのは極めて表面的な議論である気がします。
「社長」といいますと「会社の長」という意味でしょうし、
「CEO」といいますと「最高の経営責任を負っている者」という意味でしょう。
要するに「社長」と「CEO」は同じ意味なのではないか、という気がします。
また、地域子会社の経営トップも「CEO」という肩書きを持っていたりするわけでして、
肩書きが社長か会長がCEOかというのはあまり本質的な議論ではないと思います。

それと、経営の最高責任者云々とは言いますが、株式会社の理念や概念に基づけば、
取締役の法的地位は全員同じである、となろうかと思います。
全取締役の中で、他の取締役よりも重い経営責任を負っている者などいない、という言い方ができると思います。
そういう意味では、監査役設置会社においては、「CEO(最高経営責任者)」という言い方自体がおかしいと言わねばならないと思います。
この点、委員会設置会社であれば、「CEO(最高経営責任者)」という肩書きを持つ者が執行役にいてもおかしくはないのかもしれません。
ただ、全執行役の法的地位は同じ、ということであれば、結局監査役設置会社同様、「CEO(最高経営責任者)」という言い方自体がおかしい
ということになると思います。
また、委員会設置会社における取締役の執行役任命責任というのは、どのような法的位置付けになるのかも考慮する必要があるでしょう。
「CEO(最高経営責任者)」よりも取締役の方が法的責任は重い、という考え方もあるように思いました。
業務執行の責任はどれほど重く、そして、任命責任(選任責任)はどれほど重いのか、
つまり、どちらがどれほど重いのか、もしくは、責任の重さは両者で同じなのか、という議論になるかと思います。
これは監査役設置会社そして委員会設置会社におけるそもそもの機関設計・制度設計にまでさかのぼる議論になるかとは思いますが。

 


株式会社の理念や概念に基づけば、なぜ、取締役の法的地位は全員同じであるのか。
その理由は端的に言えば、「債権者から見れば同じだから。」となると思います。
株式会社という一つの法人がある中で、債権者は会社に自分のお金(ここでは仕入債務なども含む)を言わば預けているわけです。
そんな時に、ある取締役が違法または不当な業務執行をして会社に損害を与え、そして会社が倒産した場合、
債権者としてはその責任を問いたいわけですが、債権者には取締役を選任する権利(議決権)はないわけです。
債権者の利益保護を考えるならば、特定の取締役だけが重い法的責任がある、と考えるのはおかしいわけです。
債権者に対して、監視義務の如何に関わらず取締役は連帯して責任を負う、ということだと思います。


一方で、ある取締役が違法または不当な業務執行をして会社に損害を与えたが、会社は倒産しなかった場合はどう考えればよいでしょうか。
会社が倒産しない限り基本的には債権者は会社に物申せないわけですが。
債権者が会社に物申せるのは、会社の弁済能力が少なくなってしまう恐れがある場合のみ、と言っていいと思います。
極端に言えば、会社は弁済さえすれば、債権者に意見される言われはないわけです。
この「会社の弁済能力が少なくなってしまう恐れ」というだけで、債権者は果たして取締役に対し損害賠償の責任を問えるのかどうか。
もっと言えば、「確かに会社の弁済能力は少なくなった」が会社は倒産しなかった場合、債権者はどこまで会社や取締役に物が言えるのか。
正確な答えはまだ私には分かりませんが。


ある取締役が違法または不当な業務執行をして会社に損害を与えたが、会社は倒産しなかった場合の、取締役に対する責任追及は、
株主(もしくは監査役)の役割、ということになると思います。
株主(もしくは監査役)が取締役に対し損害賠償の責任を問う形になるのだと思います。
ただここで問題となるのは、やはり株主の取締役選任責任なのです。
その取締役を選任したのは他ならぬ株主自身であるわけです。
その責任はどうなるのか、という問題はやはりあると思います。
「所有と経営の分離」がそもそも株式会社の根本の理念や概念なのだから、業務執行の責任の方をやはり重く問うべきなのか、
それとも、株主には取締役を解任する権限もあるわけだから、解任しなかった責任を含め選任責任も重く問われるべきなのか。
正確な答えはまだ私には分かりませんが。


株式会社の根本の理念や概念、そして、機関設計・制度設計を踏まえ、この点についてはもう少し時間をかけて考えたいと思います。