2013年12月21日(土)



日産 GT-R 消費税8%で28万の価格アップ…新車の適用は登録日

2014年4月1日より現行の税率5%から8%になる消費税。日産自動車のウェブサイトでは消費税8%適用時の車両価格を公表している。
一例として『GT-R』では、税込み価格1011万1500円が、消費税8%の適用で1040万400円と28万8900円の価格アップ。
一方、エントリーモデルのマーチでは、消費税5%で125万3700円のものが、消費税8%で128万9520円と3万5820円の価格アップとなる。
車両本体の他、メーカーオプションやディーラー装着のナビゲーションなども、2014年4月から消費税が8%となるので
契約時にはよく確認することが必要だろう。
なお、自動車購入時にかかる消費税は、新車は「登録日」、中古車は販売会社によって「登録日または納車日」が消費税の適用日となる。
販売店に在庫があれば1〜2週間で登録も可能だが、例えば、今から新車を契約して工場へ注文を入れて生産する場合、
登録をして納車するまでおおよそ1〜2カ月、人気のモデルだと3カ月待ちと、
車種によっては消費税8%が適用される2014年4月以降の登録となる場合もあるので、登録日がいつ頃になるかの確認も必要だろう。
(レスポンス 2013年12月21日(土) 10時21分)
ttp://response.jp/article/2013/12/21/213515.html

 



【コメント】
みなさんこんにちは。
先ほど日産のディーラーに行って「新型GT−R下さい」と言ったら、
奥から支店長が飛び出してきて「他の車種はいかがでしょうか」と言われました。参謀です。
というのは冗談です。

消費税の話なのですが。


>『GT-R』では、税込み価格1011万1500円が、消費税8%の適用で1040万400円と28万8900円の価格アップ。

と書いてあります。

消費税5%の時の本体価格→1011万1500円÷1.05=9,630,000円
消費税8%の時の本体価格→1040万400円÷1.08=9,630,000円

消費税が5%だろうが8%だろうが、本体価格は一緒です。
当たり前じゃないか、と思われるかもしれません。
しかし、消費税増税に合わせいわゆる価格改定を行い税込価格を何かキリのいい数字にしようとしますと、
このような計算方法で逆算した結果の本体価格が必ずと言っていいほど違ってくるわけです。
消費税8%の時の”本体価格”は消費税5%の時の本体価格に比べて、計算結果として、高くなる場合もあれば低くなる場合もあるわけです。
消費税率が何%に変化しようが、本来は『GT-R』の本体価格のように、本体部分は全く変わらないはずです。
税込価格を何かキリのいい数字にしようとした結果本体価格が変わってしまっただけだという見方もできるかもしれませんが、
それはどちらかと言えば後付の理屈に近いものがあるわけでして、
本当はやはり「本体価格+消費税額(=本体価格×1.08)=税込価格」という加算方法しか消費税計算にはないわけです。
本体価格や消費税額を逆算するというのは、あくまでそのようにも結果として算出できる(=数値が与えられれば逆算することもできる)、
という意味しかないわけでして、本来的に消費税額や本体価格は逆算によって算出するものではないのです。

 



まず、本体価格がある。
この本体価格は当然最小の位は「1円の位」であり、円未満の単位はありません。
次に、本体価格に消費税率を掛け算して消費税額を計算します。
この時、消費税額には1円未満の数値が出てくる場合がありますが、それは切り捨てます。
最後に、本体価格と消費税額を足し算して税込価格を計算します。
これは、最小の位は「1円の位」の本体価格と最小の位は「1円の位」の消費税額を足し算する形になり、
当然、税込価格も、最小の位は「1円の位」の税込価格となります。

このような順番の計算方法しかないのです、消費税には。
消費税の計算に逆算ということは一切行わないわけです。
唯一、円未満の端数が生じるのが消費税額の部分のみです。
この部分は切り捨て処理することと決まっており、消費税額も最小の位は「1円の位」になるよう計算処理するわけです。
本体価格ははじめから最小の位は「1円の位」(円未満の単位はない)、と決まっているわけです。
当然、販売する時は、販売価格の最小の位は「1円の位」(円未満の単位はない)でないと決済ができません。
消費税を納税する観点からも、お客さんが商品代金を支払う観点からも、消費税額の最小の位は「1円の位」(円未満の単位はない)、
というふうに切り捨て処理するわけです。
本当は消費税額も端数は切り捨て処理しない方がいいのです。
しかし、円未満の通貨単位はないわけですから、仕方なく端数は切り捨て処理しているだけなのです。

税込価格から逆算する(「1.08」で割り算する)とどうなるのかと言えば、
消費税額ではなく、本体価格の方に端数が生じることになってしまうのです。
本体価格に端数が生じるのはおかしいわけです。
なぜなら、その商品は仕入元から決済を行って仕入れたわけですから。
決済代金に端数があったとでも言うのでしょうか。
サービス業であっても同じでしょう。
サービスそのものの対価(本体価格)部分に端数があるのでしょうか。
要するに、消費税の計算方法に逆算はない、ということを言いたいわけです。
本体価格分というのは、仕入れる時の価格も売る時の価格も常に整数(円未満の端数はない)なのです。
ただ、仮払い消費税の部分と仮受け消費税の部分に計算上(0.08をかけ算する関係上)端数が生じ得るわけです。
しかし端数は決済できません(納税もできません)から、仮払い消費税の部分は仕入元で端数処理をしており、
仮受け消費税の部分は会社自身で端数処理をしている、というだけなのです。

 



消費税納税までの一連の流れを簡単に書きますと、次のようになります。


@仕入元から消費税込みで商品を仕入れる
A仕入れた商品に付加価値を付け(=利益分を上乗せし)消費税を加算した価格で販売する
B「仮受け消費税−仮払い消費税」を納税する

@の総仕入代金は、「本体価格@+仮払い消費税」であるわけです。
Aの総売上代金は、「本体価格A+仮受け消費税」=「(本体価格@+付加価値(会社の利益))+仮受け消費税」であるわけです。
Bで税務当局に納税するのは、「仮受け消費税−仮払い消費税」となるわけです。


サービス業であれば、上記@などがなく、単に、
A´労務費や経費を見積もった上で会社の利益を上乗せして(=これが本体価格)、さらに消費税を加算した価格でサービスを提供する
となり、
A´の総売上代金(サービス代金)は、「サービスそのもの対価(本体価格)+仮受け消費税」であるわけです。
仮払い消費税がないのなら、そのまま仮受け消費税を納税するだけとなるわけです。
そして、本体価格(=サービスそのものの対価=労務費や経費を見積もった上で会社の利益を上乗せした価格)に端数があるのか、
というと、やはりないでしょう。
もしもこの本体価格(=サービスそのものの対価)に端数があるとすると、どこまで厳密に原価計算をやっているのか、
などと冗談の一つも言いたくなるわけです。
やはり本体価格のの最小の位は「1円の位」(=整数=円未満の単位はない)でしょう。

要するに、消費税の計算には、
「本体価格⇒消費税額⇒税込価格」
という順番しかないわけです。
本体価格を税込価格から逆算する方法というのはない(マーケティング上、経営管理上も)、と言わないといけないと思います。
同じ”端数が生じる”でも、消費税額自体も逆算して算出したりはしないのです。
ただ単に本体価格に0.08をかけ算した結果、端数が生じるというだけなのです。
「税込価格は先に決まらない」と言えばいいでしょうか。

 



飲食店でも公共交通機関でも税込価格が(もちろん消費者の利便性を考え)キリのいい数字なっていますが、
逆算して消費税額や本体価格を算出して考えるのだとすると、
「では本体価格とは何だ?」
という議論になってしまうような気がします。
「本体価格を変えたからそのキリのいい販売価格になったのだ」というのは一定の理屈は通っているとは思うのですが、
何と言いますか、それは事業者側の言い分(悪く言えばこじつけ)に近い気がします。
消費税の算出過程を踏まえれば、その考え方は理論上おかしい、と言えばいいでしょうか。
理屈で攻めますと、「(経営上・利益管理上)そんなに簡単に本体価格を変えられるのか?」という言い方ができるような気がします。
「消費税増税前の本体価格には経営上ちゃんとした理由・意味があったのではないか」、という言い方をすればいいでしょうか。
話が堂々巡りになってしまいますが、本体価格というのが先にある(会社の利益を削って本体価格を下げたのだと言われればそれまでですが)、
というのが、消費税の理論における一番スタンダードな考え方ではないでしょうか。
例に出すのが適切かどうかは分かりませんが、例えば『GT-R』は消費税増税後も本体価格は変わっていないわけです。
消費税率に合わせて税込価格が変わるのであって、税込価格に合わせて本体価格が変わるのではない、と言えばいいでしょうか。
販売価格から逆算して「本体価格はこうであると見なすとつじつまが合う」と計算するのは、やはり後付けやこじつけに思えます。

それから、これは消費税の計算過程の議論ではなく、同じ消費税でも課税対象の議論の方になるのですが、
公共交通機関の料金にはそもそも消費税を課するべきではない、という考え方はあろうかと思います。
消費者から見ると、公共交通機関の利用は消費活動というより生活基盤という意味合いが強い(キリのいい価格もそれが理由でしょう)、
と思いますので、そうであるならばはじめから公共交通機関の料金には消費税を課税しない、という考え方があろうかと思います。
まあこの議論は、消費税そのもの意義や目的(何を目的に何に課税するか)にまで話がさかのぼってしまうかとは思いますが。

 



最後に、消費税が増税されることに関する新税率の適用日について一言書きます。

>なお、自動車購入時にかかる消費税は、新車は「登録日」、中古車は販売会社によって「登録日または納車日」が消費税の適用日となる。

と書いてあります。
消費税法の詳しい定めは分かりませんが、理論上は、自動車購入時にかかる消費税は、
新車も中古車も「売買契約日」が消費税の適用日となると私は思います。
なぜなら、売買契約が成立した時に消費税が課税される、と理論上は考えるからだと思います。
売買契約が成立したことに対してその金額に対して消費税が課税される、と理論上は考えるからだと思います。
理論上は、新車だろうが中古車だろうが、「登録日または納車日」が消費税の適用日となることはないと思います。

ここでの議論というのは、「いつを消費税率の適用日とするか」という議論かと思います。
例えばスーパーなどの小売店での買い物では、ただ単に、
売買契約が成立した時にレジで現金で支払います(決済まで即座に完了する)し、
なおかつ店頭の在庫を買って帰る形の売買(物品の引渡しも即座に完了する)ですから、
消費税率の適用日に関しては全く問題にならない(売買契約日=買い物した日以外考えられない)、というだけなのです。
自動車の売買のように、契約日から「登録日もしくは納車日」までの間に、そして、契約日から実際の代金決済日までの間に、
一定の期間が空いている場合は「いつを消費税率の適用日とするか」が一つの問題になるわけです。
ただ、その問題の答えはそれほど難しくはなく、(消費税法の実際の条文は知りませんが)理論上の答えは「契約日(売買契約締結日)」です。
登録日、納車日、代金決済日、これらも法律上一定の意味を持った期日ではあるのでしょうが、
「消費税がいつ発生するのか」という観点では、やはり「契約日(売買契約締結日)」が理論上一番自然かと思います。

 


先ほど、その問題の答えはそれほど難しくはないと書いてしまったのですが、
これは実は会計上の「収益認識」の議論との関連で言うと非常に深い(非常に会計上興味深い)議論になると思います。

というのは、一般の商品売買や、土地や建物や工場などの固定資産の売買等では、売買契約締結日には何の仕訳も切らないからです。
売買契約締結日には売上も計上されませんし仕入も計上されません。
売買契約締結日には固定資産の勘定科目も動きませんし、債権債務(売掛金勘定、買掛金勘定、未払金勘定、未収金勘定等)も発生しません。
その理由は、詳しくは各自で勉強してもらいたいのですが、端的に言えば、会計上「実現主義」と呼ばれる考え方に則っているからです。
自動車の売買も全く同じであり、売買契約締結日にはディーラー(自動車販売店)も自動車購入者(ここでは仮に法人とします)も、
自動車の売上や購入に関する仕訳は全く切らないわけです。
納車を行って・受けて、初めて売上や購入(固定資産の取得)に関する仕訳を両者はそれぞれ切るわけです。

売上や自動車購入に関しての仕訳や債権債務の発生は、「納車日」ということで異論はないかと思います。
ところがここで問題なのは、やはり「この自動車売買に適用すべき消費税率」なのです。
例えば、4月になったら消費税が増税されるということで、駆け込み需要ということで3月中に自動車を買っておこう、
と考えている消費者がいるとします。
そこで、3月1日にディーラーに行って自動車売買に関する契約をしてきました。
その時、ディーラーから、「納車は1ヵ月後になります。」と言われました。
ここで、納車が3月31日だと消費税は5%、納車が4月1日だと消費税は8%、というと何か違うな、とやはり感じるわけです。
3月1日に売買契約を締結したならば、やはり消費税は5%、というのがやはり一番自然ではないでしょうか。
そうしますと、会計上の収益認識と消費税法上の課税の認識との間にズレがあるということになると思います。
通常であれば、会計上の収益認識日に合致した形で消費税率が一意に決まるわけですが、
この場合は、会計上の収益認識日と適用される消費税率が異なることになるわけです。

 


この論点を仕訳で考えてみるとこうなると思います。
ディーラー(自動車販売店)が自動車購入者に『GT-R』(3月1日に契約)を「4月1日」に納車した時の両者の仕訳はそれぞれ次のようになります。

 

(4/1)ディーラー(自動車販売店)の仕訳

(売掛金) 1011万1500円 / (売上) 9,630,000円
                               (仮受け消費税) 481,500円


(4/1)自動車購入者の仕訳

(自動車) 1011万1500円 / (長期未払金) 1011万1500円

 


4月1日の納車及び売上計上ですが、理論上は次の仕訳にはならない↓、という点に注意が必要です。

 

(4/1)ディーラー(自動車販売店)の仕訳

(売掛金) 1040万400円 / (売上) 9,630,000円
                                  (仮受け消費税) 770,400円


(4/1)自動車購入者の仕訳

(自動車) 1040万400円 / (長期未払金) 1040万400円


 



というわけで、消費税と共に収益認識についても考えてみました。
「売買契約締結日には仕訳は切らない」といったことや「債権債務の発生は契約日ではなく実際の引き渡し日(実現主義)である」といったことを
今までも何回も書きましたが、それらは会計というより法律論ではないか、と思われるかもしれません。
しかし、会計において「何をもってその仕訳を切るのか」という観点は極めて重要であり、
私の中では「仕訳により会社に債権債務が発生する」という理解の仕方をしているわけです。
ですから周りから見ると、法律と関連がある側面が自然と出てきているのだと思います。
私は債権債務に関する法律論を論じているつもりは全くないのです。

私はただ単に、会計を学ぼうと思っていた(思っている)だけであり、それに関連した形で法律のようなことが出てくるだけなのです。
決して、法律を学ぼうと思って法律を学んだ(学んでいる)わけではないのです。
私が興味があるのは、その取引により会社はどのような仕訳を切ることになり、その結果会社にどのような影響があるのか、という点のみであって、
その取引の法律上の論点や解釈そのものにはあまり興味はないのです。

また、法律の分野にも様々あろうかと思いますが、社会で一番法律トラブルとして多いのは結局お金に関することなのだと思います。
つまり、法律的に言うと、債権と債務、といった部分になるのだと思います。
そうしますと、私は特段そういった部分の法律について学んだつもりは全くないのですが、
会計を学ぶことを通じて、法律の一番重要な部分について自然と学ぶことができたのかもしれません。
私はいつも、
「会社法は法律だけでは理解できない。会社法は会計という言語で書かれている。会社法を理解するためには会計を学ばねばならない。」
と書いていますが、実は、法律の債権と債務といった部分も法律だけでは理解できなくて、
会計や経営や人と人との間の日常の自然な経済活動(買い物など)を理解することが非常に大切なのではないか、と思っています。
煎じ詰めれば、法律というのはルールに過ぎません。
法律を法律だけで理解できる部分というのは実は非常に少ないのかもしれません。
また逆に、法律だけから何かを学び理解するということも非常に少ないように思います。


People learn the world setup from each journal entry. Seldom do they learn anything from macroeconomics nor laws.
(人は一つ一つの仕訳から世の中の仕組みを学ぶのだ。マクロ経済学や法学から何かを学ぶことはめったにない。)


改めてこう言いたいと思います。

 


ただ、だからと言って法律は無意味だと言うことでは決してなく、法律というのは社会のルールなのだ、という考えも大切だと思います。
ある漫画にこのようなシーンがありました。


「法律とは何でしょうか?」


>正義てのはなにを規準にしていうんだい?
>罪とはなんだべ? それを裁くのはいったいどこの誰ならええ?


結論だけ言えば、人を裁くのは人には無理だと思います。
人を裁けるほど人は立派ではないと思います。
だから、法律で人を裁くのではないでしょうか。
法律の専門家(特に弁護士)であれば、「法律が正義だ」というような言い方をしたりするかと思いますが、
それは法律の専門家としての矜持からそう言っているのだとは思いますが、
私は別の意味で「法律が正義だ」と思っています。
というのは、結局人が人を裁くのはある意味危険なのです。
人が裁くと、その時裁きを担当した者により、罪の大きさが変わってしまう恐れがあるからです。
ですから、法律で正義と罪を決めるのだと思います。
法律が正義と罪を決めると聞くと反感を覚える人もいるかもしれませんが、
そうではなくて、社会秩序を保つ上でも、「あらかじめ法律で正義と罪を決めるべきだ」という意味なのです。
その正義とはひょっとしたら世間一般の正義やあなた個人の正義とは異なるかもしれませんが。
まあここで言っている正義とはそれほど深い意味はなくて、ただ単に「適法・合法」という程度の意味ですが。
人に正義を決めることや罪を裁くことなどできません。
ですから、違法か適法か(正義か罪か)の判断がぶれることがない様、法律で客観的な形であらかじめ決めておくべきなのだと思います。
価値観や正義とは何かや罪とは何かは人によって大きく異なります。
しかし、「このルールで生きていきましょう」とあらかじめ決めておき、その明示的なルールに基づきて正義や罪や善悪を判断することにすれば、
違法か適法か(正義か罪か)が人によって大きく異なってしまうという事態を避けられるわけです。
人は当てにならない、だから最低限法律を当てにして生きていく、ということが大切な場面も人生の中にはあると思います。
その意味でも「法律が正義だ」と思います。
法律を当てにしていれば、少なくとも、その時々で都合よくルールが変わるという事態を避けられるわけですから。

 



私はそれほど深いことを言いたいのではなく、「『法律が正義だ』と思ってしまった方がいい」ということを言いたいだけなのです。
ある意味非常に薄っぺらいことを言っていることになるわけですが。
本当の意味で「法律は正義」というわけではないのですが、
生きていく上では「法律は絶対だ、しゃあない。」と思った方がましな場面があるわけです。
これもそんなに深いことを言いたいわけではなくて、
「制限速度が50キロなら50キロ以下で走るしかない。そこで制限速度60キロにならないだろうかと思っても仕方がない。」
という程度のことなのですが。
要するに、法律はある意味生きていく上で所与のものと考えた方がまだましであり、
正義か何かは知らないがとにかく法律を守っていればいればとやかく言われることはない、
と思って生きていった方がかえって人生が充実する、と言いたいわけです。
むしろ難しいことは考えずに、法律についてはそこまで割り切った方がいい、と思うわけです。
その意味において「法律が正義だ」と言っているわけです。
とにかく社会では「法律は絶対」とされている、だからそれに合わせて頭を使って生きていく、
ということが大切な場面もあるわけです。
法律というのは普通に生きていく上でも大切な判断基準となるでしょうし、また、法律は攻めにも守りにも使えるわけです。
よく「法律は弱者の味方ではなく知っている者の味方だ」と言われることがありますが、
それは視点を変えれば、法律を知ることができるのは相手だけではなく自分も法律を知ることができる、という言い方ができるわけです。
その意味では法律はフェアであるとも言えるわけです。

 



法律は社会一般に公布されていますから、法律を一方だけが知っているということはあり得ないわけです。
「法律を知っているのはお前だけじゃないんだぜ。」と言って戦えるわけです。
他の何かでは人と人とで差があるかもしれません。
しかし、「法律を知ることができる」という点では人と人とに差はないのです。
その意味では法律はフェアであると言えるわけです。
法律を悪用するというのはそれはそれで間違っているでしょうが、
法律がそのような定めになっているのであればそれに合わせて生きていこう、
と考えることは決して間違った考えではないと思います。
その法律が本当に正しいかどうか(本当の意味で正義かどうか)は分かりません。
しかし、直接的・短期的に法律を変えることなど誰にもできないわけですから、
とりあえずその法の定めに従う、ということは間違った生き方ではないと思います。
まあこれは法律論でも何でもなく人生論ですが。

 


ちなみに私が「法律というのは物事に対するぶれない客観的・明示的な判断基準としてあるんだなあ。」と思うようになったきっかけは
やはり会計なのです。
会計処理方法を定めた会計基準というのは、ある取引に対するぶれない客観的・明示的な仕訳方法の基準として存在するわけです。
ある取引に対して、人によって仕訳が違っていては財務諸表の比較可能性が失われてしまうわけです。
ある取引に対しては誰が会計処理を行おうとも仕訳は一意に決まる、ということが会計では大切であるわけです。
その仕訳にはある意味「人の判断」などあってはならず、ある意味機械的に仕訳が決まらないといけないわけです。
「人によって仕訳が異ならない」というのは、良い意味で「人が判断しない、機械的に仕訳が決まる」という意味だと思います。
会計を学んで、あらかじめ定められた会計基準に従い仕訳を切るということの大切さを知りました。
「どう仕訳を切るかは人が判断してはいけない」と聞くと、世間一般で言われているようなこととは正反対に思うかもしれませんが、
会計基準に従い「人が判断しない、機械的に仕訳が決まる」ということがむしろ客観性を担保することにつながるのだ、と知りました。
そのことを知りますと、単純に「法律も同じなのだろうな。」と思いました。
法律でも、「人が判断しない、機械的に罪の大きさが決まる」ということが逆に大切なのだと思いました。
裁く人によって罪の大きさが変わることの方がおかしいではないか、と。
「なるほど、法律というのは会計基準と同じで、ぶれない客観的・明示的な判断基準を提供するためにあるんだな。」と思いました。
私には、対象範囲の違いこそあれ、会計基準と法律とは同じに見えるわけです。
会計処理が正しいかどうかは公認会計士が判断してはいけません。
会計処理が正しいかどうかは会計基準で自動的に決まるのです。
同様に、罪の大きさは裁判官が判断してはいけません。
罪の大きさは法律で自動的に決まるのです。
「法律でも、むしろ人が判断しないということが大切なのだ。」ということを会計を通じて知りました。
会計基準でも全く同じことが言えますが、

「法律がある理由は、人が判断するよりも、あらかじめ定められたルールに従い機械的・自動的に罪の大きさが決まる方が望ましいからだ。」

ということになるのだと思います。
私個人の価値観としては、「法律というのはただのルールだ、法そのものに深い意味はない、学問でもない」という思いは以前からあったのですが、
会計を学ぶことを通じて、法律の存在意義のようなものは学べた気がします。
私が会計を通じて学ぶことができたことは本当にたくさんあるわけです。
会計基準がそのような定めになっている理由・理屈・背景・論理の流れと、
法律がそのような定めになっている理由・理屈・背景・論理の流れとは、基本的には同じであるということも分かりました。
会計から学べることは本当に多い(だから物事の理解を深めたいなら学ぶべきだ)、ということを強調し、今日は終わりたいと思います。