2013年8月14日(水)
2013年8月14日(水)日本経済新聞
電通、最終赤字36億円 英社買収のれん償却響く 4〜6月
(記事)
【コメント】
連結調整勘定の償却は営業活動とは何ら関係がないわけですから、特別損失に計上すべきだと思います。
例えばある投資有価証券を、高く買ってしまってしまい、そしてその後安く売った場合は、
投資有価証券売却損が特別損失に計上されるでしょう。
投資有価証券の売買自体は営業活動ではないので、その売却損益は特別損益に計上することになっているのです。
それと同じ様に、企業買収自体は営業活動ではありませんので、連結調整勘定の償却額は特別損失に計上すべきだと思います。
【コメント】
本当かどうかは知りませんが、ドラッグストアのかもめの一部の店舗がツルハドラッグに転換されるとのことです。
昨日の南九州サンクスの事例はサンクスがローソンに転換する事例でしたが、
それはフランチャイジーがサンクスではなくローソンとフランチャイズ契約を結ぶというだけのことです。
南九州サンクス保有の店舗や敷地はフランチャイズ契約元が変わっても引き続き南九州サンクス保有のままです。
南九州サンクス保有の店舗の改装を行うだけです。
南九州サンクスがフランチャイズ契約を結んで展開していた店舗や土地やサンクスの保有ではなかったわけです。
そして今後もそれらの土地や敷地はローソンの保有になるわけでもないわけです。
一方、このたびのドラッグストアのかもめの一部の店舗がツルハドラッグに転換されるというのは、
実際に店舗や敷地がかもめからツルハに譲渡されます。
この違いというのは、店舗の運営が直営店形式なのかフランチャイズ店形式なのかの違いから生じているのですが、
直営店形式よりもフランチャイズ店形式の方が、フランチャイズ本部、フランチャイジーいずれにとっても、柔軟性は高いと言えるでしょう。
直営店形式ですと、店舗や敷地の売買を行わねばなりません。
この場合、万が一閉店となりますと両者にとって店舗や敷地を元に戻すことは難しいわけです(新たな買い手を捜さないといけません)。
一方、フランチャイズ店形式ですと、両者にとってはお互いを言わば”借りているだけ”の状態で店舗を運営していくことができます。
フランチャイズ本部にとっては、店舗は自社保有ではありませんから、万が一閉店する時もフランチャイズ契約の終了というだけで済みます。
フランチャイジーにとっては、店舗は自社保有のままですから、万が一閉店となった場合も単なる空き店舗のままにしておくのではなく、
これまでのフランチャイズ契約を終了した後は、何か他のフランチャイズ契約を新規に請け負って、
新しいストア名や新しい業態のフランチャイズ店をすぐに開店することができます。
かつての店舗よりも、新しい業態のフランチャイズ店の方が地域の消費者のニーズに合っている、などということもあるでしょう。
同じ商品を同じ価格で同じように販売していくわけですから、直営店形式だった場合とフランチャイズ店形式だった場合とで
店舗ベースの売上高や利益額は全く同じ(直営店だと集客力が高かったりフランチャイズ店だと顧客離れが起こるなどはない)です。
フランチャイズ本部にとっては直営店形式だった場合とフランチャイズ店形式だった場合とでどちらが利益額が大きくなるのかは分かりませんが、
少なくともフランチャイズ店形式の方がはるかに経営上の柔軟性が高いことだけは確かでしょう。
【コメント】
新株式を任意に誰かに無償で割り当てることはできません(既存の全株主の全株式に対して「株式の無償割当て」はできますが)が、
新株予約権であれば任意に誰かに無償で割り当てることはできるわけです。
法的には、「会社は株式を実際に(有償で)発行したか否か」が根本的に両者を分ける点だということなのだとは思いますが、
理論上これ以上の明快な説明は難しい気がします。
例えば、新株予約権を発行したということは、「会社は新株式を発行する義務を負った」ということです
(新株予約権は純資産の部に計上するのではなく本来は負債の部に計上すべきなのです)。
何の対価も受け取っていないのに義務だけ負うというのは本来おかしいわけです。
会計上、新株式の発行は負債の発行とは正反対の資本の発行そのものですが、
法的には、新株式を発行すると「会社は議決権に従う義務が生じる」わけです。
その点において、新株式の発行と新株予約権の発行は似通っているわけです。
何の対価も受け取っていないのに義務だけ負うことになるという点を踏まえても、また、
新株予約権が行使された場合を考えると実際には半ば既に議決権に関する義務を負っていることと同じ
(半ば既に新株式を発行したことと同じ)であるという点を踏まえても、
新株予約権を任意に誰かに無償で割当てることは、新株式を任意に誰かに無償で割り当てること同様、
会社そのものの理念に反することではないかという気もします。
もちろん法的には、新株予約権の無償割当てと新株式そのもの無償割当ては根本的に異なる、と考えるのだとは思いますが。
新株予約権は、既存の全株主の全株式に対してであっても、無償割当ては概念的には認められづらい側面があるように思います。
それでも、役員及び従業員等にその対価として新株予約権の無償割当てを行う「ストック・オプション」であれば、
現行の会計基準ではストック・オプションの公正な評価額を費用計上(そしてその貸方勘定科目が新株予約権)することになっていますから、
まだましかもしれません。
ただやはりそれでも、この場合の新株予約権の価額というのは義務の大きさを表しているかというと、義務の大きさとは異なるでしょう。
また、ストック・オプションとは異なり、有償で新株予約権証券として新株予約権を発行した場合も、
確かに義務の対価として現金を受け取ってはいますが、その価額は新株式発行の義務の大きさという意味合いとは異なるわけです。
いずれの場合も、新株予約権勘定はどちらかというと、備忘勘定に近い感じがします。
権利行使されるかは不明な状態なのに、将来株式を発行することの義務の大きさを正確に表現しようなど土台無理な話なのかもしれませんが。
最近時々見かける全株主を対象としたいわゆるライツ・オファリング(「新株予約権無償割当て」)ですが、
全ての会社はこの「新株予約権無償割当て」に際し、仕訳を全く切っていないように思いますが、どうでしょうか。
仕訳を全く切っていないとすると、新株式を発行する義務を負っているということを忘れていることになる気がします。
ストック・オプションの会計処理方法に準じた形で、発行した新株予約権の公正な評価額を費用計上する方がまだ正しい気もしますが。
では新株予約権の発行に際してはどのような仕訳を切ることにするのが一番良いのかと言われても、実は私にも分からないのですが。
その理由は、上で書いた言葉を再び繰り返せば、
実際には権利行使されるかどうかは不明な状態なのに、将来株式を発行することの義務の大きさを正確に表現することなど、
はじめから無理な話だからだ、となります。
新株予約権は新株式を発行する義務と言えば義務なのですが、同時に、どれくらいその義務を果たすことになるのかも正確には分からない、
という義務なのです。
そして権利行使価額はまさにケースバイケースですから、同じ新株予約権勘定であっても、
その義務の履行程度(権利行使確率)は著しく異なるわけです。
貸借対照表に計上される債務は基本的には確定債務ですが、新株予約権の場合はもじって言うなら「確率債務」でしょうか。
確率債務などという言葉はありませんが、そう表現したいくらい、新株予約権は義務の履行程度があやふやなのです。
これでは仕訳の切りようがないと思います。
仕訳は今行った取引(過去の取引)を表現するために切るものです(仕訳は取引の結果です)。
決して、仕訳は将来の取引を表現するものではありません。
有償で新株予約権を発行した場合は現行の会計基準の処理方法でもよいと思いますが、
ストック・オプション発行(新株予約権の無償での割り当て)の際は、
いっそのこと、以前のように仕訳は切らない、というのも一つの方法ではないだろうか、という気もします。
新株式を低い価格で発行しただけなのに、過剰に費用計上され、過剰に利益剰余金が減少し、過剰に資本金が増加する、
では経営実態とは離れている気がします。
ストック・オプション発行については、その内容について詳細に注記する、という開示方法の方が望ましい気がします。
『リラックマ』、『アロハリラックマ』とは
今年で10周年を迎える、幅広い世代に人気のキャラクター。「リラックマ」は、東京都内に住むOL「カオルさん」宅にいきなり住みついた
着ぐるみのクマ。背中にはファスナーがありますが、中身は秘密です。「カオルさん」が飼っているペットの鳥「キイロイトリ」や、
どこからともなくやってきた「コリラックマ」が仲間として登場します。人気シリーズの「アロハリラックマ」は、「リラックマ」の
10周年記念第1弾のシリーズとして登場しました。南国でバカンスをすごしている「リラックマ」達と、南国ならではの魅力たっぷりな、
よりリラックス感あふれるシリーズです。
と同時に、「分かりやすい」にも限界があるのも事実でしょう。
「これ以上簡単には書けない」という限界点は何事にもあるわけです。
ただ単にその内容が分かるだけでなく、「それが分かりやすく書かれている」ということが分かるためにも、一定量の勉強は必要となります。
どんなに他人が分かりやすく噛み砕いても、最後の最後は自分自身が勉強するしかない、という限界点は自ずとあると思います。
私も一定量の知識や理解は前提として文章を書いています。
何事でも、究極的には本人が勉強することが大切だと思います。
「地味な勉強をこつこつと続けて初めて物事の本当の価値が分かるようになる」という点について、
短いながらも非常に鋭く解説してある文章がありましたので紹介します↓。
第07回 「分かりやすさ」という罠
(一橋新聞On-Line 一橋新聞部 コラム
部員が語る)
ttp://www.hit-press.jp/column/sk2/sk207.html
>事象や物事というのは基本的には複雑なものである。
>それを単純化するということは、単純化の過程で削られてしまうものが存在するということになる。
>そして削る際の判断基準は削る人間に委ねられている以上、そこから生み出されたものは削った人間の色がついたものとなる。
>それは事象・物事の本来の姿ではなく、削った者(つまり分かりやすく伝えた者)の解釈に過ぎない。
このコラムの執筆者のことは全く存じ上げませんが(もちろん私ではありませんが)、特にこの部分は鋭く本質を突いているなと思いました。
リラックマ うちわ 1 (表・袋入り)
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うちわ 2 (裏・袋入り)
リラックマ うちわ 3
(表)
リラックマ うちわ 4
(表・フラッシュ)
リラックマ うちわ 5
(裏・注意書き 「保護者の方へ」 本来の用途以外には使用しないでください。)
リラックマ 専用パッケージ 1 (正面)
リラックマ
専用パッケージ 2 (正面・拡大)
リラックマ 専用パッケージ 3
(裏面)
リラックマ 専用パッケージ 4
(裏面・拡大)
リラックマ 専用パッケージ 5
(側面左)
リラックマ 専用パッケージ 6
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リラックマ 専用パッケージ 7
(側面右)
リラックマ 専用パッケージ 8
(側面右・拡大)
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