2013年8月3日(土)
2013年8月3日(土)日本経済新聞
■アクロス 民事再生法を申請
(記事)
【コメント】
財務諸表というのは、会社設立時から現在までの、「経営の結果」であるわけです。
ここで言う経営とは、株主による議決権行使から始まり、株主から委託を受けた取締役による意思決定、
管理職の日々の各種管理業務、そして、管理職以下の全社員の毎日の業務の執行まで、全てを含みます。
会社設立時から日々積み重ねられてきた毎日の業務の結果が財務諸表であるわけです。
ところが、再建型にせよ清算型にせよ、法的整理に入りますと、法的に議決権行使が停止されます。
株主は株主でなくなるわけです。
また、債権者の意思により毎日の業務の執行も著しく制限されます。
会社は株主のものではなく債権者のものになり、債務の弁済を最優先とした手続きに入るわけです。
もちろん債権者には債権者の事情がありますからそれが悪いとは言いません。
しかし、少なくともそれは経営ではないわけです。
法的整理に入ると会社は経営を行わなくなる、これが法的整理により、
(法律面では様々な説明付けが可能でしょうが)概念的には会社の財務諸表はなくなったも同然と感じる理由なのでしょう。
平時の経営においてある不動産を売却した場合、それは経営の結果ですからその取引は財務諸表に反映されます。
しかし、法的整理の手続きにおいて債権者の意思である不動産を売却した場合、それは決して経営ではないわけですから、
その取引は財務諸表に反映されない(反映されるのはおかしい)、というようなイメージが私にはあるわけです。
例えば法的整理において、帳簿価額と時価とを比較すると土地の売却に関して売却益が計上される計算になるのだとしても、
債権者は株式や株主はゼロということで整理を進めているわけですから、どの道その売却益は株主に帰属したりはしないでしょう。
債権者は財務諸表は完全に無視して整理を進めていっているわけです。
同じ土地の売却でも、会社の未来のため株主や経営陣の意思により行われたのか、債務の弁済のため債権者の意思により行われたのかは、
土地購入者にとっては同じでも、会社にとっては完全に異なるわけです。
経営と財務諸表とは概念的にも数値的にも強力にリンクしている(だから例えば財務諸表に基づいて株主に配当が支払われる)、
というふうに私には感じられるわけです。
経営と財務諸表とはそのように一体不可分であるわけですから、
法的整理の手続きにおいて債権者の意思により債務の弁済が行われた後のことを考えますと、
仮に法律的にはまだ株式は存在し会計上は資本金その他の勘定科目が残っているのだとしても、
法人格上はともかく、法的整理前と法的整理後では経営や財務諸表に全くつながり(連続性)がない、と言えるわけです。
法的整理前と法的整理後では財務諸表に全くつながり(連続性)がない、
だから法的整理後は財務諸表を作成しようがないのではないか、というふうに私は思うのです。
債権者が行った整理を、あかたも株主や経営陣が行ったと見なせば、債務超過だったりまだ多くの債務が残っている状態ではあるでしょうが、
各取引を無理やり財務諸表に反映させようと思えば仕訳上・数値上反映できるでしょうし、何らかの財務諸表は作成できるでしょう。
しかしそれは、表面上は財務諸表でも、本来の意味での財務諸表ではないでしょう。
財務諸表作成の連続性の観点から言っても、法的整理を行った後は、その法人を再利用するのではなく、清算すべきであると思います。