2013年3月18日(月)



明日2013年3月19日、日本銀行の白川方明総裁が辞任します。
振り返ってみますと、まさに5年前の2008年の1〜3月に、日銀の総裁は日銀の生え抜きがふさわしいと書いたわけです。
私自身は日銀の関係者でもなんでもなく、白川方明氏とは一面識もありません。
あくまで国民の一人として、日銀の総裁は日銀の生え抜きがふさわしいと書いただけです。
日本の中央銀行たる日銀の総裁人事を考える際、第一選択はあくまで日銀の生え抜きが望ましいという考えは今も変わりません。


私は白川方明氏のことは一切知りもせず、5年前はただとにかく日銀の総裁は日銀の生え抜きがふさわしいと書いたわけですが、
結果として、当時の副総裁候補であった白川方明氏が総裁になりました。
そのこと自体には特に大きな感慨はありません。
私は白川方明氏個人に総裁になって欲しかったわけではありませんでしたので。
あくまで日銀の生え抜きなら誰でも良い、という考えを持っていただけです。


 



白川方明氏は、外見も何となくそんな感じなのですが、学者肌の人物のようです。
総裁に就任する前は、大学で教授職も兼職していたようです。
権力が欲しいから大蔵省に行ったという人々に比べれば、日銀は中央銀行(政府の銀行、銀行の銀行、発券銀行)という位置付けとは言え、
何らかの行政権を持っているわけではありませんから、日銀には学者肌の人が比較的多いのかもしれません。
中学時代から私は理系の理論系の学者(職業としては大学の教授)になりたかったのですが、残念ながらその夢は叶いませんでした。
しかし、経営管理学と会計の研究者にはなったと思っています。
教授として大学に籍は置いていませんが、在野・市井の学者にはなれたように思います。
学問が真理の探究にかかわり、人類の文化発展にとって有意義でありながら、時として政治に対し批判的な態度をとることがあったことから、
国家権力がその自由を封じ、弾圧してきたという歴史があります。
そういった歴史を踏まえ、憲法上は「学問の自由」は保障されていることになっていますが、
近年になり「大学の自治」など完全に消え失せた、というのが大学の実態です。
負け惜しみではなく、私は結果として大学教授にはなれなくて正解だったのかもしれません。
真理を探求したかったら大学外にいるしかない、そんな世の中に成り果てたように思います。
幸いなことに、中学時代の志とは異なり、
実験設備や高価な機器類が必要な分野の学問ではありませんので、基本的には組織に属さなくても研究はできます。
今後も、経営管理学と会計の研究を深めていきたいと思っています。
真理を教えられなくて何が大学か、何が学問か、という思いは、今までも、そしてこれからも、私の中で決して変わることはないでしょう。
日銀とはやや関係のない話になってしまいましたが。


というわけで、白川方明総裁お疲れ様でした。
総裁退任後の予定は存じ上げませんが、これも何かの縁です、
近いうちに東京かもしくは北九州で一緒に飯でも食えたらいいな、と思っております。