2013年2月3日(日)



平成25年2月3日
女子アナ総合研究所
「民法(債権法)改正に対する女子アナ総合研究所の意見」
女子アナ総合研究所 総長 昔人生参謀今経営参謀

 

現在、法制審議会の民法部会において、民法(債権法)改正案が審議されており、
今月中(2月中)を目処に中間試案の発表がなされる予定とのことです。
女子アナ総合研究所としましては、個別の論点については法律の専門家にお任せするとしても、
下記のとおり、意見を述べることに致しました。


結論

民法(債権法)改正を行う必要性は全くない


理由

現在の民法(債権法)のままでも、各種特別法そしてこれまでの判例により、何の不都合もなく十分に対応が可能だから。

 

 



説明


民法というのは非常に抽象的に書かれているわけです。
基本概念しか書かれていないと言えばいいでしょうか。
そこが民法が分かりづらいとされている(法律が分かりづらいと国民が感じる)理由だと思います。
ただ、それは民法というのは各方面・各分野の各種法律の基礎となる考え方を提供している法律ですから、
逆に法律の記述が抽象的にならざるを得ないのです。
民法は法律全体に渡る基本的な考え方を示しているだけです。
個別具体的な分野に関してはそれぞれの分野の特別法で対応していく、という流れになっています。
例えば、特に一般消費者に関連する分野であれば、民法の規定に従った上で消費者契約法を制定している、という形です。
民法が基本法、消費者契約法が特別法です。
例えば、特に労働に関連する分野であれば、民法の規定に従った上で労働契約法を制定している、という形です。
民法が基本法、労働契約法が特別法です。
例えば、特に農協すなわち農業の組合に関する分野であれば、民法の規定に従った上で農業協同組合法を制定している、という形です。
民法が基本法、農業協同組合法が特別法です。
例えば、特に御存知商業に関する分野であれば、民法の規定に従った上で会社法を制定している、という形です。
民法が基本法、会社法が特別法です。
国民の生活に関係がある全ての法律はこのような一種の二段構えのような形を取っています。
なぜ基本法と特別法の二段構えになっているかというと、おそらく、柔軟性の確保のためだと思います。
法律を改正する必要が出てきた時は、特別法のみを改正すればよい、基本法(民法)の方は改正する必要はない、という風に考えているわけです。

 

 



明治29年の制定以来、民法は110年以上が経っています。
110年以上大きな改正がされていないとだけ聞くと時代遅れの法律に感じるかもしれませんが、そんなことは全くありません。
民法は改正する必要が全くないくらい、抽象的に基本概念しか書かれていないのです。
110年経とうが200年経とうが、国民一人一人の生活の基本概念が変わることはないのです。
なぜなら、明治期以来、いえ、それどころか、江戸時代以前から、人々は人と人との関係の中で生きており、
会社などで労働を行い、消費活動を行い、そして飯を食っているのですから。
時代の流れに伴い、細かな個別の各分野を取り巻く環境は変わっていくでしょう。
そこは各分野の特別法で順次対応していく、という形をとっています。
基本的な考え方のみを示しているのが基本法ですから、時代が移り変わろうとも民法を改正する必要はないのです。
基本概念の中に、ファイナンスリースや医療役務といった個別具体的な事柄が入ってくるのはおかしいわけです。
リースならリースに関する特別法を作るべきでしょうし、医療なら医療に関する法律を作るべきでしょう(既にあると思いますが)。


結論を繰り返しますと、「民法(債権法)改正を行う必要性は全くない」のです。
どの分野にでも普遍的に当てはまる名言(「工学の第一法則」と名前をつけられているそうですが)に、

「壊れていないものを直してはいけない(どこも悪くないものを変にいじるな)」
(If it ain't broke, don't fix it. )

というものがあります。
これは本当に名言だと思います。
民法(債権法)を改正すると言いますが、現時点で何の問題もないのですから、法を変えるとなるとまさに「改悪」にしかならないと思います。

 

 


今から思うと、旧商法は全く変える必要はなかったと思います。
農業分野や工業分野(新技術の発明や新商品開発等)は、時の流れと共にどんどんものが進化していくのだと思いますが、
法律や会計基準というのは実は「一番最初から完璧な規則」というものを作り上げることができるのだと思います。
現に旧商法というのは実は明治期の時点で完璧な商法となっていたのではないか、と思います。
会計基準も全く同じではないかと思います。
例えば連結財務諸表の基礎概念や作成方法や表示方法は実は一番最初から完璧なものができあがっていたのではないでしょうか。
実は一番最初から商法も会計基準も完璧だった、それなのにわざわざ改正という名の改悪を何度も続けてきただけなのではないか、
はっきり言ってそう思います。
その集大成が現会社法の創設ではなかったかと思います。
旧商法では、新たな商取引の誕生に伴い、会計理論上つじつまが合わない部分が出てきたり窮屈だったりする部分が出てきたのは事実です。
しかしそれは新たにやろうとしていることの方がおかしかった、ということではないでしょうか。
自分達がやろうとしていることが法律上できないのだとすると、
まずは自分達がやろうとしていることの是非を問うべきであって、法律のせいにしてはいけないと思います。
これは法律は一度決めたら二度と改正してはいけないという意味ではありません。
適切な法改正ならもちろん行っていくべきです。
ただ、その法律ができたのにはそれなりの理由があるのだから、
まずは「なぜ法の規定はそうなっているのか」を考える必要がある、と言いたいわけです。


「旧商法は全く変える必要はなかった」、そして今回に関して言えば、「民法(債権法)改正を行う必要性は全くない」、
その理由はどちらも全く同じ(今まで書いた説明を読んで下さい)、
これが女子アナ総合研究所の公式見解であります。

 

 



P.S. 1

今回、なぜ法律の専門家(弁護士や大学教授など)は「判例判例」と言うのか分かりました。
法律というのは(たとえ特別法であっても)ある程度は抽象的に書かざるを得ないため、
個別具体的には判例の積み重ねで法解釈や法律実務をカバーしていくしかないからですね。
法律の専門家にとって判例が”準法律”である理由が分かりました。

 

 


P.S. 2

過去、旧商法をあっけなく簡単に廃止し現会社法を制定・施行してしまった時点で、私の国会に対する信用は地に落ちています。
私は国会を全く信用していません。