2012年12月16日(日)
多くの親にとってみれば、子供が学校で「A(最優秀)」の成績をとれば褒美におカネを与えるのは、
子供にやる気を起こさせる良い方法にように思える。それは、効果を挙げることもあるが、いつもそう簡単にいくわけではない。
現実には「A」に対しおカネを出すと、子供の中には一所懸命勉強する気持ちを削いでしまう者が出てくる。兄弟の間で嫉妬や
いがみ合いを引き起こしかねない。おカネに頼ると、今後の人生のためになる人格形成という最終目標の実現には害になるかもしれない。
. ニューヨークに拠点を置く「米国公認会計士協会(AICPA)」が7月に行った調査によると、米国の親の半分近くは子供がAを取ると、
最低で1ドルを与えている。おカネを出している親の平均支出額は16ドル超だという。
ジョージア州の公認ファイナンシャルプランナーのマーク・ディジオバンニ氏は、「成績によっておカネを与えるのは、
大人になる準備という面もある」と指摘、「大人の現実の生活では、業績が良ければ高い報酬を受ける。
成績が良ければ、金銭的な報酬を受けることを子供に示すのは一つの教育だ」と語る。
しかし、現実は往々にして複雑だ。危険なのは、子供がおカネをもらえる場合だけ勉強に価値があると思うようになることだ。
アリゾナ州のファイナンシャルプランナーのニール・バン・ズトフェン氏は、
「動機付けにおカネを使うことの欠点は、真の学習を阻害し勉強の目的を変質させてしまうことだ」と警告する。
それは哲学的な命題だけでなく現実の問題でもある。子供の中には、ある特定の目標に到達し褒美を与えられると、
勉強意欲を失ってしまう者がいる、と専門家は指摘する。それほど努力しなくてもAをとった子供は、
惰性に流され自分の可能性に挑戦しようとしなくなる恐れがある。
Aをとるのに必死になった子供にも、同様に悪影響を及ぼす。「Aを得られないと、やる気を失いかねない」とズトフェン氏は述べる。
同氏は、褒美におカネを与えるのではなく、子供の将来の成功のため克己心や好奇心、忍耐力を養えるようにすべきだと提言する。
子供が良い成績を上げた場合にはおカネを与えるだけでなく、言葉で元気付けたり褒めたりすることが強力な武器になるという。
おカネがたまった場合、子供がそれを何に使うか決めるのかに目を光らせるのも親の役目だ。すべて子供に任せるべきか、それとも
一部は貯金するよう言い聞かせるべきか。ひとつのやり方は、自動車購入や大学入学など将来のために少なくとも一部は貯金させることだ。
ニュージャージー州のCPAであるジョーダン・アミン氏は、「子供が良い成績を挙げるたびに10ドルもらい、
それをXボックスの購入に使い果たし貯金をしないとすれば、その子の将来の貯蓄・支出の習慣にどんな影響を及ぼすだろうか」と警告する。
(ウォール・ストリート・ジャーナル 2012年
12月 14日 15:26
JST)
ttp://jp.wsj.com/article/SB10001424127887323796904578178323627870226.html
今でも学業成績に応じて親が子どもにお金をあげるというのは何か自分の中ではしっくりこない部分があるのは確かです。
ただ、記事にもありますが、「大人になればお金のために働く」わけです。
子どものころの勉強と大人になってからの仕事とは様々意味で関係がある(学歴や偏差値云々)わけだから、
学業成績に応じて親が子どもにお金をあげることと大人になってお金のために働くこととは何が違うのだ、という意見はあると思います。
誰だって働いてお金を稼いでいく、それと学業成績でお金をもらうことは同じではないか、と。
そういったことを考えますと、学業成績に応じて親が子どもにお金をあげることは間違いとは言えない部分があるなとは思います。
高校時代の私に比べれば、今の私は学業成績に応じて親が子どもにお金をあげることに対しては、
「そういった教育方針もあるのかなあ」という程度にしか思いません。
私としては、学校での勉強くらいお金もらわなくてもしようよ、と単純に思うわけですが、
親の立場からすると子どもに何とか勉強させたいという思いがあるのでしょう。
結論を言えば、「学業成績に応じて親が子どもにお金をあげる」という教育方針が正しいか間違っているかは
誰にも分かりませんし絶対的な答えはないでしょう。
ある意味各家庭毎に異なる教育方針、としか言えないのかもしれません。
>子供がおカネをもらえる場合だけ勉強に価値があると思うようになることだ。
ということだと思います。
学者っぽく言うと、世の中には直接的にはお金にはならないが大切な勉強や学問はある、という言い方になると思います。
また、「お金には直接はつながらないが物事の理解には必要な勉強というのはある」ということもあると思います。
例えばぶっちゃけた話をすると、公認会計士を目指して公認会計士試験勉強を一生懸命に頑張る人というのは高い報酬が頭にあるわけです。
そしてその高い報酬を目指してまずは公認会計士試験合格を目指すわけです。
公認会計士試験というのは試験範囲が膨大です。
よほど頭がいい人でも試験範囲をカバーし、「試験に合格するように」勉強するのが精一杯でしょう。
会計を勉強する目的は「試験に合格することだけ」、そう言っても差し支えないかと思います。
また、「試験に合格することだけが目標」というくらいの気持ちでないと合格できないと思います。
しかし、会計や会計に関する法律というのは、試験範囲が全てではないのです。
公認会計士試験の試験範囲というだけでも膨大であり、公認会計士試験の試験範囲は会計基準や現在の会計処理方法を全て網羅しています。
しかし、それ以上に「会計」というのは実は広いのです。
経営と絡めて考えたり、現在は行われていないかつての会計処理方法について考えたり、旧商法や現会社法について考えたり、
会計基準のあるべき姿、すなわち正しい会計処理とは何かについて考えたりしていくと、
まさに会計の範囲は無限と言ってもいいのです。
「公認会計士試験には合格したが、俺は実は会計について何も知らなかったんだなあ」、そういう思いを持っている合格者も現にいるでしょう。
しかし、このようにいろんなことを考えることはお金にはつながらないでしょう(試験にも合格できないかもしれない)。
でも、「この人会計の理解が深いな」と周りに思わせるのは、その自分なりに深く考え理解していって積み重ねた部分であるわけです。
そういったお金にはつながらない部分が「会計の本質の理解」へとつながってくるわけです。
本当にお金だけが目的だと、会計について自分なりに深く考え理解していって積み重ねていく、ということを公認会計士はしない気がします。
このことは、親の子どもに対する教育についても言えると思います。
「お金にはつながらないが非常に大切なこと」は、会計においても学問においても人生においても子どもの勉強においてもあるわけです。
「金が人生の全てではないが 有れば便利 無いと不便です 便利のほうがいいに決まっている
しかし物事の本質の理解を決定付けるのは お金とは関係のない部分だったりするんだよなあ」
by
偽みつを
人生で一番大切なものは確かにお金なのだとしても、全てお金を起点に物事を考えると視野や見識が狭くなる場合があるという弊害もあると思います。
お金につられて勉強した子どもが、お金以外にも大切なことがあることに気づくようになればいいがな、と思っています。
子どもが気付く真理というのは、いわゆる世の中や人間社会についての真理であるわけです。
世の中や社会は嘘ばかりだと、人間なんて汚いものだと。
私も子どものころ気付きました。世の中や人間社会は嘘の塊なんだな、みんな演技して生きてるんだな、と。
まあもちろん今でもそう思っているわけですが。
今日私が言いたいのは世の中や社会は嘘ばかりだ人間なんて汚いものだということではなく、少し違うことです。
それは「お金」です。
先ほど「子どもが気付く真理というのは、いわゆる世の中や人間社会についての真理である」と書きましたが、
嘘や汚さがあるのは世の中や人間社会についてだけではありません。
実は経営やビジネスや政治でも嘘や汚さというのはいくらでもあるわけです(経営やビジネスや政治も広く言えば世の中や人間社会ですが)。
ただ、世の中や人間社会の嘘や汚さとは異なり、
経営やビジネスや政治の嘘や汚さというのはただ生きているだけではなかなか見抜けない部分があります。
世の中や人間社会の嘘や汚さというのは子どもでも見抜けます。
しかし、経営やビジネスや政治の嘘や汚さを見抜くにはあることを別に学ぶ必要があるのです(これが子どもにはすぐには見抜けない理由)。
経営やビジネスや政治の嘘や汚さを見抜く手段、それが会計と経営管理学です。
私も子どものころは世の中や人間社会の嘘や汚さは見抜けました。
しかし、経営やビジネスや政治の嘘や汚さについては見抜けませんでした(知らなかったと言ってもいいと思います)。
経営やビジネスや政治の嘘や汚さを見抜くためには会計と経営管理学を学ぶ必要がありました。
少なくとも私の場合はそうでした。
家が自営業を営んでいるなど、子どものころから経営やビジネスが極身近にある家庭で育っていれば
その種の嘘や汚さを子どものころから見抜くこともできるようになるのかもしれませんが、
いわゆる親が会社員や教員や公務員などのサラリーマン家庭であれば見抜けるようにはならないと思います。
まあこれも世の中や人間社会についての真理と同じで、どのような環境で生まれ育ったは関係なく、
真理を見抜ける子どもと真理を見抜けない子どもの二種類がいるということなのかもしれませんが。
私は世の中や人間社会の真理と同様に、経営やビジネスや政治についても「王様は裸だ」と見抜けるようになりたいと思いました。
だから会計と経営管理学を学びました。
会計と経営管理学を学んでマイナスになることは何一つありません。
物事に対する理解が深まり、お金にまつわる様々な真理に気付くことができるようになります。
しかし唯一つだけ困ったことがあります。
会社のお金(設備投資や株式取得や日々の様々な経費等)や税金の無駄遣いを見ても、
「別に俺個人の金が減るわけじゃないし」
と思えなくなることです。