2012年12月11日(火)



米国発 MBAが知らない最先端の経営学
第1回: 世界中で進む「経営学の科学化」
世界で「知の競争」に勝つには、ドラッカーを読んでいるヒマはない
(日経ビジネスオンライン 2012年12月11日(火))
ttp://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20121205/240603/

 

 



【コメント】
米国のビジネススクールのアシスタント・プロフェッサー(助教授)のコラムです。
生年月日は書かれていませんが、ちょうど40歳くらいの人のようです。

 


>米国の主要なビジネススクールにいる教授の多くは、ピーター・ドラッカーの本をほとんど読まない。
>ドラッカーの考えにもとづいた研究もまったく行われていない

とのことです。その最大の理由は、

>ドラッカーは名言ではあっても科学ではない

からだそうです。
何と言えばいいのか分かりませんが、一応私も経営管理学が専門なのでコメントしますと、
それを言うなら、経営(管理)学はそもそも科学ではないのではないでしょうか。
経営(管理)学の究極の目的は確かに「企業経営の真理の探究」でありますが、それは単なる机上の空論や理論のみで終わることではなく、
「実務と併せて実際に企業が繁栄し永続していくためには何が必要かを考えていくこと」だと思います。
そのために必要なのは、失敗した企業はなぜ失敗し、成功している企業はなぜ成功しているのかを観察し深く考えていくことだと思いますが、
経営(管理)学の一番の弱点は実験ができないことに尽きるわけです。
これは経済学全般についても言えることかと思いますが。
「仮説・検証」と言いますが、そのために必要不可欠なのが実験に他ならないのですが、その実験が経営(管理)学ではできないのです。
その点において、やはり経営(管理)学は科学ではないと思います。
数多くの事例を見聞し、経験的にある普遍的な法則のようなものを見出し言葉で表現することが経営(管理)学では大切なわけですが、
経営者や人間や仕事そのものについての普遍的な法則を語っているのがピーター・ドラッカーであるように思います。
ですから、ピーター・ドラッカーの言葉や書物も一つの経営(管理)学と言っていいのではないでしょうか。

 

 



それと、企業と一言で言っても規模や社歴や組織形態が様々ですが、
大学で教育・研究されている経営(管理)学は上場企業や大企業が中心になっているかと思います。
これは学生が卒業後上場企業や大企業で働くことを大学は主に想定しているからだとも言えるわけですが、
それ以上に情報開示の面で研究材料(いわゆるケース)が上場企業や大企業の方が豊富であるからということもあるでしょう
(そもそも経営に大企業も中小企業もないわけです)。
企業から情報開示がなされなければ研究する側としては研究のやりようがないという面はあると思います。
そして、企業が成功しているか失敗しているかは究極的には「業績面」で測る以外にないと思います。
社長さんは人格者であり周りから尊敬されていた、そして社員の方も仕事熱心で立派な方ばかりだった、しかし会社は倒産した、
そのような会社は(一人の人間としては別の評価もあるかもしれませんが)経営(管理)学の観点からはやはりダメな会社なのです。
経営(管理)学においては業績が素晴らしい会社のことを素晴らしい会社だと言うわけです。
そうであるならば、「企業経営の真理の探究」に何よりも必要な手段・ツールは「会計」なのです。
見かけ上の業績は立派だがそれは会計処理方法による部分も大きい、会計処理方法が異なっていれば赤字だったかもしれない、
ということもあります。
また、マクロ経済の大きな流れやライバル企業の動向や類似企業の経営状況やもっと単純にその企業の業態やビジネスモデルから判断すると、
この決算の内容はおかしいな、何か妙な経理操作をしているのかもな、と直観することもあります。
「企業経営の真理」を探究したいのに、その真理が会計により隠されていることもあるわけです。
「企業経営の真理の探究」のためには会計が必要不可欠だと思います。


日本だろうがアメリカだろうが世界中どこだろうが、ビジネススクールでは会計の教育に力を入れて欲しいと思います。
ドラッカーを読んでいるヒマがどうしてもないのならドラッカーは読まなくて結構です。
しかし会計だけは何が何でも勉強して下さい。