2012年5月6日(日)



2012年5月6日(日)日本経済新聞
アクアスキュータムの落日 アジア市場の果実 得られず バーバリーと好対照
(記事) 

 

 


2012年5月6日(日)日本経済新聞 アーカイブ
1949年5月12日 GHQ、3証取の再開許可
(記事)


 

 

 

【コメント】
証取再開の記事の写真は1949年5月16日の写真とのことですが、何となく違うのではないだろうか、という気がします。
ではいつのどこの写真なのだ、と言われても分かりませんが。

大勢の人が電話で話していたり双眼鏡で何かをのぞいていたりしています。
服装は半そでの人が多い感じです。
1949年という時代背景(電話の普及度)や5月という季節・気温を考えるとどうでしょうか。
私がその場にいたわけではないのではっきりしたことは分かりませんが、
これは全然違う時期・違う場所の全く関係のない写真ではないでしょうか。

 

 

 



「会計操作 その実態と識別法、株価への影響」 須田一幸 山本達司 乙政正太 編著 (ダイヤモンド社)

 


第1部 会計操作の実態

 

第一章 粉飾決算と会計操作の諸相   2


§1 粉飾決算小史   3
(1)アメリカ企業の粉飾決算   3
(2)日本企業の粉飾決算   8

§2 会計基準の役割   16
(1)利益計算と会計基準   17
(2)発生主義会計のジレンマ   18
(3)経理自由の原則   19

§3 利益調整と会計操作の関係   20

§4 利益調整の実施状況   23
(1)赤字の回避と減益の回避   23
(2)利益予想値に到達するための利益調整   24
(3)利益調整の優先順位   26

 

 

 


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【コメント】
利益操作や経理操作など表現方法はいくつかあるかと思いますが、いわゆる「会計操作」の実証分析についての本です。
”まえがき”を引用すれば、

>本書の基本的な目的は、会計操作の現状を知ることにある。具体的には、
>@なぜ会計操作をするのか、
>A粉飾決算に結びつく会計操作をいつ行うのか、
>Bどのような会計操作をするのか、
>C粉飾決算に結びつく会計操作は発見可能か、
>D会計操作と監査はいかに関連しているのか、
>E会計操作で誰がだまされるのか、
>F会計操作は株式市場にどのような影響を与えるのか、
>という問いに対して回答を提示する。

となります。
第1章が総論のような位置付けになっていますので、セクション1〜セクション4をスキャンして紹介しました。
興味がある人は買って読んでみるとよいでしょう。

ただ、統計学を使い、難しい数式を活用して表やグラフなどを作成して数学的に実証分析をしているのは分かるのですが、
皮肉なことに、まさに”まえがき”に書いてあるように「後追いの感が拭えない」という印象はあります(言葉が使われている文脈は違いますが)。
表やグラフから言えそうなことを後付けで説明しているだけという面もあるように思いました。
純粋に学術論文として見る分にはよいのかもしれませんが、会計の本質や会計と経営のつながりとはあまり関係がないようにも思いました。
粉飾を行う企業はそれぞれの事情や背景があって粉飾を行っているわけでして、
その粉飾はまさに十人十色、粉飾もまさにケースバイケースなのです。
ですから、このような粉飾だからこのようなことが言える、というふうには結び付けられないものだと思います。
粉飾決算や粉飾事情は一般化できません。


そういったこと踏まえますと、この本は私にとっては10点満点中3〜4点(0:最悪、10:最高、5:普通)だと思いました。
人によってこの本の評価は様々でしょうし、特に学術よりの人だと高評価なのかもしれませんが、私にとっては3〜4点でした。

 


 



さらに言えば、この本の執筆者は会計が根本から分かっていないのではないか、としか思えない文脈もありました。
例えば17ページ。


>企業の利益計算を複雑にしているのは、企業の設立から解散までの全体損益計算ではなく、期間を区切った期間損益計算が行われることにある。


とあります。
この記述はある意味企業会計を根底から否定していることになるわけですが。
一般に、企業はゴーイング・コンサーン(継続企業)と呼ばれます。
永続していくことを前提に企業は経営を行っていくのです。
企業会計でも同じです。
企業会計では、事業を継続していくことを前提に企業は財務諸表を作成します。
清算を前提にして財務諸表を作成するのではありません。
何らかの事情により清算することを株主総会で決議した場合は清算を前提としたある意味特別な財務諸表を作成することになりますが、
通常は、企業は事業を継続していくことを前提にした財務諸表を作成します。


つまり、企業会計において期間を区切った期間損益計算が行われることはあまりにも当たり前のことなのです。
企業の設立から解散までの全体損益計算だけでよければそもそも企業会計はいりません。

 


 



また、企業というのは通常登記を行って経営を行っていきますが、そこには必ず税務が絡んできます。
世の中には様々な税金がありますが、企業が支払う税で一番有名なのは法人税でしょうか。
簡単に言うと、法人税は一年間に稼いだ所得に課税されます。
企業は一年に一回必ず法人税を納めるのです。
これは一年間という期間所得に対して課税される定めになっているわけでして、
その点からも期間利益(期間所得)というのは必ず計算しなければならないのです。
一年間に期間を区切って利益(所得)を計算するのは企業会計に限った話ではないのです。

仮にここでは税務は無視するとしても、上場非上場に関わらず企業は何らかのステークホルダー(利害関係者、株主や銀行や取引先等)に
一年間の業績を報告する必要が生じることは多いでしょう。
ステークホルダー(利害関係者)は財務面もしくは営業面等で現在その企業の経営状態がどのような状態であるか知りたいと思っています。
一年に一回くらいは業績を報告することを前提にした制度会計であったとしても何ら不自然なことではありませんし、
税務面のことまで考えればむしろ最低でも一年に一回すなわち一年間に期間を区切って利益(所得)を計算することは都合がよいことなのです。
また、その際、企業は事業を継続していくことを前提に財務諸表を作成することも当然のことでしょう。
便宜上、人為的に一年間で業績を区切っただけなのですから。

 

 


 


さらにひどい文章もあります。
同じく17ページです。

 

>会計基準に従って期間損益計算が行われれば、企業会計の世界に秩序が形成される。
>その結果、財務諸表利用者は企業ごとに財務諸表を比較することが可能になる。
>また、会計基準があれば、それを参照することで財務諸表の一般的特質が明らかになり、利用者は財務諸表の理解が容易になる。
>さらに、会計基準は財務諸表監査における判断の拠り所になる、という意義もある。

 

ここが完全に無茶苦茶と言いますか、デタラメとしかいいようがない内容となっています。
会計学科の学部一年生の期末試験でこのような答案を書いたら0点です。
即落第です。
会計が何か全く分かっていないのではないでしょうか。


各種会計基準等に従って期間損益計算(財務諸表の作成)が行われれば企業会計の世界に秩序が形成される、
という部分はまあそれはそれで一応正しいのだろうとは思いますが、
そのことと”財務諸表利用者は企業ごとに財務諸表を比較することが可能になる”こととは関係ありません。
企業ごとに財務諸表を比較することが可能になるためには、「財務諸表に同一の会計基準が適用されていること」が絶対必要です。

 

 

 


また、”会計基準があれば、それを参照することで財務諸表の一般的特質が明らかになり、利用者は財務諸表の理解が容易になる”
という部分も話があべこべで、会計基準がないとそもそも財務諸表を作成できないのです。
執筆者は会計基準がなくても財務諸表を作成できると思っているのではないでしょうか。
まあその企業の独自仕様の何かの計算結果を記述した表やノートのようなものは作成できるかもしれませんが。
実務上は必ず何らかの会計基準(中小企業であれば税務基準)に従って財務諸表を作成します。
財務諸表は必ず会計基準に従って作成します。会計基準がないとそもそも財務諸表を作成できません。
逆から言えば、会計基準がないと、財務諸表利用者は財務諸表をそもそも理解できないのです。
会計基準があれば財務諸表の理解が容易になるのではなく、会計基準がないと財務諸表を全く理解できないのです。
困難・容易ではなく、できる・できないというレベルです。
財務諸表作成者は会計基準を参照して財務諸表を作成し、財務諸表利用者は会計基準を参照して財務諸表を利用するのです。

 


さらに、”会計基準は財務諸表監査における判断の拠り所になる”、
という部分もおかしいと思います。
財務諸表監査では「財務諸表が会計基準に従っているかどうか」を監査するのです。
財務諸表監査において、会計基準は”判断の拠り所”ではありません。
まさにそれに従っているかどうかを見るわけです。
拠り所というより、拠り所を超えた位置付けになると思います。
拠り所というより、まさに判断基準と言えばよいでしょうか。
財務諸表監査における判断の拠り所と言うなら、上手くいえませんが、例えば監査基準や企業会計原則を指すのかもしれません。

 

 

 



会計基準があれば財務諸表を比較することが可能になる、や、会計基準があれば利用者は財務諸表の理解が容易になる、
といった記述から導かれる結論はただ一つ。
執筆者は今までに簿記を勉強したことが一度もない、ということです。

会計基準がないとそもそも仕訳を切れませんから。


財務諸表作成者は会計基準に従って仕訳を切ります(そして財務諸表を作成します)。
監査法人は仕訳が会計基準に従っているかどうかを監査します。
財務諸表利用者は「財務諸表がこのようになっているということはこのような仕訳を切ったのだな、
ということはこの企業はこのようなことを行ったということだな、
ということは今後この企業はこのようなことをしようと考えているのかもしれないな」、と判断していきます。
これが財務諸表の正しい使い方です。

 

簿記を勉強したことがない人は一発で分かります。
執筆者は生まれてこの方、一度も仕訳を切ったことがありません。

 


 



他にもあります。
同じく17ページです。

 

>企業実態を示す期間損益計算は、その企業の経営者によってのみ可能である。
>したがって、会計上の判断や見積りは経営者に任せることが最善手となる。
>その結果、会計基準は、経営者の適切な判断を予定して弾力的に設定される。

 

”企業実態を示す期間損益計算は、その企業の経営者によってのみ可能である”、
”会計上の判断や見積りは経営者に任せることが最善手となる”、
というのはやはりおかしいでしょう。
むしろ話は完全に逆で、会計数値は誰が見ても一定度の真実性があると判断できることが大切なのであって、
そのために会計基準があるのだと思います。
会計基準に従えば、誰が判断や見積りを行っても一定の範囲内の数値に収まっている、
これが恣意性がないということですし客観性があるということではないでしょうか。

 

 

 


”会計基準は、経営者の適切な判断を予定して弾力的に設定される”、というのもおかしいと思います。
そんなことはありません。
会計基準はある意味経営者の判断を縛るためにあるのです。

どのような会計基準でも会計上の判断や見積りの幅はあるにしても、経営者が自由に判断や見積りを行っていいということはありません。
会計処理の際は会計基準に淡々と従うことが大切であり必要です。
やや語弊を招く表現かもしれませんが、会計処理に際しては、経営者(や会計士)は判断をしてはいけないのです。


経営者が自由な判断をしないからこそ、財務諸表は企業間で比較可能になるのです。
会計基準というのはあくまでもルールです。

(この辺りの文脈からも、執筆者はとにかく会計基準さえあれば財務諸表の比較が可能になると勘違いしていることがうかがえます。)

 

 


19ページです。


>貸倒引当金の設定と金額は、経営者の判断に委ねられている。


何と言いますか、もう言葉が見つかりません。
わざわざ太字で書かれていますが・・・。
貸倒引当金の設定と金額が経営者の判断に委ねられているわけないでしょう。
貸倒引当金の計上に関しては、金融商品会計基準及び金融商品会計実務指針に厳しく定められています。
ここまで間違っているともうコメントする気も失せてきました。

 


 


「経理自由の原則」




19〜20ページを改めてスキャンしました。


はっきり言ってしまうと、経理自由の原則などという言葉はこの本で生まれて初めて知りました。
アメリカには creative accounting (創作的会計)というのがあるらしいのですがその類でしょうか。
経理自由の原則などという主張は完全に滅茶苦茶です。
会計を根幹から否定しかねない概念だと思います。

敢えて言うなら、経理自由の原則の反意語は「真実性の原則」だと思います。


この部分に書いてある執筆者の論述は会計の風上にもおけないという気がします。
もうデタラメ過ぎてどこをどう訂正すればよいかも分かりません。

今の私の気持ちを率直に言います。

 


「この記述の全てが腹立たしい。」