2011年11月6日(日)
馬謖は諸葛孔明に信頼された武将。蜀軍が魏軍と戦った街亭の戦いに、孔明の命令にそむき、そのために大敗してしまった。
孔明は親しい友人の弟でもある馬謖を、軍法を破った罪で、刑場へ連行したが、悲しみのあまり床に伏して涙を流したという。
この故事から、規律を守るためには、情に流されてはならない、特に政治においては、情に流されることは禁物である
ということのたとえになった。
出典:十八史略
類義:涙を揮って馬謖を斬る
全体の規律を保つためには、たとえ愛する者でも私情を捨ててきびしく処罰することのたとえ。
用例:「エースの投手を規律違反で解雇した球団は、まさに泣いて馬謖を斬る心境だったろう。」
故事:
中国の三国時代、蜀の名軍師諸葛孔明は、日ごろかわいがっていた部下の馬謖が、命令にそむいて敗戦を招いたため、
その責任をとらせて、泣きながら死刑に処したという。(出典『三国志』)
首を切られても悔いないほどの、生死を共にする親しい交際。
中国の戦国時代、趙の宰相であった藺相如に勇将として名をはせた廉頗が謝罪したときの光景を述べた『史記』中にでている言葉。
その人のためなら、首を切られてもくいがないほどの、親しい交際のたとえ。
用例:「父は中学校以来、刎頚の交わりを結んできた友人を失ったと言って、がっくりしている。」
参考:「刎頚」は、首をはねること。
故事:
中国の春秋時代、趙の将軍廉頗は、藺相如が自分より上位の大臣になったでのひじょうにうらんだが、
それを知った相如は廉頗と争うことは国のためにならないとして争いをさけた。これを聞いた廉頗は、
自分の非をさとり、相如にわびて、刎頚の交わりを結んだという。(出典『史記』)
類義:管鮑の交わり。水魚の交わり。断金の交わり。莫逆の友。