2011年10月10日(月)



2011年10月10日(月)日本経済新聞 エコノフォーカス
不良債権「予備軍」44兆円 金融円滑化法で悪化 中小、経営改善遅れ 5年で1.5倍 銀行融資の1割
倒産増加、軟着陸探る 金融庁、検査厳しく
(記事) 

 

 

 

 



【コメント】
中小企業金融円滑化法は、はっきり言ってしまえば、債務不履行の時期を先送りするという効果しかりませんでした。
本来なら2年前に債務不履行を起こしていたはずの企業に、今その時がやってきたというだけです。
こうなることは2年前から誰もが分かっていたことです。


本来なら、貸倒懸念債権に分類されていたはずの債権を、判断基準の方を変えて一般債権と見なしました。
これは判断基準の方を無理やり変更しただけのことであり、
債権そのもの(返済可能性)、そして借入を行っている企業の方は何も変わっていないのです。
債権や企業の方は何も変わっていないのですから、先送りされた返済期限が来てしまうと債務不履行となってしまうのは当然です。


記事には、

>実際「経営を立て直し、正常先に復帰する企業も多い」と大手銀幹部はいう。

とありますが、これはまず嘘でしょう。
2年前は借入金を返済できなかったが今なら返済できる、という企業などほとんどないでしょう。
2年前に借入金を返済できた企業は今でも返済できるでしょう。
そして、2年前に借入金を返済できなかった企業は今でも返済できないでしょう。

 

借入金はキャッシュフローで返済するものです。
時間で返済するものではありません。
企業が生み出すキャッシュフローが変わっていないのですから、2年たった今でも返済できないままに決まっています。

 

 

 


2011年10月10日(月)日本経済新聞 アーカイブ
1882年10月10日 日本銀行が開業
(記事)

 

 

 


【コメント】
日本銀行の本店が「日本橋」ということで、有名なネタ、

「お前がそう思うんならそうなんだろう お前ん中ではな」

を思い出しました。
日本銀行とは何の関係もありませんが。


この台詞、英語に訳すとどうなるのでしょうか。
前後の文脈で相当英訳は違ってきそうですが。

例えば、自分がある人からあいつは何の勉強もしていないとか全く取るに足らない奴だ、と言われているシチュエーションで、
「ああそうですか、あなたがそう言うのならそうなのかもしれませんね、あなた程度の理解力ではね」
と言い返す場合は次のような訳になると思います。

 

If you define me as so, perhaps I may be so, only within around you, though.

 


 


2011年10月10日(月)日本経済新聞 法務インサイド
国またぐ知財訴訟 勝つためには 準拠法と係争地 カギに
まず日本で提訴 → 勝訴なら現地で活用
(記事)


 

 

 

【コメント】
法務は専門ではありませんので、経営管理学の経営法務の教科書から
「国際取引」についての部分をスキャンして紹介することでコメントに替えさせていただきます。

記事にありますような国際的な企業取引が増加しますと、法解釈の違いなどから紛争が生じる可能性が出てきます。
法務の専門家でなくても、紛争解決方法について概略や基礎知識を持っておくことは有用かと思います。

 

 

 



準拠法とは?


準拠法決定の流れ


準拠法決定の流れ(ノートから書き写し)


国際取引 紛争解決の方法、裁判


国際取引 仲裁


国際取引 調停、WTO

 

 

 


元マイクロソフト日本法人代表が明かす時代に求められる成功者の前提条件とは?
――株式会社インスパイア創業者・成毛眞氏【前編】
(ダイヤモンドオンライン 2011年9月27日)
ttp://diamond.jp/articles/-/14115

 

>1%の才能と99%の努力”とよく言います。
>しかし、1%の才能を持っているかいないかでは、雲泥の差です。
>そして前者は「センスがよい」と言われ、後者は「センスが無い」と言われる。
>真ん中はないと私は思います。

 

 


 



【コメント】
「1%の才能と99%の努力」と聞くと、「何だ、才能よりも努力の方が大切なのか。」
と思ってしまいます。
しかし、成毛氏によるとそうではない、とのことです。
才能はあるかないかしかない。
才能が1%分あるとか30%分あるといったことはないようです。
そして、才能があるかないかの差は極めて大きいとのとです。


1%の才能があるのが大前提、
1%の才能がない場合は、最悪の場合、どんなに努力をしてもダメかもしれません。

 

 


才能か努力かについては、


女子アナ総合研究所
http://ex24.2ch.net/test/read.cgi/ana/1215099177/


の>>49でコメントしました(2008/08/07(木) 23:08:07 の書き込み)。
以下引用します。

 

 

 



>もし仮に、ここに経営管理学の理解や経営戦略の立案において世界一の人がいるとして、
>僕が疑問に思うのは、以下のようなことだ。
>
>
>
>「彼の頭がいいのは、努力の賜物なのか、それとも、生まれつきの才能のおかげなのか。」
>
>
>
>
>
>私も若いころは、「才能なんて関係ない、大切なのは努力だ」、と思っていました。
>でも、年を取るにつれ、「やっぱり才能だ」と思うようになりました。
>努力によってその人の才能が開花することはあるにせよ、その人の実力を決定付けるのは才能であることが分かってきました。
>その人の実力は才能によって決まる。残酷かもしれないが、これは事実なのです。
>
>ただ、一方で、努力をしてみないと自分に才能があるかどうかも分からないというのも事実。
>よって、まず最初は、努力をしてみることが必要不可欠となる。
>努力すらしない人間には未来は絶対に開けないということです。
>
>努力だまじめだというと何か学校の先生みたいで胡散臭いかもしれませんが、しかし、努力が必要なのも事実。
>天才も努力をしているということです。
>
>
>久しぶりに精神論を書いてみました。精神論は何の役にも立たない、これは事実なのですが、
>時々精神論を書きたくなる参謀でした。
>
>以上。

 

 

 



才能か努力かについての議論の答えは、結論を一言で言えば、「結局両方必要」ということになるのだと思います。
これでは答えになっていないかもしれませんが。


まず才能があるのが前提なのかもしれません。
才能がないなら努力しても無駄なのかというと、その質問に対しては上手く言えませんが、
努力でカバーできる量や範囲には限度があるかもしれない、とだけ答えておきます。

才能があるのが前提で、なおかつ、努力をすることも前提だと考えましょう。
努力をしないと才能の有無も分かりませんし、才能が開花することも磨きがかかることもありませんから。

人にとって、才能も努力も両方大前提だとしますと、次のようなことが言えるかと思います。

 


人間の能力には大きな差がある。
できることがあるとすれば、その差を広げないようにすることだけだ。

 

 


 


People: Are you "Gifted"?


Sambo: I don't know the exact meaning of "Gifted," but if you define me as "Gifted," perhaps I am "Gifted."
       If you call me genius, I feel somewhat burdened with being called so,
       but if you call me "Gifted," I feel more relieved.
       I attach greater importance to effort than to gift.
       In other words, I like hardworkers more than geniuses.
       Moreover, I think little of the gifted persons without any effort.
       I love the persons with effort as much as they can make, whether or not they are gifted.
       Oops, In my opinion, I am only a hardworker without any gift, nothing of genius nor "Gifted."