2011年4月3日(日)



匹夫の勇

 

思慮分別がなく、ただ血気だけにはやる勇気をいう。から元気。向こうみずの行動。
梁の恵王が「私には勇気があるから、力で隣国を征服する」と言った。
これに対し、孟子は「剣にたよってただ腕を振りあげるのは匹夫の勇であり、大物にはなれない」とさとした。
匹夫とは身分の低い男。教養のないつまらない人。


深い考えもなく、ただ向こう見ずに血気にはやる勇気。〔出典『史記』〕
【参考】「匹夫」は、身分の低い男。また、ものの道理のわからない男の意。

 

 

 



【コメント】
もうはるか昔のことになりますが、私が大学4年生のころに「このような人物には決してなってはいけない」と、
自分自身に言い聞かせた言葉がこの「匹夫の勇」です。
「匹夫の勇」の反意語は、「深謀遠慮」になりますでしょうか。

経営管理学でいえば、シナジーも考慮せず後先考えずに闇雲にあっちゃこっちゃに次々に新しい事業に進出しては失敗しているような
状態またはそのような企業を「匹夫の勇」や「匹夫」と表現できるかもしれません。
この言葉の反対は、既存事業とのシナジーや親和性を考慮し遠い将来まで考えて戦略を立案し、地に足を着け、一歩一歩じっくりと、
堅実に着実に日々努力をしている状態や企業でしょう。
企業に最も必要なもの、それは小手先のテクニックではなく「がんばる気持ち」だと思います。
一生懸命に、そして、一所懸命に、やるべきことを一つ一つやる、これが大切です。
「当たり前のことを当たり前のやる企業」、これが強い企業ということですし、立派な企業ということになろうかと思います。

 


大学生のころは「匹夫の勇」しか知らなかったので、匹夫と聞きますと悪い印象しか持っていなかったのですが、
この匹夫をいい意味合いに使っていることばもあります。

 

 

 



匹夫も志を奪うべからず

 

「三軍も帥を奪うべし、匹夫も志を奪うべからず」の後半の言葉。
三軍の大勢もそれより優秀な軍勢をもって当たればこれに勝ち、その将を倒すことができる。
しかし、たとえ一人のつまらない人間でも、こうと思いこんだ志が堅固であれば、
どんな誘惑をもってしても、それを変えることはできない。(出典 論語)


類義語 一寸の虫にも五分の魂

一寸(=約三・〇三センチメートル)ほどの小さな虫でも、からだの半分の五分にあたる魂を持っているということから、
どんなに小さく弱い者でも、それ相応の意地や考えはあるものだというたとえ。
だから、ばかにはできないということ。

 

 

 

 



この匹夫、アニメや漫画で言えば「のび太」になりますでしょうか。
所詮のび太だとばかにしていたら手痛いしっぺい返しを食らうことになります。

この場合の匹夫の例としましては「小暮(めがね君)」もぴったりかと思います。

 

小暮はある程度離しといていい



あいつも3年間がんばってきた男なんだ 侮ってはいけなかった

 



最後に勝負を決めたのは小暮君でした。
継続は力なり、と言います。
努力を続けてきたからこそ、ここぞというときにシュートを決めることができたのでしょう。



 


牧の体に押された訳でもないのに、その威圧感で、
その場に尻もちをつきそうになるのをやっとのことでこらえるほど、小暮と牧とは実力に差があるのですが。

「牧は圧倒的に本物だった」



海南の横断幕には「常勝」と書かれています。


「常勝」


陵南の横断幕は「勇猛果敢」。

 


私は中学の時、修学旅行で湯飲みの焼き物を焼いたのですが、好きな言葉を湯飲みに書くことができました。
その時私はこう書きました。


「超然孤高」

 

何となく、今でも自分にぴったり当てはまる言葉だな、と思います。
私という人間の本質は中学の時から変わっていないのかもしれません。
勉強はずっと続けてきた分、少しは賢くはなっているのでしょうが。
今日はこの辺で。