2011年3月21日(月)



米AT&TがTモバイルを買収=米最大の携帯電話会社に

 米通信大手AT&Tは20日、独同業のドイツテレコムとの間で同社の米子会社TモバイルUSAを
390億ドル(約3兆1500億円)で買収することで合意したと発表した。
AT&Tは米携帯市場で第2位、Tモバイルは第4位で、買収により米最大の携帯電話会社が誕生する。 
 合意によれば、AT&Tはドイツテレコムに250億ドルを現金で支払い、残りは株式で充当する。ドイツテレコムは
AT&Tの株式8%を取得する。AT&TはTモバイルを買収すると、携帯契約者数がほぼ1億3000万人となり、
契約者数では現在米最大手のベライゾン・ワイヤレスを30%程度上回り、また第3位のスプリント・ネクステルに比べると
2倍超の規模に達する。
 AT&Tは、アップルのスマートフォン(多機能携帯電話)「iPhone(アイフォーン)」の米国の独占契約権を失うため、
次の成長戦略を求めていた。一方、ドイツテレコムはTモバイルのスプリントへの売却や
新規株式公開(IPO)などの可能性を探っていた。
 しかし、AT&TがTモバイルを買収すれば、全米に展開する携帯電話会社が4社から3社に減少するため、
規制当局は厳しく調査するとみられる。
連邦通信委員会(FCC)は昨年5月に、携帯電話業界は競争的となっていないとの年次業界報告を発表している。
 米調査会社フォレスターのアナリスト、チャールズ・ゴルビン氏は、今回の買収で両社の契約者にとっては
通話可能地域が拡大すると指摘。しかし同時に、米国の契約者の4人に3人近くがAT&Tかベライゾンの契約者となるため
通信料が急速に低下する可能性は小さくなるとの見方を示した。
(ウォール・ストリート・ジャーナル 2011年 3月 21日  14:50 JST)
ttp://jp.wsj.com/Business-Companies/node_205678

 

 

 

 



【コメント】
びっくりしました。
まだ考えがまとまっておらず、ベル、ではなくべろが上手く回りません。

 


Is AT&T going back to "Before 1984"?


See "33.2 FUSION AND FISSION IN CORPORATE FINANCE."
Listen "HOT FASHION."

 

 

 

 



B. Russell: A Liberal Decalogue, 1951
バートランド・ラッセル 「自由人の十戒」
ttp://russell.cool.ne.jp/beginner/JYUKKAI.HTM

 

 

 

 


【コメント】
十文とも全て素晴らしい訳出だと思いますが、
八文目だけ少しひっかりましたので引用して私なりの解釈や訳出を書きたいと思います。

 

 


8. Find more pleasure in intelligent dissent than in passive agreement,
for, if you value intelligence as you should, the former implies a deeper agreement than the latter.

 

(対訳)

八、嫌々ながら賛成するよりも、良く分別を働かせて異議を唱える方が良い。
なぜなら、もしあなたがあるがままに知性に価値を認めるならば、後者の方がより深い同意を意味するからである。

 

 

 



この八文目も素晴らしい訳出だと思いますが、「あるがままに」の部分がどうしても気になります。
「あるがままに」に対応する部分は「as you should」です。

as you should を「あるがままに」と訳すのは少し違うのかもしれません。
「あるがままに」と訳すのであれば、原文は「as you do」でないと意味がずれてくると思います。

if you value intelligence as you do,

であれば、「もしあなたがあるがままに知性に価値を認めるならば、」という訳でよいと思います。
日本人には馴染みがない(日本語にはない)助動詞になりますが、「should」には実は非常に深い意味があるのだと思います。

should には、基本的には、

(義務)・・・しなくてはならない;
(当然)・・・べきである;
(期待・可能性)・・・のはずである、きっと・・・だろう

の意味があります。
話し手(書き手)がshouldの主語のことをよく分かっていて、
あの主語であれば「するべきである」と考えている場合にshouldという助動詞を使うのです。
shouldがあるとないとでは本当に大きく意味が違ってきます。
助動詞たった一つですが、非常に深い意味があるのです。
なんとなくshouldが文中にあるのではないのです。

話し手(書き手)が主語のことをよく分かっているからこそshouldが出てきます。
話し手(書き手)が主語のことをよく知らない場合はshouldは出てこず、今回であれば do となります。

この違いは非常に大きいのです。

 

 

 



should を用いた例文を見てみましょう。


I knew something was not as it should be.
(どこかまずいところがあるのに気づいた。)


「as it should be」は直訳すれば「それが当然そうあるべきように」となります。
話し手(書き手)は主語(something=it)のことをよく分かっています。
よく分かっている上で、それが本来のそれでないことに気がついたのです。
本来それがそうあるべきである状態とは違っているからこそ「違う」と気付いたのです。
話し手(書き手)は主語(something=it)のことをよく分かっていない場合は、「そうでないこと」に気付きません。
だからこそ、ここでは should という助動詞が出てきたのです。
この例文が should ではなく、例えば、

I knew something was not as it was.

だとどうでしょうか。
「それはそれではないことに気が付いた。」
という訳になり、文が全く意味不明になってしまいます。
「as it should be」だから文の意味が通じます。
「as it was」では文の意味が通じません。


ネイティブに

I knew something was not as it was.

という英文を見せたら、文の意味が分からない、と言われるでしょう。

 

 

 

 



始めの英文に戻ります。


if you value intelligence as you should,


の場合、話し手(書き手)は主語である「you」のことをよく知っているのです。
you のことをよく知っているからこそ should という助動詞が出てきたのです。

話し手(書き手)は、「俺、お前のことよく知っているよ、お前さ、知性に価値を認める人間だよな」と知っているわけです。
話し手(書き手)は「you」が「知性に価値を認める人間」かどうか知らない場合は should という助動詞は出てきません。
話し手(書き手)は「you」が「知性に価値を認める人間」であることをよく分かっています。
話し手(書き手)であるバートランド・ラッセル氏は、
「俺の本や文章を読むくらいだから読者は知性的な人間に違いない」
「俺の本や文章の読者は当然知性に価値を認める人間だ」
と思っているわけです。
だからこそ should という助動詞が出てきたのです。
したがって、

if you value intelligence as you should,

の訳は、

もしあなたが本来そうすべきなように知性に価値を認めるならば、
もしあなたが当然のこととして知性に価値を認めるならば、
もしあなたがいつもの通り知性に価値を認めるならば、
もしあなたがいつもしているように知性に価値を認めるならば、

といった訳出になると思います。
私的には、下2つの訳がぴったりだなと感じています。
「いつもの通り」「いつもしているように」というと、「always」という単語なんかないじゃないか、という指摘は分かります。
しかし、ここでの「should」にはそういった意味合いが話し手(書き手)と読者との関係から含まれてくるのです。

 

 

 


追記

 

これは最終的には翻訳者自身に確認を取るしかないことですが。


「as you should」を「あるがままに」と訳した背景についてですが。
もしこれが誤訳でないとすれば、と考えたのですが。

翻訳者は「本来そうすべき」という意味から「あるがままに」という訳語を選んだのかもしれません。
「本来そうすべき」とは、誰からも抑圧されずに、とか、誰からも何も言われずに、とか、自然な態度で、とか、自由意志で、
という意味です。
そうだとすると「あるがままに」でも正しい訳出かなと思いました。

ちょっと考え過ぎでしょうか。
そこまで考えての訳出だとすれば釈迦に説法だったのかなとも思います。